富木殿御返事

執筆年:文永十二
真筆あり
 帷一領給候ひ了んぬ。  夫れ、仏弟子の中、比丘一人はんべり。飢饉の世に、仏の御時、事かけて候ひければ、比丘袈裟をう(賣)て其のあたひを仏に奉る。仏其の由来を問ひ給ひければ、しかじかとありのまゝに申しけり。仏云く 袈裟はこれ三世の諸仏解脱の法衣なり。このあたひ(価)をば我ほうじがたしと辞退しまししましかば、此の比丘申す、さて此の袈裟あたひをばいかんがせんと申しければ、仏の云く 汝悲母有りや不や。答て云く 有り。仏云く 此の袈裟をば汝が母に供養すべし。此の比丘仏に云く 仏は此の三界の中第一の特尊なり。一切衆生の眼目にてをはす。設ひ十方世界を覆ふ衣なりとも、大地にしく袈裟なりとも、能く報じ給ふべし。我が母は無智なる事牛のごとし。羊よりもはかなし。いかでか袈裟の信施をほうぜんと云云。  此は又、齢九旬にいたれる悲母の、愛子にこれをまいらせさせ給ふ。而るに我と老眼をしぼり、身命を尽くせり。我が子の身として此の帷の恩かたしとをぼしてつかわせるか。日蓮又ほうじがたし。  しかれども又返すべきにあらず。此の帷をきて日天の御前にして、此の子細を申し上げば、定めて釈梵諸天しろしめすべし。帷一なれども十方の諸天此をしり給ふべし。露を大海によせ、土を大地に加ふるがごとし。生々に失せじ、世々にくちざらむかし。恐恐謹言 二月七日 日 蓮 花押