上野殿御返事

執筆年:弘安元
上野殿御返事(上野第十九書)(法要書)(与南条氏書)      弘安元年四月。五十七歳作。      内三二ノ二〇。遺二四ノ四六。縮一七一四。類七二八。 白米一斗、いも(芋)一駄、こんにやく(蒟蒻)五枚、わざ(態)と送給候畢ぬ。なによりも石河の兵衛入道殿のひめ(姫)御前の度度御ふみ(文)をつかはしたりしが、三月の十四五やげ(夜比)にて候しやらむ御ふみ(文)ありき。この世中をみ候に病なき人もこねん(今年)なんどをすぐべしとみへ候はぬ上、もとより病ものにて候が、すでにきう(急)になりて候。さいご(最後)の御ふみ也とかかれて候しが、さればつい(終)にはか(果敢)なくならせ給ぬるか。臨終に南無阿弥陀仏と申あはせて候人は、仏の金言なれば一定の往生とこそ人も我も存候へ。しかれどもいかなる事にてや候けん、仏のくひ(悔)かへさせ給て「未顕真実正直捨方便」ととかせ給て候があさましく候ぞ。此を日蓮が申候へばそら(虚)事うわのそらなりと日本国にはいかられ候。此のみならず仏の小乗経には十方に仏なし、一切衆生に仏性なしととかれて候へども、大乗経には十方に仏まします。一切衆生に仏性ありととかれて候へば、たれか小乗経を用候べき。皆大乗経をこそ信じ候へ。此のみならずふしぎ(不思議)のちがひめ(違目)ども候ぞかし。法華経は釈迦仏已今当の経経を皆くひ(悔)かへしうちやぶりて、此経真実也ととかせ給て候しかば、御弟子等用事なし。爾時多宝仏証明をくわへ、十方の諸仏舌を梵天につけ給き。さて多宝仏はとびら(扉)をたて、十方の諸仏は本土にかへらせ給て後は、いかなる経経ありて法華経を釈迦仏やぶらせ給とも、佗人わえ(和会)になりてやぶりがたし。しかれば法華経已後経経の普賢経、涅槃経等には法華経をばほむる(讃)事はあれどもそしる事なし。而を真言宗の善無畏等、禅宗の祖師等此をやぶり。日本国皆此事を信じぬ。例せば将門、貞任なんどにかたらはれし人人のごとし。日本国すでに釈迦、多宝、十方の仏の大怨敵となりて数年になり候へば、やうやくやぶれゆくほどに、又かう申者を御あだみあり。わざはひ(禍)にわざはひのならべるゆへに、此国土すでに天のせめ(責)をかほり(蒙)候はんずるぞ。此人は先世の宿業か、いかなる事ぞ臨終に南無妙法蓮華経と唱させ給ける事は、一眼のかめ(亀)の浮木の穴に入り、天より下すいと(糸)の大地のはり(針)の穴に入がごとし。あらふしぎ(不思議)ふしぎ。又念仏は無間地獄に堕ると申事をば経文に分明なるをばしらずして、皆人日蓮が口より出たりとおもへり。天はまつげ(睫毛)のごとしと申はこれなり。虚空の遠とまつげの近きと人みなみる事なり。此尼御前は日蓮が法門だにひが(僻事)に候はば、よも臨終には正念には住し候はじ。又日蓮が弟子等の中になかなか法門しりたりげに候人人はあしく候げに候。南無妙法蓮華経と申は法華経の中の肝心、人の中の神のごとし。此にもの(物)をならぶ(並)れば、きさき(后)のならべて二王をおとこ(男)とし、乃至きさき(后)の大臣已下になひなひ(内々)とつぐ(嫁)がごとし。わざはひ(禍)のみなもと(源)なり。正法、像法には此法門をひろめ(弘)ず、余経を失はじがため也。今末法に入ぬれば余経も法華経もせん(詮)なし、但南無妙法蓮華経なるべし。かう申出して候もわたくし(私)の計にはあらず、釈迦、多宝、十方諸仏、地涌千界の御計也。此南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へばゆゆしき(由由敷)ひが(僻)事也。日出ぬればとほしび(灯)せん(詮)なし。雨のふるに露なにのせん(詮)かあるべき。嬰児に乳より外のものをやしなう(養)べき歟。良薬に又薬を加ぬる事なし。此女人はなにとなけれども、自然に此義にあたりて、しををせる(為遂)なり。たうとしたうとし。恐恐謹言。  四月一日                  日蓮花押  上野殿御返事 (啓三四ノ二三。鈔二三の四五。語四ノ四七。拾七ノ二五。扶一三ノ二三。)