蓮盛鈔(禅宗問答鈔)

建長七(1255)

 禅宗云く 涅槃時世尊登座 拈華示衆。迦葉破顔微笑〔涅槃の時、世尊座に登り、拈華して衆に示す。迦葉、破顔微笑せり〕。仏言く 吾有正法眼蔵涅槃妙心実相無想微妙法門。不立文字、教外別伝、付属摩訶迦葉而已〔吾に正法眼蔵涅槃妙心実相無想微妙の法門有り。文字を立てず、教外に別伝し、摩訶迦葉に付属するのみ〕。
 問て云く 何なる経文ぞや。
 禅宗答て云く 大梵天王問仏決疑経の文也。
 問て云く 件の経、何れの三蔵の訳ぞや。貞元・開元の録の中に曾て此の経無し。如何。
 禅宗答て云く 此の経は秘経也。故に文計り天竺より之を渡す云云。
 問て云く 何れの聖人、何れの人師の代に渡りしぞや。跡形無き也。此の文は上古の録に載せず。中頃より之を載す。此の事禅宗の根源也。尤も古録に載すべき。知んぬ偽文也。
 禅宗云く 涅槃経二に云く_我今所有 無上正法 悉以付嘱 摩訶迦葉〔我れ今所有の無上の正法、悉く以て摩訶迦葉に付嘱す〕云云。此の文如何。
 答て云く 無上之言は大乗に似たりと雖も是れ小乗を指す也。外道之邪法に対すれば小乗をも小乗といはん。例せば大法東漸といへるを、妙楽大師解釈の中に、通指仏教と云ひて大小権実をふさ(總)ねて大法と云ふ也云云。外道に対すれば小乗も大乗を云はれ、下臈なれども分には殿と云はるるがごとし。涅槃経三に云く_ 若以法宝付嘱阿難及諸比丘不得久住。何以故。一切声聞及大迦葉悉当無常。如彼老人受他寄物。是故応以無上仏法付属諸菩薩。以諸菩薩善能問答。如是法宝則得久住。無量千世増益熾盛利安衆生。如彼壮人受他寄物。以是義故諸大菩薩乃能問耳〔若し法宝を以て、阿難及び諸の比丘に付嘱せば、久住することを得ず。何を以ての故に。一切の声聞及び大迦葉は悉く当に無常なるべし。彼の老人の他の寄物を受けざるが如し。是の故に応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付属すべし。諸の菩薩は善能く問答するを以てなり。是の如き法宝は則ち久住することを得。無量千世にも増益熾盛にして衆生を利安すべし。彼の壮なる人の他の寄物を受くるが如し。是の義を以ての故に諸大菩薩乃し能く問ふのみ〕。
大小の付属、其れ別なること分明也。同経の十に云く_汝等文殊 当為四衆広説大法。今此以経法付属於汝。乃至 迦葉阿難等来復当付属如是正法〔汝等文殊、当に四衆の為に広く大法を説くべし。今此の経法を以て汝に付属す。乃至、迦葉阿難等も来らば復当に是の如き正法を付属す〕云云。故に知んぬ、文殊迦葉に大法を付属すべしと云云。仏より付属する処の法は小乗也。悟性論に云く ̄人心をさとる事あれば、菩提の道を得る故に仏と名づく。菩提に五あり、何れの菩提ぞや。得道又種種也。何れの道ぞや。余経に明かす所は大菩提にあらず。又無上道にあらず。経に云く_四十余年 未顕真実〔四十余年には未だ真実を顕さず〕云云。
 問て云く法華は貴賎男女何れの菩提の道を得べきや。
 答て云く 乃至於一偈 皆成仏無疑〔乃至一偈に於てもせば 皆成仏せんこと疑なし〕云云。又云く_正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕云云。是に知んぬ、無上菩提也。_須臾聞之。即得究竟阿耨多羅三藐三菩提〔須臾も之を聞かば即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得ん〕也。此の菩提を得ん事須臾も此の法門を聞く功徳也。
 問て云く 須臾とは三十須臾を一日一夜と云ふ。須臾聞之の須臾は之を指すか、如何。
 答ふ 件の如し。天台止観の二に云く ̄無須臾廃〔須臾も廃すること無し〕云云。弘決に云く ̄不許暫廃故云須臾。故須臾刹那也〔暫くも廃することを許さざる故に、須臾と云ふ。故に須臾は刹那なり〕。
 問て云く 本分の田地にもとづくを禅の規模とす。
 答ふ 本分の田地とは何者ぞや。又何れの経に出でたるぞや。法華経こそ人天の福田なればむね(宗)と人天を教化し給ふ。故に仏を天人師と号す。此の経を信ずる者は己身の仏を見るのみならず、過現未の三世の仏を見る事、浄頗梨に向ふに色像を見るが如し。経に云く_又如浄明鏡悉見諸色像〔また、浄明鏡の悉く諸の色像を見るが如し〕云云。
 禅宗云く 是心即仏 即身是仏と。
 答て云く 経に云く_心是第一怨。此怨最為悪。此怨能縛人 送到閻魔処。汝独地獄焼 為悪業所養 妻子兄弟等 親族不能救〔心は是れ第一の怨なり。此の怨、最も悪と為す。此の怨能く人を縛り、送って閻魔の処に到る。汝独り地獄に焼かれて、悪業の為に養う所の妻子兄弟等親族も救ふこと能わず〕云云。涅槃経に云く_願作心師 不師於心〔願って心の師と作るとも、心を師とせざれ〕云云。愚痴無懺の心を以て即心即仏と立つ。豈に未得謂得未証謂証之人に非ずや。
 問ふ 法華宗の意如何。
 答ふ 経文に具三十二相 乃是真実滅〔三十二相を具しなば 乃ち是れ真実の滅ならん〕云云。或は速成就仏身〔速かに仏身を成就することを得せしめんと〕云云。禅宗は理性の仏を尊て、己れ仏に均しと思ひ、増上慢に堕つ。定んで是れ阿鼻の罪人也。故に法華経に云く_増上慢比丘。将墜於大坑〔増上慢の比丘は将に大坑に墜つべし〕。
 禅宗云く 毘盧の頂上を踏むと。
 云く 毘盧とは何者ぞや。若し周遍法界の法身ならば山川大地も皆是れ毘盧の身土也。是れ理性の毘盧也。此の身土に於ては狗野干の類も是れを踏む。禅宗の規模にあらず。若し実に仏の頂を踏まん歟、梵天も其の頂を見ずと云へり。薄地争でか之を踏むべき耶。夫仏は一切衆生に於て主師親之徳有り。若し恩徳広き慈父を踏まんは不孝逆罪之大愚人・悪人也。孝子の典籍尚お以て此の輩を捨つ。況んや如来の正法をや。豈に此の邪類邪法を讚めて、無量の重罪を獲んや、云云。在世の迦葉は頭頂礼敬と云ふも、滅後の暗禅は頂上を踏むと云ふ。恐るべし。
 禅宗云く 教外別伝 不立文字。
 答て云く 凡そ世流布之教に三種を立つ。此れに二十七種あり。二には道教。此れに二十五家あり。三には十二分経。天台宗には四教八教を立つる也。此れ等を教外と立つる歟。医師の法には外経師と云ふ。人間の言には姓のつづかざるをば外戚と云ふ。仏経には経論にはなれたるをば外道と云ふ。涅槃経に云く_若有不順仏所説者 当知是人是魔眷属〔若し仏の所説に順わざる者あらば、当に知るべし、是の人は是れ魔の眷属なり〕云云。弘決の九に云く ̄法華已前猶是外道弟子也〔法華已前猶お是れ外道の弟子なり〕云云。
 禅宗云く 仏祖不伝〔仏祖伝えず〕云云。
 答て云く 然らば、何ぞ西天の二十八祖・東土の六祖を立つる耶。付属摩訶迦葉の立義、已に破るゝ歟。自語相違は如何。
 禅宗云く 向上の一路は先聖不伝云云。
 答ふ 爾らば今の禅宗も向上に於ては解了すべからず。若し解せずんば、禅に非ざる歟。凡そ向上を歌いて以て軽慢に住し、未だ妄心を治せずして見性に奢り、機と法と相乖くこと此の責め尤も親し。旁く化儀を妨ぐ、其の失転た多し。謂く教外と号し、剰へ教外を学び、分筆を嗜みながら不立文字〔文字を立てず〕。言と心と相応せず。豈に天魔の部類・外道の弟子に非ずや。仏は文字に依て衆生を度し給ふ也。
 問ふ 其の証拠如何。
 答て云く 涅槃経十五に云く_願諸衆生 悉是受持出世文字〔願わくは諸の衆生、悉く是れ出世の文字を受持せよ〕。像法決疑経に云く_依文字故度衆生得菩提〔文字に依るが故に衆生を度し菩提を得〕云云。若し文字を離れば何を以てか仏事とせん。禅宗は言語を以て人に示さざらんや。若し示さずといはば南天竺の達磨は四巻の楞伽経に依て五巻の疏を作り、恵果に伝ふる時、我れ漢地を見るに、但此の経のみあて人を度すべし。汝此れに依て世を度すべし云云。若し爾れば、猥りに教外別伝と号せん乎。次に不伝之言に至りては、冷煖自知する也。此れを以て法華に云く_捨悪知識 親近善友〔悪知識を捨てて 善友に親近するを見ん〕。止観に云く ̄不値師者 邪慧日増 生死月甚 如稠林曵曲木 無有出期〔師に値はざれば、邪慧日に増し、生死月に甚く、稠林に曲木を曵くが如く、出期有ること無し〕云云。凡そ世間の沙汰、尚お以て他人に談合す。況んや出世の深理、寧ろ輒く自己を本分とせん耶。故に経に云く_不可見近如人睫 不可見遠空中の鳥の跡のごとし〔近きを見るべからざること人の睫の如く、遠きを見ざること空中の鳥の跡のごとし〕云云。上根上機の坐禅は且く之を置く。当世の禅宗は、瓮を蒙りて壁に向ふが如し。経に云く_盲冥無所見。不求大勢仏及与断苦法 深入諸邪見 以苦欲捨苦〔盲冥にして見る所なし。大勢の仏および断苦の法を求めず。深く諸の邪見に入て苦を以て苦を捨てんと欲す〕云云。弘決に云く ̄世間顕語尚不識 況中道遠理。常密教寧当可識〔世間の顕語、尚お識らず、況んや中道の遠理をや。常の密教、寧ろ当に識るべけんや〕云云。当世の禅は皆是れ大邪見の輩也。就中、三惑未断の凡夫の語録を用て四智円明の如来の言教を軽んずる、返す返す過てる者哉。疾の前に薬なし、機の前に教なし。等覚の菩薩尚お教を用ひき。底下の愚人何ぞ経を信ぜざる云云。是れを以て漢土に禅宗興ぜしかば其の国忽ちに亡びき。本朝の滅すべき瑞相に闇証の禅師充満す。止観に云く ̄此則法滅夭怪 亦是時代夭怪〔此れ則ち法滅の夭怪。亦是れ時代の夭怪なり〕云云。
 禅宗云く 法華宗は不立文字の義を破す。何故ぞ仏は一字不説と説き給ふや。
 答ふ 汝、楞伽経の文を引く歟。本法自法の二義を知らざる歟。学ばずんば習ふべし。其の上、彼の経に於ては、未顕真実と破られ畢んぬ。何ぞ指南と為さん。
 問て云く 像法決疑経に云く_不見如来説一句法〔如来、一句の法を説きたまふを見ず〕云云。如何。
 答ふ 是れは常施菩薩の言也。法華経には_菩薩聞是法 疑網皆已除 千二百羅漢 悉亦当作仏〔我是の法音を聞いて 未曾有なる所を得て 心に大歓喜を懐き 疑網皆已に除こりぬ〕と云ふ。八万の菩薩も千二百の羅漢も悉く皆列座し、聴聞随喜す。常施一人は見ず。何れの説に依るべき。何に況んや次下に_然諸衆生 有見出没 説法度人〔然るに諸の衆生、出没有るを見て、法を説いて人を度す〕云云。何ぞ不説之一句を留めて可説之妙理を失ふべき。汝が立義、一一大僻見也。執情を改めて法華に帰伏すべし。然らずんば、豈に無道心に非ず耶。