忘持経事
執筆年:建治二年
真筆あり
忘れ給ふ所の御持経、追て修行者に持たせ之を遣はす。櫓の哀公云く 人好く忘る者有り。移宅に乃ち其の妻を忘れたり云云。孔子云く 又好く忘るること此れより甚だしき者有り。桀紂之君は乃ち其の身を忘れたり等云云。夫れ槃特尊者は名を忘る。此れ閻浮第一の好く忘るる者なり。今常忍上人は持経を忘る。日本第一の好く忘るる之仁か。大通結縁の輩は衣珠を忘れ、三千塵劫を経て貧路を蜘・し、久遠下種之人は良薬を忘れ、五百塵点を送りて三途の嶮地に顛倒せり。今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は仏陀の本意を忘失し、未来無数劫を経歴して阿鼻の火坑に沈淪せん。此れより第一の好く忘るる者あり。所謂今の世の天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する、是れ也。親に背いて敵に付き、刀を持て自らを破る。此れ等は且く之を置く。
夫れ常啼菩薩は東に向ひて般若を求め、善財童子は南に向ひて華厳を得る。雪山の小兒は半偈の為に身を投げ、楽法梵志は一偈に皮を剥ぐ。此れ等は皆上聖大人也。其の迹を・ふるに地住に居し、其の本を尋ぬれば等妙なるのみ。身は八熱に入て火坑三昧を得、心は八寒に入て清涼三昧を証し、身心共に苦無し。譬へば矢を放ちて虚空を射、石を握りて水に投ずるが如し。
今常忍貴辺は末代の愚者にして見思未断の凡夫也。身は俗に非ず僧に非ず禿居士。心は善に非ず悪に非ず羝羊のみ。然りと雖も一人の悲母堂に有り。朝に出でて主君に詣で、夕に入て私宅に返り、営む所は悲母の為、存する所は孝心のみ。而るに去月下旬之比、生死の理を示さんが為に黄泉の道に趣く。此に貴辺と歎いて云く 齢既に九旬に及び子を留めて親の去ること次第たりと雖も、倩事の心を案ずるに、去りて後、何れの月日をか期せん。二母国に無し。今より後誰をか拝すべき。
離別忍び難き之間、舎利を頚に懸け足に任せて大道に出でて下州より甲州に至る。其の中間往復千里に及ぶ。国々皆飢饉して山野に盗賊充満し、宿々粮米乏少也。我が身羸弱所従亡きがごとく、牛馬期に合わせず。峨々たる大山重々として、漫々たる大河多々なり。高山に登れば頭を天に・ち、幽谷に下れば足雲を踏む。鳥に非ざれば渡り難く、鹿に非ざれば越え難し。眼眩き足冷ゆ。羅什三蔵の葱嶺・役の優婆塞大峰も只今なりと云云。
然る後深洞に尋ね入て一庵室を見る。五体を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し、歓喜身に余り身心の苦忽ち息む。我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬へば種子と菓子と身と影との如し。教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道。吉占師子・青提女・目・尊者は同時の成仏也。是の如く観ずる時、無始の業障忽ちに消え、心生の妙連忽ちに開き給ふか。然して後に随分仏事を為し事故無く還り給ふ云云。恐々謹言。
富木入道殿