寂日房御書

執筆年:弘安二
寂日房御書(門弟第廿三書)(与日家書)      弘安二年九月。五十八歳作。与中老日家書。      受二ノ二六。遺二七ノ一〇。縮一八七二。類六〇九。 これまで御をとづれ(音信)かたじけなく候。夫人身をうくることはまれなるなり。すでにまれなる人身をうけたり、又あひがたきは仏法、是又あへり。同仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる。結句題目の行者となれり。まことにまことに過去に十万億の諸仏を供養する者也。日蓮は日本第一の法華経の行者也。すでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり。八十万億那由陀の菩薩は口には宣たれども修行したる人一人もなし。かゝる不思議の日蓮をうみ出せる父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人也。父母となるも子となるも必ず宿習なり。若し日蓮が法華経釈迦如来の使ならば父母あに其故なからんや。例せば妙荘厳王、浄徳夫人、浄蔵、浄眼の如し。釈迦、多宝の二仏、日蓮が父母と変じ給ふ歟。然らずんばは八十万億の菩薩のうまれかわり給ふ歟。又上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹歟。不思議に覚え候ぞ。一切の物にわたりて名の大切なる也。さてこそ天台大師は五重玄義のはじめに名玄義と釈し給へり。日蓮となのる事自解仏乗とも云つべし。かやうに申せば利口げにきこへたれども道理のさすところさもやあるらん。経に云「如日月光明能除諸幽冥斯人行世間能滅衆生闇」と此文の心よくよく案じさせ給へ。斯人行世間の五の文字は上行菩薩末法の始の五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字七字の光明をさしいだし(指出)て無明煩悩の闇をてらすべしと云事也。日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてとすゝめしは是也。此人にしてもをこたらず候也。今の経文の次下に説て云「於我滅度後応受持此経是人於仏道決定無有疑」云云。かゝる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思て、日蓮と同く法華経を弘むべき也。法華経の行者といはれぬる事はや不祥也、まぬかれがたき身也。彼のはんくわい(樊噌)ちやうりやう(張良)まさかど(将門)すみとも(純友)といはれたる者は、名ををしむ故にはぢを思故についに臆したることはなし。同じはぢなれども今生のはぢはもののかずならず、ただ後生のはぢこそ大切なれ。獄卒、だつえば(奪衣婆)、懸衣翁が三途河のはた(端)にていしやう(衣装)をはが(剥)ん時を思食て、法華経の道場へまいり給べし。法華経は後生のはぢをかくす衣也。経に云「如裸者得衣」云云。此御本尊こそ冥途のいしやうなれ、よくよく信じ給べし。をとこ(男)のはだへ(膚)をかくさざる女あるべしや。子のさむさをあわれまざるをや(親)あるべしや。釈迦仏法華経はめ(妻)とをやとの如くましまし候ぞ。日蓮をたすけ給事は今生の恥をかくし給人也。後生は又日蓮御身のはぢをかくし申べし。昨日は人の上今日は我身の上なり。花さけばこのみなりよめ(嫁)のしうとめ(姑)になる事候ぞ。信心をこたらずして南無妙法蓮華経と唱へ給べし。度度の御音信申しつくしがたく候ぞ。此事寂日房くわしくかたり給へ。恐恐謹言。   九月十六日                   日蓮花押