伯耆殿御返事

執筆年:弘安二
伯耆殿御返事(門弟第三十三書)(原文漢文)      弘安二年十月。五十八歳作。与伯耆殿、日秀、日弁書。      縮、続一九九。類一七〇一。 大体此趣を以て書き上ぐべきか。但し熱原の百姓等安堵せしめば、日秀等別に問注有るべからざるか。大進房、弥藤次入道等の狼藉の事に至りては、源行智の勧に依りて殺害刃傷する所なり。若し又起請文に及ぶべき事、之を申さば僉めて書くべからず。其故は人に殺害刃傷せられたる上、重ねて起請文を書き失を守らば、古今未曽有の沙汰なり。其上行智の所行書かる如くならば、身を容るゝ処なく行ふべきの罪方なきか、穴賢、穴賢。此旨を存し問注の時強強と之を申すは、定めて上聞に及ぶべきか、又行智証人を立て申さば、彼等の人人行智と同意して、百姓等が田畠数十苅り取る由之を申し、若し又証文を出さば、謀書の由之を申せ。悉く証人の起請文を用ゆべからず。但し現証の殺害刃傷のみ、若し其義に背く者は日蓮の門家に非ず候。恐恐。   弘安二年十月十二日             日蓮花押  伯耆殿      日秀      日弁 等下