千日尼御前御返事
執筆年:弘安元
真筆あり
千日尼御前御返事(第四書)(青鳧書)
弘安元年閏十月。五十七歳作。
内一九ノ六一。遺二六ノ六。縮一八一四。類七七四。 青鳧一貫文、干飯一斗、種種の物給候畢ぬ。仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり。仏に漿をまひらせし老女は辟支仏と生れたり。法華経は十方三世の諸仏の御師なり。十方の仏と申すは東方善徳仏、東南方無憂徳仏、南方栴檀徳仏、西南方宝施仏、西方無量明仏、西北方華徳仏、北方相徳仏、東北方三乗行仏、上方広衆徳仏、下方明徳仏也。三世の仏と申すは過去荘厳劫の千仏、現在賢劫の千仏、未来星宿劫の千仏、乃至華厳経、法華経、涅槃経等の大小、権実、顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏、尽十方世界の微塵数の菩薩等も皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり。故に法華経の結経たる普賢経に云く「仏三種身従方等生」等云云。方等とは月氏の語、漢土には大乗と翻ず。大乗と申すは法華経の名也。阿含経は外道の経に対すれば大乗経。華厳、般若、大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経也。法華経に勝れたる経なき故に一大乗経也。例せば南閻浮提八万四千の国国の王王は、其国国にては大王と云ふ、転輪聖王に対すれば小王と申す。乃至六欲四禅の王王は大小に渡る。色界の頂の大梵天王独り大王にして、小の文字をつくる事なきがごとし。仏は子也、法華経は父母也。譬ば一人の父母に千子有て一人の父母を讃歎すれば千子悦をなす、一人の父母を供養すれば千子を供養するになりぬ。又法華経を供養する人は十方の仏、菩薩を供養する功徳と同じき也。十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故也。譬ば一の師子に百子あり、彼百子諸の禽獣に犯さるるに一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる。法華経は師子王の如し、一切の獣の頂とす。法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄、餓鬼、畜生等の百獣に恐るる事なし。譬ば女人の一生の間の御罪は諸乾草の如し、法華経の妙の一字は小火の如し。小火を衆艸につきぬれば衆艸焼亡ぶるのみならず、大木大石皆焼失せぬ。妙の一字の智火以て如此。諸罪消るのみならず、衆罪かへりて功徳となる、毒薬変じて甘露となる是也。譬ば黒漆に白物を入ぬれば白色となる。女人の御罪は漆の如し、南無妙法蓮華経の文字は白物の如し。人は臨終の時地獄に堕る者は黒色となる上、其身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺、八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、軟なる事兜羅緜の如し。佐渡の国より此国までは山海を隔てて千里に及び候に、女人の御身として法華経を志ましますによりて、年年に夫を御使として御訪あり。定て法華経、釈迦、多宝、十方の諸仏其御心をしろしめすらん。譬ば天月は四万由旬なれども、大地の池には須臾に影浮び、雷門の鼓は千万里遠けれども打ば須臾に聞ゆ。御身は佐渡の国にをはせども心は此国に来れり。仏に成る道も如此。我等は穢土に候へども心は霊山に住べし。御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ。いつか(早晩)いつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
恐恐謹言
弘安元年後十月十九日 日蓮花押
千日尼御前御返事
(啓二八ノ九五。鈔一八ノ一二。音下ノ二六。語三ノ三七。拾四ノ五〇。扶一〇ノ七三。)#0316-300. 四条金吾殿御返事(必仮心固神守則強書)弘安元(1278.閏10・22)
四条金吾殿御返事(四条第廿六書)(必仮心固神守則強御書)
弘安元年十月。五十七歳作。
外二ノ二。遺二六ノ八。縮一八一七。類九〇一。 今月二十二日信濃より送られ候し物の日記。銭三貫文、白米、能米俵一、餅五十枚、酒大筒一、小筒一、串柿五把、柘榴十。
夫王は民を食とし民は王を食とす。衣は寒温をふせぎ、食は身命をたすく。譬ば油の火を継ぎ水の魚を助くるがごとし。鳥は人の害せん事を恐れて木末に巣くふ。然れども食のために地にをり(下)てわなにかゝる。魚は淵の底に住て浅き事を悲みて、穴を水の底に掘てすめども餌にばかされて釣をのむ。飲食と衣薬とに過たる人の宝や候べき。而るに日蓮は佗人にことなる上、山林の栖、就中今年は疫癘、飢渇に春夏はすごし、秋冬は又前にも過たり。又身に当て所労大事になりて候つるを、かたがたの御薬と申し、小袖、彼しなじなの御治法にやうやう験候て、今所労平癒し本よりもいさぎよくなりて候。弥勒菩薩の瑜伽論、龍樹菩薩の大論を見候へば、定業の者は薬変じて毒となる、法華経は毒変じて薬となると見えて候。日蓮不肖の身に法華経を弘めんとし候へば天魔競ひて食をうばはんとする歟と思て、不歎候つるに今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入替らせ給て御たすけ候歟、是はさてをきぬ。今度の御返りは神を失ひて歎き候つるに事故なく鎌倉に御帰候事、悦いくそばくぞ。あまりのおぼつかなさに鎌倉より来る者ごとに問候つれば、或人は湯本にて行合せ給と云ひ、或人はこふづ(国府津)にと、或人は鎌倉にと申候しにこそ、心落居て候へ。是より後はおぼろげならずは御渡りあるべからず。大事の御事候はば御使にて承り候べし。返す返す今度の道はあまりにおぼつかなく候つるなり。敵と申者はわすれさせてねらうものなり。是より後に若やの御旅には御馬をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ。又供の者どもせん(詮)にあひぬべからんもの、又どうまろ(胴丸)もちあげぬべからん。御馬にのり給べし。摩訶止観第八に云。弘決第八に云「必ず心の固きに仮て神の守り則強し」云云。神護ると申も人の心つよきによるとみえて候。法華経はよきつるぎ(剣)なれども、つかう人によりてものをきり候か。されば末法に此経をひろめん人人、舎利弗と迦葉と観音と妙音と文殊と薬王と此等程の人やは候べき。二乗は見思を断じて六道を出でて候、菩薩は四十一品の無明を断じて十四夜の月のごとし。然れども此等の人人にはゆずり給はずして地涌の菩薩に譲り給へり。さればよくよく心をきたは(鍛)せ給にや。李広将軍と申せしつはものは虎に母を食れて虎にに(似)たる石を射しかば、其矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立事なし。後には石虎将軍と申き。貴辺も又かくのごとく、敵はねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消候歟。是につけてもよくよく御信心あるべし。委く紙には尽しがたし。恐恐謹言。
後十月二十二日 日蓮花押
四条左衛門殿御返事
(微上ノ六。考二ノ一。)