上野殿御返事

執筆年:弘安二
真筆あり
上野殿御返事(上野第廿五書)(報南条治郎房書)      弘安二年四月。五十八歳作。      外五ノ二。遺二六ノ二八。縮一八三九。類六〇〇。 抑日蓮種種の大難の中には、龍口の頸の座と東条の難にはすぎず。其故は諸難の中には命をすつる程の大難はなきなり。或はのり(罵)せめ、或は処をおわれ、無実を云つけられ、或は面をうたれしなどは物のかずならず。されば色心の二法よりをこりてそしられ(謗)たる者は、日本国の中には日蓮一人也。ただしありとも法華経の故にはあらじ。さてもさてもわすれ(忘)ざる事は、せうばう(少輔房)が法華経の第五の巻を取て日蓮がつら(面)をうちし事は、三毒よりをこる処のちやうちやく(打擲)なり。天竺に嫉妬の女人あり。男をにくむ故に家内の物をことごとく打やぶり、其上にあまりの腹立にや、すがたけしき(姿気色)かわり、眼は日月の光のごとくかがやき(輝)、くちは炎ををはく(吐)がごとし。すがた(姿)は青鬼赤鬼のごとくにて年来男のよみ奉る法華経の第五の巻をとり、両の足にてさむざむ(散々)にふみける。其後命つきて地獄にをつ。両の足ばかり地獄にいらず、獄卒鉄杖をもつてうてどもいらず、是は法華経をふみし逆縁の功徳による。今日蓮をにくむ故にせうばう(少輔房)が第五の巻を取て予がをもて(面)をうつ、是も逆縁となるべきか。彼は天竺此は日本。かれは女人、これはをとこ。かれは両のあし、これは両の手。彼は嫉妬の故、此は法華経の御故也。されども法華経の第五の巻はをなじきなり。彼女人のあし(足)地獄に入ざらんに此両の手無間に入るべきや。ただし彼は男をにくみて法華経をばにくまず、此は法華経と日蓮とをにくむなれば一身無間に入るべし。経に云「其人命終入阿鼻獄」と云云。手ばかり無間に入るまじとは見へず、不便なり不便なり。ついには日蓮にあひて仏果をうべき歟。不軽菩薩の上慢の四衆のごとし。夫第五の巻は一経第一の肝心なり。龍女が即身成仏あきらかなり。提婆はこゝろの成仏をあらはし、龍女は身の成仏をあらはす。一代に分絶たる法門也。さてこそ伝教大師は法華経の一切経に超過して勝れたる事を十あつめ給たる中に、即身成仏化導勝とは此事也。此法門は天台宗の最要にして即身成仏義と申て文句の義科也。真言、天台の両宗の相論なり。龍女が成仏も法華経の功力也。文殊師利菩薩は「唯常宣説妙法華経」とこそかたらせ給へ、唯常の二字は八字の中の肝要也。菩提心論の「唯真言法中」の唯の字と、今の唯の字といづれを本とすべきや。彼の唯の字はをそらくはあやまり也。無量義経に云「四十余年未顕真実」。法華経に云「世尊法久後要当説真実」。多宝仏は「皆是真実」とて法華経にかぎりて即身成仏ありとさだめ給へり。爾前経にいかやうに成仏ありともとけ(説)、権宗の人人無量にいひくるふ(言狂)とも、ただほうろく(炮烙)千につち(槌)一なるべし。法華折伏破権門理とはこれなり。尤もいみじく秘奥なる法門也。又天台の学者慈覚よりこのかた玄、文、止の三大部の文をとかくれうけん(料簡)し義理をかまう(構)とも、去年のこよみ(暦)昨日の食のづとし、けう(今日)の用にならず。末法の始の五百年に法華経の題目をはなれて成仏ありといふ人は、仏説なりとも用ゆべからず。何に況や人師の義をや。爰に日蓮思ふやう、提婆品を案ずるに提婆は釈迦如来の昔の師なり。昔の師は今の弟子なり、今の弟子はむかしの師なり。古今能所不二にして法華の深意をあらはす。されば悪逆の達多には慈悲の釈迦如来師となり。愚痴の龍女には智慧の文殊師となり。文殊、釈迦如来にも日蓮をとり(劣)奉るべからざる歟。日本国の男は提婆がごとく、女は龍女にあひに(相似)たり、逆順ともに成仏を期すべきなり。是提婆品の意なり。次に勧持品に八十万憶那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり。誰か出でて日本国、唐土、天竺三国にして仏滅後によみたる人やある。又我よみたりとなるのる(名乗)べき人なし。又あるべしとも覚へず。「及加刀杖」の刀杖の二字の中にもし杖の字にあう人はあるべし。刀の字にあひたる人をきかず。不軽菩薩は「杖木瓦石」と見たれば杖の字にあひぬ、刀の難はきかず。天台、妙楽、伝教等は「刀杖不加」と見たれば、是又かけ(欠)たり。日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ。剰へ刀の難は前に申がごとく東条の松原と龍口となり。一度もあう人なきなり、日蓮は二度あひぬ。杖の難にはすでにせうばう(少輔房)につら(面)をうたれしかども第五の巻をも(以)てうつ。うつ杖も第五の巻、うたるべと云経文も五の巻、不思議なる未来記の経文也。さればせうばう(少輔房)に日蓮数十人の中にしてうたれし時の心中には、法華経の故とはをもへども、いまだ凡夫なればうたて(無情)かりける間、つえ(杖)をもうばひ(奪)ちから(力)あるならばふみをり(踏折)すべきことぞかし。然れどもつえは法華経の五の巻にてまします。いまをもひいで(思出)たる事あり。子を思ふ故にやをや(親)つぎ(槻)の木の弓をも(以)て学文せざりし子にをしへ(教)たり。然る間此子うたて(無情)かりしは父、にく(憎)かりしはつぎ(槻)の木の弓。されども終には修学増進して自身得脱をきわめ、又人を利益する身となり、立還て見るればつぎ(槻)の木をも(以)て我をうち(打)し故也。此子そとば(卒堵婆)に此木をつくり父の供養のためにたて(立)てむけり(手向)と見へたり。日蓮も又かくの如くあるべき歟。日蓮仏果をえむに争かせうばう(少輔房)が恩をすつべきや。何に況や法華経の御恩の杖をや。かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへ(措)がたし。又涌出品は日蓮がためにはすこしよみある品也。其故は上行菩薩等の末法に出現して、南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり。しかるに先日蓮一人出来す。六万恒沙の菩薩よりさだめて忠賞をかほる(蒙)べしと思へばたのもしき事也。とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ。殿一人にかぎるべからず、信心をすゝめ給て過去の父母等をすくわせ(救)給へ。日蓮生れし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此法華経の題目を弘めんと思ばかりなり。相かまへて相かまへて自佗生死はしらねども、御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならずむかい(迎)にまいり候べし。三世の諸仏の成道はねうし(子丑)のをわり、とら(寅)のきざみ(刻)の成道也。仏法の住処、鬼門の方に三国ともにたつなり。此等は相承の法門なるべし。委くは又又申すべく 候。恐恐謹言。  かつへて食をねがひ、渇して水をしたがうがごとく、恋て人を見たきがごとく、病にくすり(薬)をたのむがごとく、みめかたちよき人べに(紅)しろいもの(粉)をつくるがごとく、法華経には信心をいたさせ給へ。さなくしては後悔あるべし云云。  弘安二年己卯卯月二十日             日蓮花押  上野殿御返事 (微上ノ一六。考三ノ一。)