上野殿御返事
執筆年:建治四
上野殿御返事(上野第十八書)(蹲鴟書)(報南条氏書)
建治四年二月。五十七歳作。
外五ノ二四。遺二四ノ四一。縮一七〇九。類九八九。 蹲鴟、くしがき(串柿)、焼米、栗、たかんな(筍)、すづつ(酢筒)給候畢ぬ。月氏に阿育大王と申す王をはしき。一閻浮提四分の一をたなごころ(掌)ににぎり(握)、龍王をしたがへ(随)て雨を心にまかせ、鬼神をめしつかひ(召使)給き。始は悪王なりしかども後には仏法に帰し、六万人の僧を日日に供養し、八万四千の石の塔をたて給ふ。此大王の過去をたづぬれば、仏在世に徳勝童子、無勝童子とて二人のをさなき(幼)人あり。土の餅を仏に供養し給て一百年の内に大王と生たり。仏はいみじしといへども法華経にたい(対)しまいらせ候へば蛍火と日月との勝劣、天と地との高下なり。仏を供養してかゝる功徳あり、いわうや法華経をや。土のもちい(餅)をまいらせてかゝる不思議あり。いわうやすず(種種)のくだ(果)物をや。かれはけかち(飢渇)ならずいまはうへたる国也。此をもん(以)てをもふに、釈迦仏、多宝仏、十羅刹女いかでかまほら(守)せ給はざるべき。抑今の時法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり、或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつ(燃立)ばかりをもへども、とほ(遠)ざかりぬればすつる心あり。水のごとくと申はいつもたい(退)せず信ずる也。此はいかなる時もつね(常)はたい(退)せずとわ(問)せ給ば、水のごとく信ぜさせ給へる歟。たうとし(貴)たうとし。まこと(実)やらむ、いえ(家)の内にわづらひ(煩)の候なるは、よも鬼神のそい(所為)には候はじ、十らせち(羅刹)女の信心のぶんざい(分際)を御心みぞ候らむ。まことの鬼神ならば法華経の行者をなやまし(悩)て、かうべ(頭)をわらんとをもふ鬼神の候べき歟。又釈迦仏法華経の御そら(虚)事の候べきかと、ふかくをぼしめし候へ。恐恐謹言。
二月廿五日 日蓮花押
(微上ノ一四。考三ノ九。)