南条殿御返事

執筆年:建治二
真筆あり
南条殿御返事(上野第十一書)(大橋書)      建治二年三月。五十五歳作。真蹟在富士大石寺。      内三三ノ一。遺二一ノ九。縮一四三三。類九七五。 かたびら(帷)一、しを(塩)いちだ(一駄)、あぶら(油)五そう(升)給候了ぬ。ころも(衣)はかん(寒)をふせぎ、又ねつ(熱)をふせぐ、み(身)をかくし、みをかざ(厳)る。法華経の第七やくわうぼん(薬王品)に云「如裸者得衣」等云云。心は、はだかなるもののころもをえたるがごとし。もん(文)の心はうれし(嬉)き事をとかれ(説)て候。ふほうざう(付法蔵)の人のなかに商那和衆(修)と申人あり、衣をきてむまれ(生)させ給ふ。これは先生に仏法にころも(衣)をくやう(供養)せし人なり。されば法華経に云「柔和忍辱衣」等云云。こんろん(崑崘)山には石なし、みのぶ(身延)のたけ(岳)にはしを(塩)なし。石なきところなはたま(玉)よりもいしすぐれたり。しを(塩)なきところにはしをこめ(米)にもすぐれて候。国王のたから(宝)は左右の大臣なり、左右の大臣をば塩梅と申す。みそ(味噌)しを(塩)なければよ(世)わたりがたし、左右の臣なければ国をさま(治)らず。あぶら(油)と申は、涅槃経に云「風のなかにあぶらなし、あぶらのなかにかぜなし」。風をぢ(治)する第一のくすりなり。かたがたのもの(旁々物)をくり(送)給て候。御心ざしのあらわれて候事申ばかりなし。せんずるところ(所詮)は、こなんでうどの(故南条殿)の法華経の御しんよう(信用)のふかかりし事のあらわるゝか。王の心ざしをば臣のべ、をや(親)の心ざしをば子の申のぶるとはこれなり。あわれことの(故殿)のうれしとをぼすらん。つくし(筑紫)にをゝはし(大橋)太郎と申しける大名ありけり。大将どのの御かんき(勘気)をかほり(蒙)て、かまくら(鎌倉)ゆいのはま(由井浜)つちのろう(土牢)にこめられて、十二年めし(囚)はじしめ(耻)られしとき、つくし(筑紫)をうちいでしに、ごぜん(御前)にむかひて申せしは、ゆみや(弓箭)とるみ(身)となりて、きみ(君)の御かんき(勘気)をかほらんことはなげきならず、又ごぜん(御前)にをさなく(幼稚)よりなれ(馴)しかば、いまはなれ(離)ん事いうばかりなし。これはさてをきぬ。なんし(男子)にても、によし(女子)にても一人なき事なげきなり。ただし(但)くわいにん(懐姙)のよしかたらせ給ふ。をうなご(女子)にてやあらんずらん、をのこご(男子)にてや候はんずらん。ゆくへ(行方)をみざらん事くちをし(口惜)。又かれが人となりてちゝ(父)というものもなからんなげき、いかがせんとをもへども、力及ばずとていでにき。かくて月ひ(日)すぐればことゆへなく生にき。をのこご(男子)にてありけり。七歳のとしやまでら(山寺)にのぼせてありければ、ともだち(友達)なりけるちごども(児共)をやなしとわらひ(笑)けり。いへ(家)にかへりてはゝ(母)にちゝ(父)をたづねけり。はゝ(母)のぶる(宣)かたなくして、なく(泣)より外にことなし。此ちご(児)申す、天なくしては雨ふらず、地なくしてはくさ(草)をいず。たとひ母ありともちゝ(父)なくばひと(人)となるべからず。いかに父のありどころ(在所)をばかくし(隠)給ぞとせめしかば、母せめられて云ふ、わちご(和児)をさな(幼稚)ければ申さぬなり、ありやう(有様)はかう(斯)なり。此のちご(児)なくなく(泣泣)申やう、さてちゝ(父)のかたみ(形見)はなきかと申せしかば、これありとて、をゝはし(大橋)のせんぞ(先祖)の日記、ならびにはら(腹)の内なる子にゆづれる自筆の状なり。いよいよをや(親)こひしく(恋)てなく(泣)より外の事なし。さていかがせんといいしかば、これより郎従あまたとも(伴)せしかども、御かんき(勘気)をかほり(蒙)ければみなちりうせ(散失)ぬ。そののちはいき(生)てや、又しに(死)てや、をとづる(訪)る人なしとかたりければ、ふしころびなきていさむ(諌)るをももちい(用)ざりけり。はゝ(母)いわく、をのれ(己)をやまでら(山寺)にのぼする事はをや(親)のけうやう(孝養)のためなり。仏に花をもまいらせよ、経をも一巻よみて孝養とすべしと申せしかば、いそぎ寺にのぼりていえ(家)へかへる心なし昼夜に法華経をよみしかば、よみわたりけるのみならずそら(諳)にをぼへてありけり。さて十二のとし(年)出家をせずしてかみ(髪)をつゝみ、とかくしてつくし(筑紫)をにげいで(逃出)て、かまくら(鎌倉)と申ところへたづねいりぬ。八幡の御前にまいりてふしをがみ(伏拝)申けるは、八幡大菩薩は日本第十六の王、本地は霊山浄土に法華経をとかせ給し教主釈尊なり。衆生のねがい(願)をみて(満)給がために神とあらわれさせ給ふ。今わが(我)ねがい(願)みて(満)させ給へ。をや(親)は生て候か、しに(死)て候かと申て、いぬ(戌)の時より法華経をはじめてとら(寅)の時までによみければ、なにとなくをさなきこへ(声)ほうでん(宝殿)にひびきわたり、こゝろすご(凄)かりければ、まいりてありける人人もかへる事をわすれにき。皆人いち(市)のやうにあつまり(集)てみければ、をさなき人にて法師ともをぼえず、をうな(女)にてもなかりけり。をりしもきやう(京)のにいどの(二位殿)御さんけい(参詣)ありけり。人め(目)をしのばせ(忍)給てまいり給たりけれども、御経のたうとき(貴)事つねにすぐれたりければ、はつる(果)まで御聴聞ありけり。さてかへらせ給てをはしけるがあまりなごり(名残)をしさに、人をつけてをきて大将殿へかゝる事ありと申せ給ければ、めし(召)て持仏堂にして御経よませまいらせ給けり。さて次日又御聴聞ありければ、西のみかど(御門)人さわぎけり。いかなる事ぞとききしかば、今日はめしうど(囚人)のくび(頸)きらるるとのゝしりけり。あわれわがをや(我親)はいままで有べしとはをもわねども、さすが人のくび(頸)をきらるると申せば、我身のなげきとをもひ(思)てなみだ(涙)ぐみたりけり。大将殿あやしとごらん(御覧)じて、わちご(和児)はいかなるものぞ、ありのまゝに申せとありしかば、上くだん(件)の事一一に申けり。をさふらひ(御侍)にありける大名、小名、みす(翆簾)の内みなそで(袖)をしぼり(絞)けり。大将殿かぢわら(梶原)をめし(召)てをほせありける、大はし(橋)太郎というめしうど(囚人)まいらせよとありしかば、只今くび(頸)きらんとてゆいのはま(由比浜)へつかわし候ぬ。いまはきりてや候らんと申せしかば、このちご(児)御まへ(前)なりけれどもふしころびなき(泣)けり。をゝせ(仰)ありけるは、かぢわら(梶原)われとはしり(走)て、いまだ切ずばぐ(具)してまいれとありしかば、いそぎいそぎ(急急)ゆいのはま(由比浜)へはせ(馳)ゆく。いまだいたらぬに、よば(呼)わりけれは、すでに頸切とて刀をぬきたりけるときなりけり。さてかぢわら(梶原)をゝはし(大橋)の太郎をなわ(縄)つけながらぐ(具)してまいりて、をゝには(大庭)にひきすへ(引据)たりければ、大将殿このちご(児)にとらせよとありしかば、ちご(児)はしりをり(走下)てなわ(縄)をときけり。大はし(橋)の太郎はわが子ともしらず、いかなる事ゆへにたすかるともしらざりけり。さて大将殿又めし(召)てこのちご(児)にやうやう(様様)の御ふせ(布施)たび(給)て、をゝはし(大橋)の太郎をたぶ(給)のみならず、本領をも安堵ありけり。大将殿をほせ(仰)ありけるは、法華経の御事は昔よりさる御事とわききつたへ(聞伝)たれども、丸は身にあたりて二のゆへあり。一には故親父の御くび(頸)を大上(政)入道に切られてあさましともいうばかりなかりしに、いかなる神仏にか申べきとをもいしに、走湯山の妙法尼より法華経をよみつたへ千部と申せし時、たかを(高雄)のもんがく(文覚)房、をや(親)のくびをもち来てみせたりし上、かたき(敵)を打のみならず日本国の武士の大将を給てあり。これひとへに法華経の御利生なり。二にはこのちご(児)がをや(親)をたすけぬる事不思議なり。大橋の太郎というやつは頼朝きくわい(奇怪)なりとをもう。たとい勅宣なりともかへし(返)申てくび(頸)をきりてん。あまりのにくさ(憎)にこそ十二年まで、土のろう(牢)には入てありつるにかゝる不思議あり。されば法華経と申事はありがたき事なり。頼朝は武士の大将にて、多くのつみ(罪)をつもりてあれども、法華経を信じまいらせて候へば、さりともとこそをもへどなみだ(涙)ぐみ給けり。今の御心ざしみ候へば、故なんでうどの(南条殿)はただ子なればいとをし(愛)とわをぼしめしけるらめども、かく法華経をも(以)て我がけうやう(孝養)をすべしとはよもをぼしたらじ。たとひつみ(罪)ありていかなるところにをはすとも、この御けうやう(孝養)の心ざしをば、えんまほうわう(閻魔法皇)ぼんでん(梵天)たひしやく(帝釈)までもしろしめしぬらん。釈迦仏、法華経もいかでかすてさせ給べき。かのちご(児)のちゝ(父)のなわ(縄)をときしと、この御心ざしかれにたがわず。これはなみだ(涙)をもちてかきて候なり。又むくり(蒙古)のをこれるよしこれにはいまだうけ給らず。これを申せば日蓮房はむくり(蒙古)国のわたるといへばよろこぶと申す、これゆわれ(謂)なき事なり。かゝる事あるべしと申せしかば、あだがたき(仇敵)と人ごとにせめしが、経文かぎりあれば来なり。いかにいうともかなう(叶)まじき事なり。失もなくして国をたすけんと申せし者を用こそあらざらめ。又法華経の第五の巻をも(以)て日蓮がおもて(面)をうちしなり。梵天、帝釈是を御覧ありき。鎌倉の八幡大菩薩も見させ給き。いかにも今は叶まじき世にて候へば、かゝる山中にも入ぬるなり。各各も不便とは思へども助けがたくやあらんずらん。よるひる(夜昼)法華経に申候なり。御信用の上にも力もをし(惜)まず申せ給へ。あえてこれよりの心ざしのゆわき(弱)にはあらず。各各の御信心のあつくうすき(厚薄)にて候べし。たいし(大旨)は日本国のよき人人は、一定いけどりにぞなり候はんずらん。あらあさましや、あさましや。恐恐謹言。    後三月二十四日                    日蓮花押    南条殿御返事 (啓三四ノ二六。鈔二三ノ四七。語四ノ四八。拾七ノ二六。扶一三ノ二六。)