上野殿御返事

執筆年:弘安四
真筆あり
上野殿御返事(上野第卅四書)      弘安四年三月。六十歳作。      外八ノ七。遺三〇ノ五。縮二〇四九。類一〇一五。 蹲鴟一俵給畢ぬ。又かうぬし(神主)のもとに候御乳、塩一疋並に口付一人候。さては故五郎殿の事はそのなげき(歎)ふり(古)ずとおもへども、御けさん(見参)ははるか(遥)なるやうにこそおぼえ候へ。なをもなを(尚尚)も法華経をあだ(怨)む事はたえ(絶)つとも見候はねば、これよりのちもいかなる事か候はんずらめども、いままでこらへ(堪)させ給へる事まことしからず候。仏の説ての給はく「火に入てやけぬ者はありとも大水に入てぬれ(濡)ぬ者はありとも、大山は空へとぶとも、大海は天へあがるとも、末代悪世に入ば須臾の間も法華経は信じがたき事」にて候ぞ。徽宗皇帝は漢土の主じ、蒙古国にからめとられさせ給ぬ。隠岐法王は日本国のあるじ、右京の権大夫殿にせめられさせ給て島にてはて(果)させ給ぬ。法華経のゆへにてだにもあるならば即身に仏にもならせ給なん。わづかの事には身をやぶり命をすつれども、法華経の御ゆへにあやし(少)のとが(科)にあたらんとおもふ人は候はぬぞ。身にて心み(試)させ給候ぬらん。たうとし(尊)たうとし。恐恐謹言。   三月十八日                日蓮花押    上野殿御返事 (考三ノ四三。)