与建長寺道隆書
執筆年:文永五
夫れ、仏閣軒を並べ法門屋に拒る。仏法の繁栄は身毒・尸那に超過し、僧宝の形儀は六通の羅漢の如し。
然りと雖も、一代諸経に於て未だ勝劣浅深を知らず。併せながら禽獣に同じ。忽ち三徳の釈迦如来を抛ち、他方の仏菩薩を信ず。是れ豈に逆路伽耶陀の者に非ずや。念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説と云云。
爰に、日蓮去る文応元年之比、之を勘へたるの書を立正安国論と名づく。宿屋入道を以て故最明寺殿に奉りぬ。
此の書の所詮は、念仏・真言・禅・律等の悪法を信ずる故に、天下に災難頻りに起こり、剰へ他国より此の国を責めらるべき之由、之を勘へたり。
然而るに去る正月十八日、牒状到来すと。日蓮が之を勘へたる所に少しも違わず普合せしむ。諸寺諸山の祈祷威力滅する故歟。将た又、悪法の故なる歟。
鎌倉中の上下万人、道隆聖人をば仏の如く之を仰ぎ、良観聖人をば羅漢の如く之を尊む。其の外、寿福寺・多宝寺・浄光明寺・長楽寺・大仏殿の長老等は我慢心充満 未得謂為得の増上慢の大悪人なり。何ぞ蒙古国の大兵を調伏せしむべけん乎。
剰へ日本国中の上下万人、悉く生取りと成るべく、今世には国を亡ぼし、後世は必ず無間に堕せん。日蓮が申す事を御用ひ無くんば、後悔、之有るべし。
此の趣、鎌倉殿・宿屋入道殿・平左衛門尉殿等へ之を進状せしめ候。一処に寄り集まりて御評議有るべく候。
敢えて日蓮が私曲之義に非ず。只、経論の文に任す之処也。具さには紙面に載せ難し。併せながら対決之時を期す。書は言を尽くさず。言は心を尽くさず。恐恐謹言。
文永五年[戊辰]十月十一日 日 蓮花押
進上 建長寺道隆聖人 持者御中