義浄房御書(己心仏界鈔)
執筆年:文永十
義浄房御書(清澄第三書)(己心仏界鈔)
文永十年五月。五十二歳作。
外二五ノ一。遺一四ノ六〇。縮九六五。類六八九。 御法門の事委く承り候畢。法華経の功徳と申は唯仏与仏の境界、十法分身の知恵も及ぶか及ばざるかの内証也。されば天台大師も妙の一字をば「妙とは妙は不可思議に名く」と釈し給て候なるぞ。前前御存知の如し。然れども此経に於て重重の修行分れたり。天台、妙楽、伝教等計しらせ給ふ法門也。就中伝教大師は天台の後身にて渡らせ給へども、人の不審を晴さんとや思食けん、大唐へ決をつかはし給事多し。されば今後の所詮は十界互具、百界千如、一念三千と云事こそゆゆしき大事にては候なれ。此法門は摩訶止観と申す文にしるされて候。次に寿量品の法門は日蓮が身に取てたのみあることぞかし。天台、伝教等も粗しらせ給へども、言に出して宣給はず。龍樹、天親等も亦是の如し。寿量品の自我偈に云く「一心欲見仏不自惜身命」云云。日蓮が己心の仏界を此文に依て顕す也。其故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此経文なり。秘すべし、秘すべし。叡山の大師渡唐して此文の点を相伝し給処也。一者一道清浄の義、心者諸法也。されば天台大師心の字を釈して云「一月三星心果清浄」云云。日蓮云、一者妙也、心者法也、欲者蓮也、見者華也、仏者経也。此五字を弘通せんには「不自惜身命」是也。一心に仏を見る。心を一にして仏を見る。一心を見れば仏也。無作の三身の仏果を成就せん事は恐らくは天台、伝教にも越へ龍樹、迦葉にも勝れたり。相構へ相構へて、心の師とはなるとも、心を師とすべからずと仏は記し給しなり。法華経の御為に身をも捨て、命をも惜まざれと強盛に申せしは是也。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
文永十年五月二十八日 日蓮花押
義浄房御返事
(微下ノ四一。考五八ノ三四。)