祈祷経送状

執筆年:文永十
 御礼の旨委細承り畢んぬ。兼ねては又末法に入りて法華経を持ち候者は、三類之強敵を蒙り候はん事は面拝之時大概(おおむね)申し候ひ畢んぬ〔御礼旨委細承畢。兼又入末法持法華経候者 蒙三類之強敵候はん事は面拝之時大概申候畢〕。仏の金言にて候上は、不審を致すべからず候か〔不可致不審候歟〕。  然らば則ち日蓮も此の法華経を信じ奉り候て後は、或は頭にを蒙り、或は打たれ、或は追われ、或は首の座に臨み、或は流罪せられ候ひし程に、結句は此の嶋まで遠流せられ候ひぬ。何なる重罪の者も現在計りこそ罪科せられ候へ。日蓮は三世の大難に値ひ候ひぬと存じ候。  其の故は現在の大難は今の如し。過去の難は当世の諸人等が申す如くば、如来在世の善星・瞿伽利等の大悪人が重罪の予習を失せずして如来の滅後に生まれて是の如く仏法に敵をなすと申し候、是れ也。  次に未来の難を申し候はば、当世の諸人の部類等、謗じ候はん様は、此の日蓮房は存生之時は種種の大難にあひ、死門に赴く之時は自身を自ら食して死ぬる上は、定めて大阿鼻地獄に堕罪して無辺の苦を受くるらんと申し候はんずる也。  古より以来世間出世の罪科の人、貴賎・上下・持戒毀戒・凡聖に付けて多く候へども、但其れは現在ばかりにてこそ候に、日蓮は現在は申すに及ばず、過去・未来に至るまで三世の大難を蒙り候はん事は、只偏に法華経の故にて候也。日蓮が三世の大難を以て法華経の三世の御利益を覚し食され〔被覚食〕候へ。  [0→p0689]過去久遠劫より已来未来永劫まで、妙法蓮華経の三世の御利益尽くすべからず候也。  日蓮が法華経の方人(かたふど)を少分仕り候だにも加様の大難に遭ひ候。まして釈尊の世世番番の法華経の御方人を思ひ遣りまいらせ候に道理申す計りなくこそ候へ。されば勧持品の説相は暫時も廃せず〔不廃〕。殊更殊更貴く覚え候。  一御山籠の御志の事。凡そ末法折伏の行に背くと雖も、病者にて御坐候上、天下の災い・国土の難・強盛に候はん時、我が身につみ知り候はざらんより外は、いかに申し候とも国主信ぜられまじく候へば、日蓮尚お籠居の志候。まして御分之御事はさこそ候はんずらめ。假使山谷に籠居候とも、御病も平愈して便宜も吉(よく)候はば、身命を捨て弘通せしめ給ふべし〔吉候者 捨身命可令弘通給〕。  一仰せを蒙りて候末法の行者息災延命の祈祷の事。別紙に一巻註し進らせ候。毎日一返闕如無く読誦被るべく候〔一蒙仰候末法行者息災延命祈祷事。別紙一巻註進候。毎日一返無闕如可被読誦候〕。  日蓮も信じ始め候ひし日より毎日此れ等の勘文を誦し候ひて仏天に祈誓し候によりて、種種の大難に遇ふと雖も法華経の功力・釈尊の金言深重なる故に今まで相違なく〔無相違〕候也。  其れに付けて法華経の行者は身心に退転無く、身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布之大願をも成就すべき也。  [0→p0690]一御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず〔一御状十七出家後不帯妻子不食肉〕等云云。  権経を信ぜし大謗法の時の事は何なる持戒の行人と申すとも、法華経に背く〔背法華経〕謗法罪の故に、正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣る候也。彼の謗法の比丘は持戒也と雖も無間に堕す〔彼謗法比丘雖持戒也堕無間〕。正法の大俗は破戒也と雖も成仏疑ひ無き〔雖破戒也成仏無疑〕故也。  但し今の御身は念仏等の権経を捨て正法に帰し給ふ故に、誠に持戒の中の清浄聖人なり。尤も比丘と成りては権宗の人すら尚お然るべし。況んや正法の行人を哉。假使権宗の時の妻子也とも、かゝる大難に遇はん時は、振り捨てゝ正法を弘通すべき之処に、地体より聖人、尤も吉、尤も吉。相構えて相構えて向後(きゃうこう)も夫妻等の寄り来るとも遠離して一心に障礙無く〔無障礙〕国中の謗法をせめて釈尊之化儀を資け奉るべき〔可奉資釈尊之化儀〕者也。  猶お猶お向後は此の一巻の書を誦して仏天に祈誓し御弘通有るべく候。  但し此の書は弘通之志有らん人に取りての事なり。此の経の行者なればとて器用に能はざる者には左右無く之を授与すべからず候歟。穴賢穴賢。恐恐謹言。 文永十年[癸酉]正月二十八日 日 蓮花押