顕立正意鈔
顕立正意鈔(原文漢文)
文永十一年十二月。五十三歳著。
内一三ノ二五。遺一六ノ四五。縮一〇七三。類四九六 日蓮去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日、大地震を見て之を勘へ定めて、書ける立正安国論に云く「薬師経の七難の内、五難忽ちに起つて二難猶残れり。所以佗国侵逼難、自界叛逆難なり。大集経の三災の内、二災早く顕れ、一災未だ起らず所以兵革の災なり。金光明経の内の種種の災禍一一起ると雖も、佗方の怨賊国内を侵掠する此の災未だ露れず、此の難未だ来らず。仁王経の七難の内、六難今盛にして一難未だ現ぜす。所以四方より賊来つて国を侵すの難なり。加之国土乱れん時は先づ鬼神乱れ、鬼神乱るるが故に万民乱ると。今此文に就いて具に事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡びぬ。先難是明かなり。後災何ぞ疑はん。。若し残る所の難、悪法の科に依つて並び起り競ひ来らば其の時何とせんや。帝王は国家を基として天下を治む。人臣は田園を領して世上を保つ。而るに佗方より賊来て而も此国を侵逼し、自界叛逆して此の地を掠領せば、豈に驚かざらんや、豈に騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん」等云云已上立正安国論の言。今日蓮重ねて記して云く、大覚世尊記して云く「苦得外道有七日可死、死後生於食吐鬼。苦得外道言、七日内不可死、我得羅漢不生餓鬼道」等云云。「瞻婆城長者婦懐妊六師外道云、生於女子、仏記云、生於男子」等云云。仏記して云く「卻後三月我当般涅槃」等云云。一切の外道云く、是妄語なり等云々。仏の記の如く二月十五日に般涅槃し給ふ畢ぬ。法華経の第二に云く「舎利弗汝於未来世過無量無辺不可思議劫○当得作仏号曰華光如来」等云云。又第三の巻に云く「我此弟子摩訶迦葉於未来世当得奉観三百万億乃至於最後身得成為仏名曰光明如来」等云云三巻。又第四の巻に曰く「又如来滅度之後、若有人聞妙法華経乃至一偈一句、一念随喜者、我亦与授阿耨多羅三藐三菩提記」等云云。此等の経文は仏未来世の事を記し給ふ。上に挙ぐる所の苦得外道等の三事、普(符)合せずんば誰か仏語を信ぜん。設ひ多宝仏、証明を加え、分身の諸仏、長舌を梵天に付け給ふとも信用し難きか。今亦以て是の如し。設ひ日蓮富楼那の弁を得て、目連の通を現ずとも、勘ふる所当らずんば誰か之を信ぜん。去る文永五年に蒙古の牒状、渡来する所をば我が朝に賢人あらば、之を怪むべし。設ひ其を信ぜずとも、去る文永八年九月十二日、御勘気を蒙りしの時吐く所の強言、次の年二月十一日に普(符)合せしむ。情あらん者は之を信ずべし。何に況や今年既に彼の国災兵の上二箇国を奪ひ取る。設ひ木石たりと雖も、設ひ禽獣たりと雖も感ずべく驚くべきに、偏に只事に非ず。天魔の国に入りて酔へるが如く狂へるが知く、歎くべし哀むべし、恐るべし厭ふべし。又立正安国論に云く「若し執心翻らずして亦曲意猶ほ存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕せん」等云云。今普合するを以て未来を案ずるに、日本国上下万人阿鼻大城に堕せんこと大地を的とせん。此等は且く之を置く、日蓮が弟子等又此の大難脱れ難きか。彼の不軽軽毀の衆は現身に信伏随従の四字を加ふれども、猶ほ先謗の強きに依って先づ阿鼻大城に堕して千劫をば経歴して大苦悩を受く。今日蓮が弟子等も亦是の如し。或は信じ或は伏し或は従い随ひ或は従ふ。但名のみ之を仮て心中に染みず、信心薄き者は設ひ千劫をば経ずとも、或は一無間或は二無間、乃至十百無間疑ひなからん者か。是を免れんと欲せば、各薬王楽法の如く臂を焼き皮を剥ぎ、雪山国王等の如く身を投げ心を仕へよ。若し爾らずんば五体を地に投げ、偏身に汗を流せ。若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め。若し爾らずんば奴婢と為て持者に奉へよ。若し爾らずんば等云云。四悉檀を以て時に適ふのみ。我が弟子の中にも信心薄淡者は臨終の時阿鼻獄を現ぜん。其時我を恨むべからず等云云。
文永十一年太歳甲戌十二月十五日 日蓮花押