妙法尼御前御返事(明衣書)
執筆年:弘安四
妙法尼御前御返事(第五書)(明衣書)
弘安四年。六十歳作。
外二〇ノ二。遺三〇ノ三八。縮二〇八九。類一一〇〇。 明衣一給畢ぬ。女人の御身、男にもをくれ、親類をもはなれ、一二人あるむすめ(娘)もはかばかしからず便りなき上、法門の故に人にもあだまれさせ給ふ女人。さながら不軽菩薩の如し。仏の御姨母、摩訶波闍波提比丘尼は女人ぞかし。而るに阿羅漢とならせ給ひて声聞の御名を得させ給ひ、永不成仏の道に入らせ給ひしかば、女人の姿をかへきさき(后)の位を捨てて仏の御すゝめを敬ひ、四十余年が程五百戒を持ちて昼は道路にたゝずみ、夜は樹下に坐して後生をねがひしに、成仏の道を許されずして、不成仏のうきなを流させ給ひし、くちをしかりし事ぞかし。女人なれば過去遠遠劫の間、有に付けても無に付けてもあだな(虚名)を立てし、はず(恥)かしく、口惜かりしぞかし。其身をいとひて形をやつし、尼と成りて候へばかゝるなげきは離れぬとこそ思ひしに相違して、二乗となり永不成仏と聞きしは、いかばかりあさましくをわせしに、法華経にして三世の諸仏の御勘気を許され。一切衆生喜見仏と成らせ給ひしは、いくら程かうれしく悦ばしくをはしけん。さるにては法華経の御為と申すには、何なる事有りとも背かせ給ふまじきぞかし。其に仏の言く「以大音声普告四衆誰能於此娑婆国土広説妙法華経」等云云。我も我もと思ふに諸仏の恩を報ぜんと思はん尼御前、女人達。何事をも忍びて我滅後、此娑婆世界にして法華経を弘むべしと三箇度までいさめさせ給ひしに、御用ひなくして「於佗方国土広宣此経」と申させ給ひしは能能不得心の尼ぞかし。幾くか仏悪しとをぼしけん。されば仏はそばむき(側見)て八十万億那由佗の諸菩薩をこそ、つくづくと御覧ぜしか。されば女人は由なき道には名を折命を捨つれども、成仏の道はよはかりけるやとをぼへ候に、今末代悪世の女人と生れさせ給ひて、かゝるものをぼえぬ島のえびす(夷)に、のられ打たれ責められしのび(忍)、法華経を弘めさせ給ふ、彼比丘尼には雲泥勝れてありと仏は霊山にて御覧あるらん。彼比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず。今の妙法尼御前の名にて候べし。王となる人は過去にても現在にても十善を持つ人の名也。名はかはれども師子の座は一也。此名もかはるべからず。彼仏の御言をさかがへ(倒返)す尼だにも一切衆生喜見仏となづけらる。是は仏の言をたがへず、此娑婆世界まで名を失ひ、命をすつる尼也。彼は養母として捨て給はず、是は佗人として捨てさせ給はば偏頗の仏也。争かさる事は候べき。況や「其中衆生悉是吾子」の経文の如くならば今の尼は女子也。彼尼は養母也。養母を捨てずして女子を捨つる仏の御意やあるべき。此道理を深く御存知あるべし。しげければとどめ候畢ぬ。
日蓮花押
妙法尼御前
(微下ノ一三。考七ノ一。)