弥源太入道殿御返事

執筆年:文永十一
弥源太入道殿御返事(北条第三書)      文永十一年九月。五十三歳作。      外九ノ三一。遺一六ノ二九。縮一〇五六。類九四六。 別事候まじ。憑み奉り候上は最後はかうと思食候へ。河野辺入道殿のこひしく候に、漸く後れ進らせて其かたみと見まいらせ候はん。さるにても候へば如何が空しかるべきや。さこそ覚え候へ。但し当世は我も法華経をしりたりと毎人申候。時に法華経の行者はあまた候。但し法華経と申経は転子病と申す病の様に候。転子と申は親の様なる子は少く候へども此病は必ず伝り候也。例せば犬の子は母の吠を伝へ、猫の子は母の用を伝て鼠を取る。日本国は六十六箇国嶋二。其中に仏の御寺は一万一千三十七所。其内に僧尼或は三千、或は一万、或は一千一百、或は十人、或は一人候へども、其源は弘法大師、慈覚大師、智証大師、此三大師の御弟子にて候。山の座主、東寺、御室、七大寺の検校、園城寺の長吏、伊豆、箱根、日光、慈光等の寺寺の別当等も皆此三大師の嫡嫡也。此人人は三大師の如く読べし。其此三大師法華経と一切経との勝劣を読候しには、弘法大師は法華経最第三と。慈覚、智証は法華経最第二、或は戯論なんどこそ読候しか。今又如是。但し日蓮が眼には僻目にてや候らん。法華経最第一、皆是真実と釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏は説て証明せさせ給へり。此三大師には水火の相違にて候。其末を受る人人彼跡を継で、彼所領田畠を我物とせさせ給ぬれば、何に諍はせ給とも三大事の僻事ならば、此科遁れがたくやおはすらんと見え候へども、日蓮は怯弱者にて候へば、かく申事をも人御用なし。されば今日本国の人人の我も我も経を読といへども、申事用べしとも不覚候。是はさて置候ぬ。御音信も候はねば、何にと思て候つるに御使うれしく候。御所労の御平癒の由うれしく候、うれしく候。尚可蒙仰候。恐恐謹言。  九月十七日                     日蓮花押 弥源太入道殿御返事 (微上ノ二五。考四ノ一〇。)