四菩薩造立鈔
執筆年:弘安二
四菩薩造立鈔(富木第廿六書)
弘安二年五月。五十八歳作。
外一五ノ三三。遺二六ノ四二。縮一八五四。類三五九。 白小袖一、薄墨染衣一、同色袈裟一帖、鵞目一貫文給候。今に始めざる御志言を以て宣がたし。何の日を期してか対面を遂げ、心中の朦朧を申し披かん哉。 一、御状に云、本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕候き。然れば聴聞の如くんば何の時乎と云云。夫仏世を去せ給て二千余年に成ぬ。其間月氏、漢土、日本国一閻浮提の内に仏法の流布する事、僧は稲麻のごとく法は竹葦の如し。然るにいまだ本門の教主釈尊、並に本化の菩薩を造り奉りたる寺は一処も無し。三朝の間に未だ聞かず。日本国に数万の寺寺を建立せし人人も本門の教主、脇士を造るべき事を知らず。上宮太子、仏法最初の寺と号して四天王寺を造立せしかども、阿弥陀仏を本尊として脇士には観音等四天王を造り副たり。伝教大師、延暦寺を立給に、中堂には東方の鵞王の相貌を造て本尊として、久成の教主、脇士をば建立し給はず。南京七大寺の中にも此事を未だ聞かず。田舎の寺寺以て爾也。かたがた不審なりし間、法華経の文を拝見し奉りしかば其旨顕然也。末法闘諍堅固の時にいたらずんば造るべからざる旨分明也。正、像に出世せし論師、人師の造らざりしは仏の禁を重ずる故也。若し正法、像法の中に久成の教主釈尊並に脇士を造るならば、夜中に日輪出で日中に月輪の出たるが如くなるべし。末法に入て始の五百年に上行菩薩の出させ給て造り給べき故に、正法、像法の四依の論師、人師は言にも出させ給はず、龍樹、天親こそ知せ給たりしかども口より外へ出させ給はず。天台智者大師も知せ給たりしかども、迹化の菩薩の一分なれば、一端は仰出させ給たりしかども、其実義をば宣出させ給はず。但ねざめの枕に時鳥の一音を聞しが如くにして、夢のさめて止ぬるやうに弘め給候ぬ。夫より已外の人師はまして一言をも仰出し給事なし。此等の論師、人師は霊山にして迹化の衆は末法に入ざらんに正、像二千年の論師、人師、本門久成の教主釈尊並に久成の脇士、地涌の上行等の四菩薩を影ほども申出すべからずと御禁ありし故ぞかし。今末法に入れば尤仏の金言の如きんば造るべき時なれば本仏、本脇士造り奉るべき時也。当時は其時に相当れば地涌の菩薩やがて出させ給はんずらん。先其程四菩薩を建立し奉るべし。尤今は然るべき時也と云云。されば天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾はん」としたひ、伝教大師は「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機、今正に是其時なり」と恋させ給ふ。日蓮は世間には日本第一の貧者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富者也。是時の然らしむる故也と思へば、喜び身にあまり、感涙押へがたし、教主釈尊の御恩報じ奉り難し。恐くは付法蔵の人人も日蓮には果報は劣らせ給ひたり。天台智者大師、伝教大師等も及び給べからず。最も四菩薩を建立すべき時也云云。問て云く、四菩薩を造立すべき証文之れ有り耶。答へて云く、涌出品に云く「有四導師一名上行、二名無辺行三名浄行四名安立行」等云云。問て云、後五百歳に限るといへる経文之れ有り耶。答へて云く、薬王品に云く、「我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶」等云云。
一、御状に云、大田方の人人一向に迹門に得度あるべからずと申され候由、其聞候と、是は以の外の謬也。御得意候へ。本、迹二門の浅深、勝劣、与奪、傍正は時と機とに依べし。一代聖教を弘むべき時に三あり。機もて爾也。仏滅後正法の始の五百年は一向小乗、後の五百年は権大乗、像法一千年は法華経の迹門等也。末法の始めには一向に本門也。一向本門の時なればとて迹門を捨べきにあらず。法華経一部に於て前の十四品を捨べき経文無之。本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時、爾前、迹門は正法、像法、或は末法は本門の弘らせ給べき時也。今の時は正には本門、傍には迹門也。迹門無得度と云て、迹門を捨てて一向本門に心を入させ給人人は、いまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ。以の外の僻見也。私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其身に入替て、人をして自身ともに無間大城に堕べきにて候。つたなしつたなし。此法門は年来貴辺に申含めたる様に人人にも披露あるべき者也。総じて日蓮が弟子と云て法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はば釈迦、多宝、十方の分身、十羅刹も御守候べし。其さへ尚人人の御心中は量りがたし。
一、日行房死去の事、不便に候。是にて法華経の文読み進らせて南無妙法蓮華経と唱へ進せ。願くは日行を釈迦、多宝、十方の諸仏、霊山へ迎へ取せ給へと申上候ぬ。身の所労いまだきらきら(快然)しからず候間、省略せしめ候。又又申すべく候。恐恐謹言。
弘安二年五月十七日 日蓮花押
富木殿御返事
(考五ノ六八。)