聖人御難事
去る建長五年[太歳癸丑]四月二十八日に、安房の国長狭郡之東條の郷、今は郡也。天照太神の御くりや(廚)右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。此郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年[太歳己卯]なり。
仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつ(且)しろしめせり。法華経に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕云云。
釈迦如来の大難はかずをしらず。其の中に馬の麦をもつて九十日、小指の出仏身血、大石の頂にかゝりし、善星比丘等の八人が身は仏の御弟子、心は外道にともないて昼夜十二時に仏の短〈ひま〉をねらいし、無量の釈子の波瑠璃王に殺されし、無量の弟子等がゑい(酔)象にふまれし、阿闍世王の大難をなせし等、此れ等は如来現在の小難なり。
況滅度後の大難は龍樹・天親・天台・伝教いまだ値ひ給はず。法華経の行者ならずといわばいかでか行者にてをはせざるべき。又行者といはんとすれば仏のごとく身より血をあや(滴)されず。何に況んや仏に過ぎたる大難なし。経文むなしきがごとし。仏説すでに大虚妄となりぬ。
而るに日蓮二十七年が間、建長元年[辛酉]五月十二日には伊豆の国へ流罪。文永元年[甲子]十一月十一日頭にきず(疵)をかほり左の手を打ちをらる。同じき文永八年[辛未]九月十二日佐渡の国へ配流、又頭の座に望む。其の外に弟子を殺され、切られ、追ひ出だされ、くわれう(過料)等かずをしらず。仏の大難には及ぶか勝れたるか其れは知らず。龍樹・天親・天台・伝教は余に肩を竝べがたし。日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。
仏滅後二千二百二十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり。過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民、始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず。日蓮又かくのごとし。始めはしるし(験)なきやうなれども今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば、仏前の御誓ひむなしくて、無間大城に堕つべしとをそろしく想ふ間今は各々はげむらむ。大田親昌・長崎次郎兵衛尉時縄(綱)大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるゝか。罰は惣罰・別罰・顕罰・冥罰、四候。日本国の大疫病と大けかち(飢渇)とどしうち(同士討)と他国よりせめらるゝは惣ばち(罰)なり。やくびやう(疫病)は冥罰なり。大田等は顕罰なり。別ばちなり。
各々師子王の心を取り出だして、いかに人をどすともをづる事なかれ。師子王は百獣にをぢず、師子の子又かくのごとし。彼等は野干のほうる(吼)なり、日蓮が一門は師子の吼えるなり。故最明寺殿の日蓮をゆるしゝと此の殿の許しゝは、禍なかりけるを人のざんげんと知りて許しゝなり。今はいかに人申すとも、聞きほどかすしては、人のざんげんは用ひ給ふべからず。設い大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば梵釈・日月・四天等、天照太神・八幡の守護し給ふゆへに、ばつ(罰)しがたかるべしと存じ給ふべし。
月々日々につよ(強)り給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。我等凡夫のつたなさは経論に有る事と遠き事はをそるゝ心なし。一定として平等も城等もいかりて此の一門をさんざんとなす事も出来せば、眼をひさい(塞)で勧念せよ。当時の人々のつくし(筑紫)へか、さゝれんずらむ。又ゆく人、又かしこに向かへる人々を、我が身にひきあてよ。当時までは此の一門に此のなげきなし。彼等はげん(現)はかくのごとし。殺されば又地獄へゆくべし。我等現には此の大難に値ふとも後生は仏になりなん。設へば灸治のごとし。当時はいたけれども、後の薬なればいたくていたからず。彼のあつわら(熱原)の愚痴の者どもいゐはげま(言励)してをどす事なかれ。彼等には、ただ一えん(円)にをもい切れ、よ(善)からんは不思議、わる(悪)からんは一定とをもへ。ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ。さむしといわば八かん地獄ををしへよ。をそろしゝといわばたか(鷹)にあへるきじ(雉)、ねこにあへるねずみを他人とをもう事なかれ。
此れはこまこまとかき候事はかくとし(年)かくとし月々日々申して候へども、なごへの尼・せう(少輔)房・のと房・三位房なんどのやうに候をくびやう(臆病)・物をぼへず・よくふかく・うたがい多き者どもは、ぬれる(塗)うるし(漆)に水をかけ、そら(空)をきり(切)たるやうに候ぞ。三位房が事は大不思議の事ども候しかども、とのばら(殿原)のをもいには智慧ある者をそねませ給ふかと、ぐちの人をもいなんとをもいて物も申さで候ひしが、はらぐろ(佞心)となりて大つちをあたりて候ぞ。なかなか、さんざん、とだにも申せしかばたすかるへんもや候なん。あまりにふしぎさに申さざりしなり。又かく申せばをこ人どもは死もう(亡)の事を仰せ候と申すべし。鏡のために申す。又此の事は彼等の人々も内々はをぢをそれ候らむとをぼへ候ぞ。人のさわげばとてひやうじ(兵士)なんど此の一門にせられば、此れへかきつけてたび候へ。恐々謹言。
十一月一日 日 蓮 花押
さぶらうざへもん殿のもとに、とどめらるべし。