法衣書
執筆年:弘安三年
真筆あり
御衣布竝びに単衣布給候ひ了んぬ。
抑そも食は命をつぎ、衣は身をかくす。食を有情に施すものは長寿の報をかん(感)ず。六道の中に人道已下は皆形裸にして生る。天は随生衣。其の中の鹿等は無衣にして生るのみならず、人の衣をぬすみしゆへに、身の皮を人にはがれて盗みし衣をつぐのうほう(報)をえたり。人の中にも鮮白比丘に(尼)は生ぜし時、衣を被て生まれぬ。仏法の中にも裸形にして法を行ずる道なし。故に釈尊は摩訶大母比丘尼の衣を得て正覚をなり給ひき。諸の比丘には三衣ゆるされき。鈍根の比丘は衣食とゝのわざれば阿羅漢果証せずとみへて候。殊に法華経には柔和忍辱衣と申して衣をこそ本とみへて候へ。又法華経の行者をば衣をもつて覆はせ給ふと申すもねんごろなるぎ(義)なり。
日蓮は無戒の比丘、邪見の者なり。故に天これをにくませ給ひて食衣ともしき身にて候。しかりといえども法華経を口に誦し、ときどきこれをとく。譬へば大蛇の珠を含み、いらん(伊蘭)よりせんだん(栴檀)を生ずるがごとし。いらんをすてゝせんだんまいらせ候。蛇形をかくして珠を授けたてまつる。天台大師云く ̄他経但記男不記女〔他経は但男に記して女に記せず〕等云云。法華経にあらざれば女人成仏は許されざるか。具足千万光相如来と申すは摩訶大比丘尼ののことなり。此れ等をもつてをしはかり候に、女人の成仏は法華経により候べきか。要当説真実は教主釈尊の金言、皆是真実は多宝仏の証明、舌相至梵天は諸仏の誓状なり。日月は地に落つべしや、須弥山はくづるべしや、大海の潮は増減せざるべしや、大地は飜覆すべしや。此の御衣の功徳は法華経にとかれて候。但心をもつてをもひやらせ給ひ候へ。言にはのべがたし。