阿仏房御書

執筆年:建治二
阿仏房御書(阿仏房第一書)      文永九年三月。五十一歳作。      外二ノ三〇。遺一三ノ一。縮八二五。類六八〇。  御文委披見いたし候畢。抑宝塔御供養物、銭一貫文・白米・しなじな(品品)をくり物、たしかにうけとり候畢。此趣御本尊法華経にもねんごろに申上候。御心やすくおぼしめし候へ。一御文云「多宝如来涌現の宝塔何事を表し給や」と云云。此法門ゆゝしき大事なり。宝塔をことわるに、天台大師文句八に釈し給時、証前起後の二重の宝塔あり。証前は迹門、起後は本門なり。或は又閉塔は迹門、開塔は本門、是即境智の二法也。しげきゆへにこれををく。所詮三周の声聞、法華経に来て己心の宝塔を見ると云事也。今日蓮が弟子檀那又々かくのごとし。末法に入て、法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若然者貴賎上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなうるものは、我身宝塔にして、我身又多宝如来也。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経也。今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。此五大は題目の五字也。然者阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此より外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慙の七宝を以てかざりたる宝塔也。多宝如来の宝塔を供養し給かとおもへば、さにては候はず我身を供養し給。我身又三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給て南無妙法蓮華経と唱給へ。こゝさながら宝塔の住処也。経云「有説法華経処我此宝塔涌現其前」とはこれなり。あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづる事なかれ。信心強盛の者に非んば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。阿仏房しかしながら北国の導師とも申つべし。浄行菩薩はうまれかわり給てや、日蓮を御とふらひ(訪)給か。不思議なり不思議なり。此御志をば日蓮はしらず、上行菩薩の御出現の力にまかせ(任)たてまつり候ぞ。別の故はあるべからず、あるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ。委は又々申べく候。恐恐謹言。   文永九年壬申三月十三日             日蓮花押    阿仏房上人所へ (考二ノ一五。)