報恩鈔送文(与浄顕房書)
執筆年:建治二
報恩鈔送文(清澄第五書)(与浄顕房書)
建治二年七月。五十五歳作。
外三ノ一二。遺二一ノ八六。縮一五一一。類一九七。 御状給り候畢。親疎となく法門と申は、心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ。御本尊図して進せ候。此法華経は仏の在世よりも仏の滅後、正法よりも像法、像法よりも末法の初には、次第に怨敵強なるべき由をだにも御心へあるならば、日本国に是より外に法華経の行者なし。これを皆人存候ぬべし。道善御房の御死去之由去月粗承り候。自身早早と参上し、此御房をもやがてつかはすべきにて候しが、自身は内心は存ぜずといへども人目には遁世のやうに見えて候へばなにとなく此山を出ず候。此御房は又内内の申候しは、宗論やあらんずらんと申せしゆへに、十方にわか(分)て経論等を尋しゆへに国国、寺寺へ人をあまたつかはして候に、此御房はするが(駿河)の国へつかはして当時こそ来て候へ。又此文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ。詮なからん人人にきかせなばあし(悪)かりぬべく候。又設ひさなくともあまたになり候はばほかさま(外様)にもきこえ候なば、御ため又このため安穏ならず候はんか。御まへ(前)と義城房と二人、此御房をよみてとして、嵩かもり(森)の頂にて二、三編、又故道善御房の御はか(墓)にて一辺よませさせ給ては、此御房にあづけさせ給てつねに御聴聞候へ。たびたびになり候ならば心づかせ給事候なむ。恐恐謹言。
七月二十六日 日蓮花押
清澄御房
(考二ノ三二。)