四条金吾殿御返事(煩悩即菩提)
執筆年:文永九
日蓮が諸難について御とふらひ(訪)、今にはじめざる志しありがたく候。
法華経の行者としてかゝる大難にあひ候は、くやしくおもひ候はず。いかほど生をうけ死にあひ候とも、是れほどの果報の生死は候はじ。又、三悪四趣にこそ候ひつらめ。今は生死切断し、仏果をうべき身となればよろこばしく候。
天台・伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給ふすら、なほ怨嫉の難にあひ給ひぬ。日本にしては伝教より義真・円澄・慈覚等、相伝して弘め給ふ。
第十八代の座主慈慧大師なり。御弟子あまたあり。其の中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜等と申して四人まします。法門又二つに分かれたり。檀那僧正は教を伝ふ、慧心僧都は観をまなぶ。されは教と観とは日月のごとし。教は浅く、観はふかし。されば檀那の法門はひろくしてあさし、慧心の法門はせばくしてふかし。
今、日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし。其の故は彼の天台・伝教等の所弘の法よりは一重立ち入りたる故也。本門寿量品の三大事とは是れ也。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸仏の師範、十方薩埵の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり。
経に云く、諸仏智慧。甚深無量〔諸仏の智慧は甚深無量なり〕云云。此の経文に諸仏とは十方三世の一切諸仏、真言宗の大日如来、浄土宗の阿弥陀、乃至諸宗・諸経の仏菩薩、過去未来現在の總諸仏、現在の釈迦如来等を諸仏と説き挙げて、次に智慧といへり。此の智慧とはなにものぞ、諸法実相十如果成の法体也。其の法体とは又なにものぞ、南無妙法蓮華経、是れ也。
釈に云く、実相深理本有妙法蓮華経〔実相の深理、本有の妙法蓮華経〕といへり。其の諸法実相と云ふも釈迦多宝の二仏とならう(習)なり。諸法をば多宝に約し、実相をば釈迦に約す。是れ又、境智の二法也。多宝は境なり、釈迦は智なり。境智而二にしてしかも境智不二の内証なり。此れ等はゆゝしき大事の法門也。
煩悩即菩提生死即涅槃と云ふもこれなり。まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経ととなふるところを、煩悩即菩提生死即涅槃と云ふなり。生死の当体不生不滅とさとるより外に生死即涅槃はなきなり。
普賢経に云く、不断煩悩。不離五欲。得浄諸根。滅除諸罪〔煩悩を断ぜず五欲を離れずして、諸根を浄め諸罪を滅除することを得〕。止観に云く、無明塵労即是菩提生死即涅槃〔無明塵労は即ち是れ菩提なり。生死は即ち涅槃なり〕。寿量品に云く、毎自作是念以何令衆生得入無上道速成就仏身〔毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入り速かに仏身を成就することを得せしめんと〕。方便品に云く、世間相常住〔世間の相常住なり〕等は此の意なるべし。此の如く、法体と云ふも全く余には非ず、たゞ南無妙法蓮華経の事なり。
かゝるいみじくたうとき法華経を、過去にてひざ(膝)のしたにをきたてまつり、或はあなづり(蔑)くちひそみ(顰蹙)、或は信じ奉らず、或は法華経の法門をならうて一人をも教化し、法命をゝつぐ人を、悪心をもてとによせ、かくによせおこつきわらひ(謔弄)、或は後生のとゝめなれども、先づ今生かなひがたければしばらくさしをけ、なんどと無量にいひうとめ、謗ぜしによ(依)て、今生に日蓮種々の大難にあふなり。
諸経の頂上たる御経をひきく(低)をき奉る故によりて、現世に又人にさげ(下)られ用ひられざるなり。譬諭品に人にしたしみつくとも、人、心いれて不便とおもふべからずと説きたり。
然るに貴辺、法華経の行者となり、結句大難にもあひ、日蓮をもたすけ給ふ事、法師品の文に、遣化四衆比丘比丘尼優婆塞優婆夷と説き給ふ。此の中の優婆塞とは、貴辺の事にあらずんばたれをかさゝむ。すでに謗を聞きて信受して逆らはざればなり。不思議や、不思議や。
若し然らば、日蓮、法華経の法師なる事、疑ひなき歟。則ち如来使にもにたるらん、行如来持もぎょうずるになりなん。多宝塔中にして二仏並坐の時、上行菩薩に譲り給ひし題目の五字を、日蓮、粗ひろめ申すなり。此れ即ち、上行菩薩の御使歟。貴辺、又、日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ。是れ豈に流通にあらずや。
法華経の信心をとをし給へ。火をきるにやすみぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして法華宗の四條金吾、四條金吾と鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ。あしき名さへ流す、況んやよき名をや。何に況んや法華経ゆへの名をや。女房にも此の由を云ひふくめて、日月両眼さう(双)のつばさ(翼)と調ひ給へ。
日月あらば冥途あるべきや。両眼あらば三仏の顔貌拝見、疑ひなし。さうのつばさあらば寂光の宝刹へ飛ばん事、須臾刹那なるべし。委しくは又々申すべく候。恐惶謹言。
五月二日 日蓮 花押
四條金吾殿 御返事