金吾殿御返事

執筆年:文永七
真筆あり
止観の五、正月一日よりよみ候て、現世安穏後生善処と祈請仕り候。便宜に給うべく候。本末は失せて候しかども、これにすり(修理)させて候。多く本入るべきに申し候。  大師講鵞目五連給い候了んぬ。此の大師講三四年に始めて候が、今年は第一にて候つるに候。  抑そも此の法門之事、勘文の有無に依って弘まるべきか、之弘まらざるべき歟。去年方々に申して候しかども、いなせ(否応)の返事候わず候。今年十一月之比、方々へ申し候えば少々返事あるかたも候。おおかた人の心もやわらぎて、さもやとおぼしたりげに候。又上のけさん(見参)にも入って候やらむ。これほどの僻事申して候えば、流死の二罪の内は一定と存ぜしが、いままでなにと申す事も候わぬは不思議とおぼえ候。いたれる道理にて候やらむ。又自界叛逆難の経文も値うべきにて候やらむ。山門なんどもいにしえにも百千万億倍すぎて動揺とうけ給わり候。それならず子細ども候やらん。震旦高麗すでに禅門念仏になりて、守護の善神の去るかの間、彼の蒙古に聳〈したがい〉候ぬ。我が朝又此の邪法弘まりて、天台法華宗を忽諸〈ゆるがせ〉のゆえに、山門安穏ならず、師檀違反の国と成り候ぬれば、十が八九はいかんがとみえ候。人身すでにうけぬ。邪師又まぬがれぬ。法華経のゆえに流罪におよびぬ。今死罪に行われぬこそ本意ならず候え。あわれさる事の出来し候えかしとこそはげみ候て、いたづらに曠野にすてん身を、同じくは一乗法華のかたになげて、雪山童子・薬王菩薩の跡をおい、仙豫・有得の名を後代に留めて、法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところ也。南無妙法蓮華経。 十一月二十八日 日 蓮 花押 御返事