富木入道殿御返事

執筆年:弘安元年
真筆あり
 御文粗拝見仕り候ひ了んぬ。  御状に云く 常忍の云く 記の九に云く_稟権出界名為虚出〔権を稟けて界を出づるを名づけて虚出と為す〕云云。了性房 全く以て其の釈無し云云。 記の九に云く[寿量品の処]_無有虚出至昔虚為実故 為字去声、稟権出界名為虚出。三乗無不皆出三界。人天無不為出三途。竝名為虚〔無有虚出より昔虚為実故に至までは、為の字去声、権を稟けて界を出づるを名づけて虚出と為す。三乗は皆三界を出でずといふこと無し。人天は三途を出でんが為ならずといふこと無し。竝びに名づけて虚と為す〕。 文句の九に云く_無有虚出而不入実者。故知。昔虚為実故〔虚より出でて而も実に入らざる者有ること無し。故に知んぬ。昔の虚は実の為の故なり〕と云云。 寿量品に云く_諸善男子。如来見諸衆生。楽於小法。徳薄垢重者〔諸の善男子、如来諸の衆生の小法を楽える徳薄垢重の者を見ては〕。乃至 以諸衆生。乃至 未曾暫廃〔未だ曾て暫くも廃せず〕云云。此の経の文を承けて天台・妙楽は釈せし也。此の経文は、初成道の華厳の別円、乃至、法華経の迹門十四品を或は小法と云ひ、或は徳薄垢重、或は虚出等と説ける経文也。 若し然らば華厳経の華厳宗・深密経の法相宗・般若経の三論宗・大日経の真言宗・観経の浄土宗・楞伽経の禅宗等の諸経の諸宗は、依経の如く其の経を読誦すとも三途を出でざる者也。何に況んや、或は彼を実と称し、或は勝る等云云。此の人々は天に向ひて唾を吐き、地を・んで忿りを為す者か。 此の法門に於て如来滅後月氏一千五百余年、付法蔵の二十四人、龍樹・天親等知て未だ此れを顕さず。漢土一千余年の余人も未だ之を知らず。但天台・妙楽等、粗之を演ぶ。然りと雖も未だ其の実義を顕さざるか。伝教大師以て是の如し。 今日蓮粗之を勘ふるに、法華経之此の文を重ねて涅槃経に演べて云く_若於三法 修異想者 当知此輩 清浄三帰 則無依処 所有禁戒 皆不具足。終不能証 声聞縁覚 菩薩之果〔若し三法に於て異の想を修する者は、当に知るべし。此の輩は清浄の三帰、則ち依処無く、所有の禁戒、皆具足せず。終に声聞・縁覚・菩薩の果を証することあたはず〕等云云。此の経文は正しく法華経の寿量品を顕説せる也。寿量品は木に譬へ、爾前迹門をば影に譬へる之文なり。経文に又之有り。五字八教・当分跨節・大小の益は影の如し、本門の法門は木の如し云云。又寿量品已前之在世之益は闇中の木影也。過去に寿量品を聞きし者の事也等云云。 又不信は謗法に非ずと申す事。又云く 不信者不堕地獄〔不信の者地獄に堕ちず〕云云。五の巻に云く_生疑不信者 即当堕悪道〔疑を生じて信ぜざることあらん者は 即ち当に悪道に堕つべし〕云云。惣じて御心へ候へ。  法華経と爾前とを引き向けて勝劣浅深を判ずるに当分跨節の事、三つの様有り。日蓮が法門は第三の法門也。世間に粗夢の如く一二をば申せども、第三をば申さず候。第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども、未だ事了へず。所詮、末法之今に譲り与へし也。五々百歳は是れ也。但此の法門の御論談は、余は承らず候。彼は広学他門の者也。はばかり、はばかり、み(見)た、みたと候ひしかば、此の方のまけなんども申しつけられなばいかんがし候べき。但彼の法師等が彼の釈を知り候はぬはさてをき候ぬ。六十巻になしなんど申すは天のせめなり。謗法の科の法華経の御使に値ふて顕れ候なり。  又此の沙汰の事も定めてゆへありて出来せり。かしま(賀島)の大田次郎兵衛・大進房、又本院主もいかにとや申すぞ。よくよくきかせ給ひ候へ。此れ等は経文に子細ある事なり。法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障べきにて候。十境の中の魔境此れ也。魔の習ひは善を障へて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候。強ひて悪を造らざる者をば力及ばずして善を造らしむ又二乗の行をなす物をばあながちに怨をなして善をすゝむるなり。又菩薩の行をなす物をば遮りて二乗の行をすゝむ。最後に純円の行を一向になす物をば兼別等に堕すなり。止観の八等を御らむあるべし。  又彼の云く 止観の行者は持戒等云云。文句の九には初二三の行者の持戒をば此れをせいす。経文又分明也。止観に相違の事は妙楽の問答之有り。記の九を見るべし。初随喜に二有り。利根の行者持戒を兼ねたり。鈍根は持戒、之を誓止す。又正像末の不同もあり。摂受折伏の異あり。伝教大師の市の虎の事思ひ合わすべし。此れより後は下總にては御法門候べからず。了性・思念をつめつる上は、他人と御論候わばかへりてあさくなりけん。  念をつめつる上は他人と御論候わ 念をつめつる上は他人と御論候わ 彼の了性と思念とは、年来日蓮をそしるとうけ給はる。彼等程の蚊虻の者が日蓮程の師子王を聞かず見ずして、うはのそらにそしる程のをこじん(嗚呼人)なり。天台法華宗の者ならば、我は南無妙法蓮華経と唱へて、念仏なんど申す者をばあれはさる事なんど申すだにもきくわいなるべきに、其の義なき上、偶たま申す人をそしるでう、あらふしぎ、あらふしぎ。  大進房が事。さきざきかきつかわして候やうに、つよづよとかき上げ申させ給候へ。  大進房には十羅刹のつかせ給ひて引きかへしせさせ給ふとをぼへ候ぞ。又魔王の使者なんどがつきて候ひけるが、はなれて候ををぼへ候ぞ。悪鬼入其身はよもそら事にては候はじ。事々重く候へども此の使いそぎ候へばよる(夜)かきて候ぞ。恐々謹言。 十月一日 日 蓮 花押