立正観抄
立正観鈔(原文漢文)
文永十一年。五十三歳著。
内三八ノ一。遺一六ノ三七。縮一〇六四。類一五九五。 日蓮撰
法華止観同異決
当世天台の教法を習学するの輩、多く観心修行を貴んで法華本迹二門を捨つと見えたり。今問ふ、抑も観心修行と言ふは、天台大師の摩訶止観の説己心中所行法門の一心三観、一念三千の観に依るか。将又世流布の達磨の禅観に依るか。若し達磨の禅観に依るといはゞ教禅とは未顕真実妄語方便の禅観なり。法華経妙禅の時には正直捨方便と捨てらるゝ禅なり。祖師達磨禅とは教外別伝の天魔禅なり。共に是れ無得道妄語の禅なり。仍つて之を用ゆべからず。若し天台の止観の一心三観に依るとならば止観一部の廃立、天台の本意に背くべからざるなり。若し止観修行の観心に依るとならば法華経に背くべからず。止観一部は法華経に依つて建立す。一心三観の修行は妙法の不可得なるを感得せんが為なり。故に知んぬ、法華経を捨てゝ但観を正と為るの輩は大謗法、大邪見、天魔の所為なることを。其故は天台の一心三観とは法華経に依つて三昧開発するを己心証得の止観とは云ふ故なり。問ふ、天台大師の止観一部並に一念三千、一心三観、己心証得の妙観は、併ながら法華経に依ると云ふ証拠如何。答ふ、予反詰して云く、法華経に依らずと見えたる証文如何。人之を出して云く「此の止観は天台智者説己心中所行の法門を説く」。或は又「故に止観に至つて正しく観法を明す。故に序の中に説己心中所行法門と云へり、良に以有るなり」文。難じて云く、此文は全く法華経に依らずと云ふ文に非ず。既に説己心中所行法門と云ふが故なり。天台の所行の法門は法華経なるが故に此意は法華経に依ると見えたる証文なり。但し佗宗に対するの時は問答大綱を存すべきなり。所謂云ふべし、若し天台の止観法華経に依らずといはゞ速に捨つべきなりと。其故は天台大師兼て約束して云く「脩多羅と合せば録して之を用ひよ。無文無義は信受すべからず」云云。伝教大師の云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」文。龍樹の大論に云く「脩多羅白論に依つて脩多羅黒論に依らざれ」文。教主釈尊の云はく「依法不依人」文。天台は法華経に依り龍樹を高祖にしながら経文に違し、我が言を翻じて外道邪見の法に依つて、止観一部を釈する事、全く有るべからざるなり。問ふ、正しく止観は法華経に依ると見えたる文これありや。答ふ、余りに多きが故に少少之を出さん。止観に云く「漸と不定とは置いて論ぜず。今経に依つて更に円頓を明さん」文。弘決に云く「法華の経旨を攅めて、不思議の十乗十境の待絶、滅絶、寂照の行を成ず」文。止観(初丁)大意に云く「今家の教門は龍樹を以て始祖と為す。慧文は但内観を列ぬるのみ」。南岳、天台に?んで復法華三昧陀羅尼を発するに因つて、義門を開拓して観法周備す。〇若し法華を釈するには弥々須く権実、本迹を暁了すべし、方に行を立つべし。此経独り妙と称することを得。方に此に依つて以て観の意を立つべし。五方便及び十乗軌行と云ふは即ち円頓止観は全く法華に依る。円頓止観は即ち法華三昧の異名なるのみ」文。文句の文会記(一巻十九)に云く「観と経と合すれば佗の宝を数ふるに非ず。方に知んぬ、止観一部は是法華三昧の筌蹄なりと云ふことを。若し此意を得れば方に経旨に会はん」云云。唐土の人師行満の釈せる学、天台宗法門大意に云く「摩訶止観一部の大意は法華三昧の異名を出でず。経に依つて観を修す」文。此等の文証分明なり。誰か之を論ぜん。問ふ、天台四種の釈を作るの時観心の釈に至つて本迹の釈を捨つと見えたり。又法華経は漸機の為に之を説き止観は直達の機の為に之を説くと、如何。答ふ、漸機の為に劣を説き頓機の為に勝を説くならば、今の天台宗の意は華厳、真言等の経は法華経に勝れたりと云ふべきや。今の天台宗の浅猿さは真言は事理倶密の教なる故に法華経に勝れたりと謂へり。故に止観は法華に勝ると云へるも道理なり、道理なり。次に観心の釈の時本迹を捨つと云ふ難は、法華経の何れの文にか人師の釈を本として仏教を捨てよと見えたるや。設ひ天台の釈なりとも釈尊の金言に背き、法華経に背かば全く之を用ゆべからざるなり。依法不依人の故に龍樹、天台、伝教元よりの御約束なるが故なり。其の上天台の釈の意は、迹の大教起れば爾前の大教亡じ、本の大教興れば迹の大教亡じ、観心の大教興れば本の大教亡ずと釈するは、本体の本法をば妙法不思議の一法に取り定めての上に修行を立つるの時、今像法の修行は観心の修行を詮とするに、迹を尋ぬれば迹広く本を尋ぬれば本高くして極むべからず。故に末学機に叶ひ難し、但己心の妙法を観ぜよと云ふ釈なり。然りと雖も妙法を捨てよとは釈せざるなり。若し妙法を捨てば何物を己心と為して観ずべきや。如意宝珠を捨てゝ貧窮を取りて宝と為すべきか。悲しい哉、当世天台宗の学者は念仏、真言、禅宗等に同意するが故に、天台の教釈を習ひ失ひて法華経に背き大謗法の罪を得るなり。若し止観を法華経に勝ると云はゞ種種の過之あり。止観は天台の道場所得の己証なり。法華経は釈尊の道場所得の大法なり是一。釈尊は妙覚果満の仏なり。天台は住前末証なれば名字、観行、相似には過ぐべからず。四十二重の劣なり是二。法華は釈尊、乃至諸仏出世の本懐なり。止観は天台出世の己証なり是三。法華経は多宝の証明あり、来集の分身は広長舌を大梵天に付く、皆是真実の大白法なり。止観は天台の説法なり是四。是の如き等の種種の相違之あれども、仍之を略するなり。又一の問答に云く、所被の機上機なる故に勝ると云はゞ実を捨てゝ権を取れ。天台「教弥権位弥高」と釈し給ふ故なり。所被の機下劣なる故に劣ると云はゞ権を取つて実を捨てよ。天台の釈には「教弥実位弥下」と云ふ故なり。然り而して止観は上機の為に之を説き法華は下機の為に之を説くと云はゞ、止観は法華に劣れる故に機を高く説くと聞えたり。実にさもや有るらむ。天台大師は霊山の聴衆として如来出世の本懐を宣べ給ふと雖も、時至らざるが故に妙法の名字を替て止観と号す。迹化の衆なるが故に本化の付属を弘め給はず。正直の妙法を止観と説きまぎらかす故に有のまゝの妙法ならざれば帯権の法に似たり。故に知んぬ。天台弘通の所化の機は在世帯権の円機の如し。本化弘通の所化の機は法華本門の直機なり。止観法華は全く体同じと云はむは、尚人師の釈を以て仏説に同ずる失甚重なり。何に況や止観は法華経に勝ると云ふ邪義を申し出すは、但是本化の弘経と迹化の弘通と、像法と末法と迹門の付属と本門の付属とを、末法の行者に云ひ顕させむ為の仏天の御計なり。爰に知んぬ、当世の天台宗の中に此義を云ふ人は、祖師天台の為には不知恩の人なり。豈に其過を免れんや。夫れ天台大師は昔霊山に在りては薬王と名け、今漢土に在りては天台と名け、日本国の中にては伝教と名く。三世の弘通倶に妙法と名く。是の如く法華経を弘通し給ふ人は、在世の釈尊より外は三国に其名を聞かず。有り難く御坐す大師を其の末学、其の教釈を悪しく習ひて失無き天台に失を懸けまつる、豈に大罪に非ずや。今問ふ、天台の本意は何なる法ぞや。碩学等の云く、一心三観是なり。今云く、一実円満の一心三観とは誠に甚深なるに似たれども尚以て行者修行の方法なり。三観とは因の義なるが故なり。慈覚大師の釈に云く「三観とは法体を得せしめんが為の修観なり」云云。伝教大師の云く「今止観修行とは法華の妙果を成ぜんが為なり」云云。故に知んぬ一心三観とは果地果徳の法門を成ぜんが為の能観の心なることを。何に況や三観とは言説に出でたる法なる故に、如来の果地果徳の妙法に対すれば可思議の三観なり。問ふ、一心三観に勝れたる法とは何なる法ぞや。答ふ、此事誠に一大事の法門なり。唯仏与仏の境界なるが故に我等が言説に出すべならざるが故に之を申すべからず。是を以て経文には「我法妙難思、不可以言宣」云云。妙覚果満の仏すら尚不可説不思議の法と説き給ふ。何に況や等覚の菩薩已下、乃至凡夫をや。問ふ、名字を聞かずんば、何を以て勝法有りと知ることを得んや。答ふ、天台己証の法とは是なり。当世の学者は血脈相承を習ひ失ふ故に之を知らざるなり。故に相構へ相構へて秘すべく秘すべき法門なり。然りと雖も汝の志神妙なれば其名を出すなり。一言の法とは是なり。伝教大師の「一心三観伝於一言」と書き給ふ是なり。問ふ、未だ其の法体を聞かず如何。答ふ、所詮一言とは妙法是なり。問ふ、何を以て妙法は一心三観に勝れたりと云ふ事を知ることを得るや。答ふ、妙法は所詮の功徳なり。三観は行者の観門なるが故なり。此の妙法を仏説いて言く「道場所得法、我法妙難思、是法非思量、不可以言宣」云云。天台の云く「妙は不可思議、言語道断、心行所滅なり。法は十界十如、因果不二の法なり」。三諦と云ふも三観と云ふも三千と云ふも、共に不思議法とは云へども、天台の己証、天台の御思慮の及ぶ所の法門なり。此の妙法は諸仏の師なり。今の経文の如くならば久遠実成の妙覚極果の仏の境界にして、爾前迹門の教主、諸仏、菩薩の境界にあらず。経に「唯仏与仏乃能究尽」とは迹門の界如三千の法門をば、迹門の仏が当分究竟の辺を説けるなり。本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず、何に況や菩薩、凡夫をや。止観の二字をば観名仏知、止名仏見と釈すれども迹門の仏知、仏見にして、妙覚極果の知見には非ざるなり。其故は止観は天台己証の界如三千、三諦三観を正と為す。迹門の正意是なり。故に知んぬ迹仏の知見なりと云ふ事を。但止観に絶待不思議の妙観を明すと云ふとも、只一念三千の妙観に且く与へて絶待不思議と名くるなり。問ふ、天台大師真実に此の一言の妙法を証得し給はざるや。答ふ、内証は爾るなり。外用に於ては之を弘通し給はざるなり。所謂内証の辺をば秘して外用には三観と号して一念三千の法門を示現し給ふなり。問ふ、何が故ぞ知り乍ら弘通し給はざるや。答ふ、時至らざるが故に付属に非ざるが故に迹化なるが故なり。問ふ、天台此の一言の妙法之を証得し給へる証拠之有りや。答ふ、此事天台一家の秘事なり。世に流布らる学者之をしらず。潅頂玄旨の血脈とて天台大師自筆の血脈一紙之有り。天台御入滅の後は石塔の中に之有り。伝教大師御入唐の時八舌の鑰を以て之を開き、道邃和尚より伝受し給ふ血脈とは是なり。此書に云く「一言妙旨、一教玄義」文。伝教大師の血脈に云く「夫れ一言の妙法とは両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし。両眼を閉ぢて無念に住する時は不変真如なるべし。故に此の一言を聞くに万法茲に達し一代の脩多羅一言に含す」文。此の両大師の血脈の如くならば天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり。一心三観とは所詮妙法を成就せん為の修行の方法なり。三観は因の義妙法は果の義なり。但し因の処に果有り果の処に因有り。因果倶時の妙法を観ずるが故に是の如き功能を得るなり。爰に知んぬ、天台至極の法門は法華本迹未分の処に無念の止観を立て、最秘の上法とすと云へる邪義大なる僻見なりと云ふ事を。四依弘経の大薩?は既に仏経に依つて諸論を造る。天台何ぞ仏説に背いて無念の止観を立て給はんや。若し此の止観法華経に依らずといはゞ天台の止観、教外別伝の達磨の天魔の邪法に同ぜん。都て然るべからず、哀れなり哀れなり。伝教大師(顕戒論上巻九)の云く「国主の制に非ざれば以て遵行すること無し、法王の教に非ざれば以て信受すること無し」文。又云く「四依、論を造るに権有り実有り。三乗旨を述るに三有り一有り。所以に天台智者は三乗の旨に順じて四教の階を定め、一実の道に依つて一仏乗を建つ。六度別有り戒度何ぞ同じからん。受法不同なり威儀豈に同じからんや。是の故に天台の伝法は深く四依に依り、亦仏経に順ふ」文。本朝の天台宗の法門は伝教大師より之を始む。若し天台の止観法華経に依らずといはゞ、日本に於ては伝教の高祖に背き漢土に於ては天台に背く。両大師の伝法既に法華経に依る、豈に其の末学之に違せんや。違するを以て知んぬ、当世の天台家の人人其名を天台山に借ると雖も、所学の法門は達磨の僻見と善無畏の妄語とに依るといふ事を。天台、伝教の解釈の如くんば、己心中の秘法は但妙法の一言に限るなり。然り而して当世の天台宗の学者は、天台の石塔の血脈を秘し失ふ故に、天台の血脈相承の秘法を失ひて、我と一心三観の血脈とて我意に任せて書を造り、錦の袋に入れて頸に懸け箱の底に埋めて高直に売るが故に、邪義国中に流布して天台の仏法破失せるなり。天台の本意を失ひ釈尊の妙法を下す。是偏に達磨の教訓、善無畏の勧めなり。故に止観をも知らず、一心三観、一心三諦をも知らず。一念三千の観をも知らず、本迹二門をも知らず。相待絶待の二妙をも知らず、法華の妙観をも知らず。教相をも知らず、権実をも知らず。四教八教をも知らず、五時五味の施化をも知らず。教、機、時、国相応の義は申すに及ばず、実教にも似ず権教にも似ざるなり。道理なり道理なり。天台、伝教の所伝は禅、真言より劣れりと習ふ故に、達磨の邪義、真言の妄語と打ち成りて権教にも似ず実教にも似ず、二途に摂せざるなり。故に大謗法罪顕れて止観は法華経に勝ると云ふ邪義を申し出して、過無き天台に失を懸けたてまつる故に高祖に背く不孝の者、法華経に背く大謗法罪の者と成るなり。夫れ天台の観法を尋ぬれば大蘇道場に於て三昧開発せしより已来、目を開いて妙法を思へば随縁真如なり。目を閉ぢて妙法を思へば不変真如なり。此の両種の真如は只一言の妙法にあり。我が妙法を唱ふる時万法茲に達し一代の脩多羅一言に含す。所詮迹門を尋ぬれば迹広く本門を尋ぬれば本高し。如じ己心の妙法を観ぜんにはと思食されしなり。当世の学者此意を得ざるが故に天台己証の妙法を習ひ失ふて、止観は法華経に勝り、禅宗は止観に勝りたりと思ひて、法華経を捨てゝ止観に付き、止観を捨てゝ禅宗に付くなり。禅宗の一門云く、松に藤懸る、松枯れ藤枯れて後如何。上らずして一枝なむど云へる天魔の語を深く信ずる故なり。脩多羅の教主は松の如く其の教法は藤の如し。各各に諍論すと雖も仏も入滅し教法の威徳も無し。爰に知んぬ、脩多羅の仏教は月を指す指なり。禅の一法のみ独妙なり。之を観ずれば見性得達するなりと云ふ。大謗法の天魔の所為を信ずる故なり。然り而して法華経の仏は寿命無量常住不滅の仏なり。禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり。「是法住法位、世間相常住」の金言に背く僻見なり。禅は法華経の方便無得道の禅なるを真実常住の法と云ふが故に外道の常見なり。若し与へて之を言はゞ仏の方便三蔵の分斉なり。若し奪つて之を言はゞ但外道の邪法なり。与は当分の義、奪は法華の義なり。法華の奪の義を以ての故に禅は天魔外道の法と云ふなり。問ふ、禅を天魔の法と云ふ証拠如何。答ふ、前前に申すが如し。(啓四三六ノ一。鈔二五ノ〇。語五ノ二五。拾八ノ一六。扶一五ノ二〇、)
延山本ノ奥ニ云ク「正中二年乙丑三月洛中三条京極ニ於テ最蓮房ノ本御自筆、有ル人之ヲ書ス。時ニ正中二年乙丑十二月二十日之ヲ書写セルナリ、身延山。元徳二庚、卯午月中旬重ネテ写セルナリ。 日進花押」 稲田海素記