盂蘭盆御書
御返事 ぢぶどの(治部殿)のうばごぜんのかへり事 日蓮
・牙一俵・やいごめ(焼米)・うり・なすび等、仏前にささげて申し上げ候ひ了んぬ。
盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて智慧第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならび,大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。此の人の父をば吉占師子と申し、母をば青提女と申す。其の母の慳貪の科によて餓鬼道に堕ちて候ひしを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。
其の因縁は母は餓鬼道に堕ちてなげき候ひけれども、目連は凡夫なれば知ることなし。幼少にして外道の家に入り、四井陀・十八大経と申す外道の一切経をならいつくせども、いまだ其の母の生処をしらず。其の後十三の年、舎利弗とともに釈迦仏にまいりて御弟子となり、見惑をだん(断)じて初果の聖人となり、修惑を断じて阿羅漢となりて三明ををそなへ六通をへ(得)給へり。天眼をひらいて三千大千世界を明鏡のかげのごとく御らむありしかば、大地をみとを(見透)し三悪道を見る事、氷の下に候魚を朝日にむかいて我等がとをしみるがごとし。其の中に餓鬼道と申すところに我が母あり。のむ事なし、食らふことなし。皮はきんてう(金鳥)をむしれるがごとく、骨はまろき石をならべたるがごとし。頭はまり(毬)のごとく、頚はいと(糸)のごとし。腹は大海のごとし。口をはり手を合わせて物をこへ(乞)る形は、うへたるひる(飢蛭)の人のか(香)をかげるがごとし。先生の子をみてなか(泣)んとするすがた、うへたるかたち、たとへをとるに及ばず。いかんがかなしかりけん。
法勝寺の修(執)行舜観(俊寛)がいわう(硫黄)の嶋にながされて、はだかにて、かみ(髪)くびつき(頚付)にうちをい、やせをとろへて海へんにやすらいて、もくづ(藻屑)をとりてこし(腰)にまき、魚を一つみつけて右の手にとり、口にかみける時、本つかい(仕)しわらわ(僮)のたずねゆきて見し時と、目連尊者が母を見しと、いづれかをろかなるべき。かれはいますこしかなしさわまさりけん。目連尊者はあまりのかなしさに大神通をげんじ給い、はん(飯)をまいらせたりしかば、母よろこびて右の手にははんをにぎり、左の手にははんをかくして口にをし入れ給ひしかば、いかんがしたりけん、はん変じて火となり、やがてもへあがり、とうしび(燈心)をあつめて火をつけたるがごとくぱともへあがり、母の身のここころとやけ候ひしを目連見給ひて、あまりあわてさわぎ、大神通を現じて大なる水をかけ候ひしかば、其の水たきぎとなりていよいよ母の身のやけ候ひし事こそあわれに候ひしか。
其の時目連みずからの神通かなわざりしかば、はしりかへり、須臾に仏にまいりて、なげき申せしやうは、我が身は外道の家に生まれて候ひしが、仏の御弟子になりて阿羅漢の身をへ(得)て、三界の生をはなれ、三明六通の羅漢とはなりて候へども、乳母の大苦をすくはんとし候に、かへりて大苦にあわせて候は心うしとなげき候しかば、仏け説て云く 汝が母はつみふかし。汝一人が力及ぶべからず。又多人なりとも天神・地祇・邪魔・外道・道士・四天王・帝釈・梵王の力も及ぶべからず。七月十五日に十方の聖僧をあつめて、百味をんじき(飲食)とゝのへて、母のく(苦)はすくうべしと云云。目連、仏の仰せのごとく行ひしかば、其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給ひきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候。其れによて滅後末代の人々は七月十五日に此の法を行ひ候なり。此れは常のごとし。
日蓮案じて云く 目連尊者と申せし人は十界の中に声聞道の人、二百五十戒をかたく持つ事石のごとし。三千の威儀を備へてかけざる事は十五夜の月のごとし。智慧は日ににたり。神通は須弥山を十四さう(・)まき、大山をうごかせし人ぞかし。かゝる聖人だにも重報の乳母の恩報じがたし。あまさへ(剰)ほうぜんとせしかば大苦をまし給ひき。いまの僧等の二百五十戒は名計りにて、事をかい(戒)によせて人をたぼらかし、一分の神通もなし。大石の天にのぼらせんがごとし。智慧は牛にるいし、羊にことならず。設ひ千万人をあつめたりとも父母の一苦すくうべしや。せんずるところは目連尊者が乳母の苦をすくわざりし事は、小乗の法を信じて二百五十戒と申す持斉にてありしゆへぞかし。
されば浄名居士と申す男、目連房をせめて云く_供養汝者堕三悪道〔汝を供養する者は三悪道に堕つ〕云云。文の心は二百五十戒のたうとき目連尊者をくやうせん人は三悪道に堕つべしと云云。此れ又唯目連一人がきく(聞)みゝ(耳)にはあらず。一切の声聞乃至末代の持斉等がきくみゝなり。此の浄名経と申すは法華経の御ためには数十番の末への郎従にて候。詮ずるところは目連尊者が自身のいまだ仏にならざるゆへぞかし。自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし。いわうや他人をや。
しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて正直捨方便とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてゝ南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す。此の時こそ父母も仏になり給へ。故に法華経に云く_我願既満。衆望亦足〔我が願既に満じて衆の望亦足りなん〕云云。目連が色心は父母の遺体なり。目連が色心仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。
例せば日本国八十一代の安徳天皇と申せし王の御宇に、平氏の大将安芸の守清盛と申せし人をはしき。度々の合戦に国敵をほろぼして上太政大臣まで臣位をきわめ、当今はまご(孫)となり、一門は雲閣月卿につらなり、日本六十六国島二つを掌の内にかいにぎりて候ひしが、人を順ふこと大風の草木をなびかしたるやうにて候ひしほどに、心をごり身あがり、結句は神仏をあなづりて神人と諸僧を手ににぎらむとせしほどに、山僧と七寺との諸僧のかたきとなりて、結句は去る治承四年十二月二十二日に七寺の内の東大寺・興福寺の両寺を焼きはらいてありしかば、其の大重罪入道の身にかゝりて、かへるとし養和元年潤二月四日、身はすみ(炭)のごとく血は火のごとくすみのをこれるがやうにて、結句は炎身より出でてあつちじに(熱死)に死ににき。其の大重罪をば二男宗盛にゆづりしかば、西海に沈みとみへしかども東天に浮かび出でて、右大将頼朝の御前に縄をつけてひきすへて候ひき。三男知盛は海に入りて魚の糞となりぬ。四男重衡は其の身に縄をつけて京かまくらを引きかへし、結句なら七大寺にわたされて、十万人の大衆等、我等が仏のかたきなりとて一刀づつきざみぬ。
悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末へ七代までもかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給ふ。乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生三悪道をはなるゝのみならず、皆初住・妙覚の仏となりぬ。故に法華経の第三に云く 願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道〔願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん〕
されば此れ等をもつて思ふに、貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒也無知なり。二百五十戒一戒も持つことなし。三千の威儀一つも持たず。智慧は牛馬にるいし、威儀は猿猴ににて候へども、あをぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり。例せば蛇の珠をにぎり、龍の舎利を載けるがごとし。藤は松にかゝりて千尋をよぢ、鶴は羽を恃みて万里をかける。此れは自身の力にはあらず。治部房も又かくのごとし。我が身は藤のごとくなれども、法華経の松にかゝりて妙覚の山にものぼりなん一乗の羽をたのみて寂光の空をもかけりぬべし。此の羽をもて父母・祖父・祖母・乃至七代までもとぶらうべき僧なり。あわれいみじき御たからはもたせ給ひてをはします女人かな。彼の龍女は珠をさゝげて仏となり給ふ。此の女人は孫を法華経の行者となしてみちびかれさせ給ふべし。事々そうそう(忽々)にて候へばくはしくは申さず、又々申すべく候。恐々謹言。
七月十三日 日 蓮 花押
治部殿うばごぜん 御返事