観心本尊得意鈔

執筆年:建治元
観心本尊得意鈔(富木第十九書)      建治元年十一月。五十四歳作。      内三九ノ二八。遺一九ノ七〇。縮一三三〇。類一三一一。  鵞目一貫文、厚緜の白小袖一、筆十管、墨五丁給畢ぬ。  身延山は知食が如く冬は嵐はげしく、ふり積雪は消えず。極寒の処にて候間昼夜の行法も、はだ(膚)うすにては堪がたく辛苦にて候に。此小袖を著ては思あるべからず候也。商那和修は付法蔵の第三の聖人也。此因位を仏説て云「乃往過去に病の比丘に衣を与ふる故に生生世世に不思議自在の衣を得たり」。今御小袖は彼に似たり、此功徳は日蓮は之を知るべからず、併ながら釈迦仏に任せ奉り畢ぬ。抑も御状に云く、教信の御房、観心本尊鈔の未得道教等の文字に付て、迹門を読まじと疑心の候なる事、不相伝の僻見にて候歟。去る文永年中に此書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが。後其通を以て御教訓有るべく候。所詮在在所所に迹門を捨よと書て候事は、今我等が読所の迹門にては候はず、叡山天台宗の過時の迹を破して候也。設ひ天台、伝教の如く法のまゝに弘通ありとも、今末法に至ては去年の暦の如し。何に況や慈覚より以来、大小、権実に迷ふて大謗法に同ずるをや。此の間像法の時の利益も之なし、増して末法に於けるをや。一北方の能化難じて云、爾前の経をば未顕真実と捨ながら、安国論には爾前経を引、文証とする事自語相違と云ふ不審の事前前申せしごとし。総じて一代聖教を大に分て二と為す。一には大綱二には網目也。初の大綱とは成仏得道の教也。成仏得道の教とは唯法華経也。次に網目とは法華已前の諸経也。彼諸経等は不成仏の教也。成仏得道の文言之を説くと雖も但だ名字のみ有つて其の実義は法華に之あり。伝教大師の決権実論に云く「権智の所作は唯名のみ有て実義有ること無し」云云。但権教に於ても成仏得道の外、説相虚しかるべからず。法華の為の網目なるが故に。所詮成仏の大綱をば法華に之を説ども其余の網目は衆典に之を明す。法華の為めの網目なるが故に法華の証文に之を引き用ゆべき也。其上法華経にて実義あるべきを、爾前の経にして名字計ののしること全く法華の為め也。然る間尤法華の証文となるべし。問、法華を大綱とする証如何。答ふ、天台云「当に知るべし、此経は唯如来説教の大綱を論じて網目を委細にせざる也」。問、爾前を網目とする証文如何。答ふ、妙楽の云く「皮膚毛綵衆典に出在せり」文。問ふ、成仏は法華に限ると云ふ証如何。答ふ、経に云く「唯有一乗法無二亦無三」文。問ふ、爾前は法華の為との証如何。答ふ、経に云く「雖示種種道為仏乗」。委細申し度く候と雖も心地違例して候程省略せしめ候。恐恐謹言。   十一月二十三日                 日蓮花押    富木殿御返事   帥殿の物語しは、下総に目連樹と云ふ木の候よし申し候し。其木の根をほりて十両ばかり、両方の切目には焼金を宛てて、紙にあつく(厚)つゝみて風ひかぬ様にこしらへ(拵)て、大夫次郎が便宜に給候べきよし御伝あるべく候。 (啓三六ノ九四。鈔二五ノ七五。語五ノ三六。音下ノ四六。拾八ノ三六。扶一五ノ四五)