道妙禅門御書
執筆年:建治二
道妙禅門御書(各別書)(原文漢文)
建治二年八月。五十五歳作。
外一三ノ一一。遺二二ノ四。縮一五一六。類一六九五。 御親父祈祷の事承はり候間、仏前にて祈念申すべく候。祈祷に於ては顕祈顕応、顕祈冥応、冥祈冥応、冥祈顕応の祈祷ありと雖も、只肝要は此経の信心を致し給ひ候はゞ、現当の所願満足あるべく候。法華第三に云く「雖有魔及魔民皆護仏法」。第七に云く「病即消滅不老不死金言不可疑之」。妙一尼御前当山参詣有り難く候。巻物一巻之を進らせ候披見有るべく候。南無妙法蓮華経。
建治二年丙子八月十日 日蓮花押
道妙禅門
(考四ノ四九。)#0228-300 四条金吾殿御返事(有知弘正法事)建治二(1276.09・06)
四条金吾殿御返事(四条第十五書)(有知弘正法事)
建治二年九月。五十五歳作。
内一七ノ三〇。遺二二ノ五。縮一五一七。類八七五。 正法をひろむる事は必ず智人によるべし。故に釈尊は一切経をとかせ給て小乗経をば阿難、大乗経をば文殊師利、法華経の肝要をば一切の声聞、文殊等の一切の菩薩をきらひて上行菩薩をめして授させ給き。設ひ正法を持てる智者ありとも、檀那なくんば争か弘るべき。然ば釈迦仏の檀那は梵王、帝釈の二人なり。これは二人ながら天の檀那なり。仏は六道の中には人天、人天の中には人に出させ給ふ。人には三千世界の中央五天竺、五天竺の中には摩竭提国に出させ給て候しに、彼国の王を檀那とさだむべき処に彼国の阿闍世王は悪人なり。聖人は悪王に生れあふ事、第一の怨にて候しぞかし。阿闍世王は賢王なりし父をころす、又うちそう(添)わざはひと提婆達多を師とせり。達多は三逆罪をつくる上、仏の御身より血を出したりし者ぞかし。不孝の悪王と謗法の師とよりあひて候しかば、人間に二のわざはひにて候しなり。一年、二年ならず、数十年が間仏にあだをなしまいらせ、仏の御弟子を殺せし事数をしらず、かゝりしかば天いかりをなして天変しきりなり、地神いかりをなして地夭申に及ばず。月月に悪風、年年に飢饉、疫癘来て万民ほとんどつきなんとせし上、四方の国より阿闍世王を責む。既にあやうくなりて候し程に、阿闍世王或は夢のつげにより或は耆婆がすゝめにより、或は心にあやしむ事ありて、提婆達多をばうち捨て仏の御前にまいりて、やうやう(様々)にたいはう(怠報)申せしかば身の病忽にいえ、他方のいくさも留り国土安穏になるのみならず、三月の七日に御崩御なるべかりしが命をのべて四十年なり。千人の阿羅漢をあつめて、一切経ことに法華経をかきをかせ給き。今我等がたのむところの法華経は阿闍世王のあたへさせ給ふ御恩なり。是はさてをきぬ。仏の阿闍世王にかたらせ給し事を日蓮申ならば、日本国の人は今つくれる事どもと申さんずらんなれども、我が弟子、檀那なればかたり(語)たてまつる。仏言く、我滅後末法に入て又調達がやうなるたうとく五法を行ずる者国土に充満して、悪王をかたらひて但一人あらん智者を或はのり、或はうち或は流罪或は死に及ぼさん時、昔にもすぐれてあらん天変地夭、大風、飢饉、疫癘年年にありて他国より責べしと説れて候。守護経と申す経の第十の巻の心なり。当時の世にすこしもたがはず、然に日蓮は此一分にあたれり。日蓮をたすけんと心ざす人人少少ありといへども或は心ざしうすし。或は心ざしはあつけれども身がうご(合期)せず、やうやう(様々)にをはするに御辺は其一分なり。心ざし人にすぐれてをはする上、わづかの身命をささう(支)るも又御故なり。天もさだめてしろしめし地もしらせ給ぬらん。殿いかなる事にもあはせ給ならば、ひいへに日蓮がいのちを天のたたせ(断)給なるべし。人の命は山海空市まぬかれがたき事と定て候へども、又「定業亦能転」の経文もあり。又天台の御釈にも定業をのぶる釈もあり。前に申せしやうに蒙古国のよするまでつゝしませ給なるべし。主の御返事をば申させ給べし。身に病ありては叶がたき上、世間すでにかうと見え候。それがしが身は時によりて憶病はいかんが候はんずらん。只今の心はいかなる事も出来候はば、入道殿の御前にして命をすてんと存候。若やの事候ならば越後よりはせ上らんは、はるか(遥)なる上不定なるべし。たとひ所領をめさるるなりとも今年はきみをはなれ(離)まいらせ候べからず。是より外はいかに仰せ蒙るともをそれまいらせ候べからず。是よりも大事なる事は日蓮の御房の御事と、過去に候父母の事なりとのゝしらせ給へ。すてられまいらせ候とも命はまいらせ候べし。後世は日蓮の御房にまかせまいらせ候と、高声にうちなのり居させ給へ。
建治二年丙子九月六日
日蓮花押
四条金吾殿
(啓二四ノ七〇。鈔一七ノ二六。註一八ノ六。語三ノ二〇。拾四ノ一六。扶一〇ノ二一)