浄蔵浄眼御消息

執筆年:弘安三
浄蔵浄眼御消息(松野第七書)(与松野氏書)      弘安三年七月。五十九歳作。      外一三ノ四。遺二八ノ三四。縮一九六二。類一〇四〇。 きごめ(生米)の俵一、瓜篭一、根芋品品の物給候畢ぬ。楽徳と名付ける長者に身を入れて、我身も妻も子も夜も昼も責遣れける者が、余りに責られ堪がたさに、隠て佗国に行て其国の大王に宦仕へける程に、きりもの(権勢家)に成て関白と成ぬ。後に其国を力として、我本の主の国を打取ぬ。其時本の主、此関白を見て大に怖れ、前に悪く当りぬるを悔ひかへして宦仕へ様様の財を引ける。前に負ぬる物の事は思ひもよらず、今只命のいきん事をはげむ。法華経も又斯の如く、法華経は東方の薬師仏の主、南方、西方、北方、上下の一切の仏の主也。釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬ひ給ふことは、民の王を恐れ星の月を敬ふが如し。然るに我等衆生は第六天の魔王の相伝の者、地獄、餓鬼、畜生等に押篭められて気もつかず、朝夕獄卒を付て責る程に兔角して法華経に懸り付ぬれば、釈迦仏等の十方の仏の御子とせさせ給へば梵王、帝釈だにも恐れて寄付ず、何に況や第六天の魔王をや。魔王は前には主なりしかども、今は敬ひ畏てあしう(悪)せば、法華経十方の諸仏の御見参にあしうや入んずらんと、恐れ畏て供養をなす也。何にしても六道の一切衆生をば法華経へつけじとはげむ也。然るに何なる事にやをはすらん。皆人の憎み候日蓮を不便とおぼして、かく遥遥と山中へ種種の物送りたび候事一度二度ならず、ただごとにあらず。偏へに釈迦仏の入替らせ給へるか。又をくれさせ給ひける御君達の御仏にならせ給て、父母を導かんために御心に入替らせ給へるか。妙荘厳王と申せし王は悪王なりしかども、御太子浄蔵、浄眼の導かせ給しかば、父母二人共に法華経を御信用有て、仏にならせ給しぞかし。是もさにてや候らんあやしく覚え候。甲斐公が語りしは、常の人よりもみめ形も勝れて候し上、心も直くて智慧賢く、何事に付てもゆゆしかりし人の、疾はかなく成し事の哀れさよと思ひ候しが、又倩思へば、此子なき故に母も道心者となり、父も後世者に成て候は只とも覚え候はぬに。又皆人の悪み候法華経に付せ給へば、偏へに是なき人の二人の御身に添て、勧め進せられ候にやと申せしが、さもやと覚え候。前前は只荒増の事かと思て候へば、是程御志の深く候ひける事は始て知て候。又若やの事候はば、くらき闇に月の出るが如く、妙法蓮華経の五字月と露れさせ給べし。其月の中には釈迦仏、十方の諸仏、乃至前に立せ給ひし御子息の露れさせ給べしと思召せ。委くは又又申すべし。恐恐謹言。 七月七日                     日蓮花押 (微下ノ一。考四ノ四八。)