松野殿御返事

建治二(1276.12・09)


松野殿御返事(松野第二書)
     建治二年十二月。五十五歳作。
     外八ノ三八。遺二二ノ一〇。縮五二二。類六三七。 鵞目一結、白米一駄、白小袖一送給畢ぬ。抑此山と申は南は野山漫漫として百余里に及べり。北は身延山高く峙ちて白根が岳につづき、西には七面と申す山峨峨として白雪絶えず。人の住家一宇もなし。適問くる物とては梢を伝ふ猿猴なれば、少も留る事なく還るさ急ぐ恨みなる哉。東は富士河漲りて流沙の浪に異ならず。かゝる所なれば訪人も希なるに加様に度度音信せさせ給ふ事不思議の中の不思議也。実相寺の学徒日源は日蓮に帰伏して所領を捨て、弟子檀那に放され御座て我身だにも置処なき由承り候に、日蓮を訪ひ衆僧を哀みさせ給事誠の道心也。聖人也。已に彼人は無双の学生ぞかし。然るに名聞名利を捨てて某が弟子と成て、我身にには我不愛身命の修行を致し、仏の御恩を報ぜんと面面までも教化申し、此の如く供養等まで捧げしめ給事不思議也。末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説せ給て候也。文の意は末世の僧、比丘尼は名聞名利に著し、上には袈裟、衣を著たれば形は僧、比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提て、我出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致し、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事、譬ば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来を見ていがみほへ食合が如くなるべしと云心也。是の如の僧尼は皆皆悪道に堕すべき也。此学徒日源は学生なれば此文をや見させ給けん。殊の外に僧衆を訪ひ顧み給事誠に有難く覚え候。御文に云、此経を持ち申て後退転なく十如是自我偈を読奉り、題目を唱へ申候也。但し聖人の唱させ給ふ題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云。更に勝劣あるべからず候。其故は愚者の持たる金も智者の持たる金も、愚者の然(燃)せる火も智者の然せる火も其差別なき也。但し此経の心に背て唱へば其差別有べき也。此経の修行に重重のしなあり。其大概を申ば記の五に云「悪の数を明す事をば今の文には説不説と云ふ耳」。有人此を分ちて云く「先に悪因を列ね次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に?慢、二に懈怠、三に計我、四に浅識、五に著欲、六に不解、七に不信、八に顰蹙、九に疑惑、十に誹謗、十一に軽善、十二に憎善、十三に嫉善、十四に恨善也。」此十四誹謗は在家出家に亙るべし。可恐可恐。過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり。法華経を持ば必ず成仏すべし。彼を軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立させ給し也。法華経を持ざる者をさへ若持やせんずらん、仏性ありとてかくの如く礼拝し給ふ。何に況や持てる在家出家の者をや。此経の四の巻には「若は在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説者を一言にても毀る事あらば、其罪多き事釈迦仏を一劫の間直に毀り奉る罪には勝たり」と見へたり。或は「若実若不実」とも説れたり。以之思之忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざる歟。其故は法華経を持つ者は必ず皆仏也。仏を毀ては罪を得也。加様に心得て唱る題目の功徳は釈尊の御功徳と等しかるべし。釈に云「阿鼻の依、正は全く極聖の自身に処し、毘盧の身、土は凡下の一念を逾えず」云云。十四誹謗の心は文に任て推量あるべし。加様に法門を御尋候事誠に後世を願せ給人歟。「能聴是法者斯人亦復難」とて此経は正き仏の御使、世に出ずんば仏の御本意の如く説事難き上、此経のいはれを問尋て不審を明め能信ずる者難かるべしと見えて候。何に賎者なりとも少し我より勝れて智慧ある人には此経のいはれを問尋給ふべし。然るに悪世の衆生は我慢偏執、名聞名利に著して彼が弟子と成べき歟。彼に物を習はば人にや賎く思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候。法師品には「人有て八十億劫の間無量の宝を尽して仏を供養し奉らん功徳よりも、法華経を説ん僧を供養して後に須臾の間も此経の法門を聴聞する事あらば、我大なる利益功徳を得べしと悦ぶべし」と見えたり。無智の者は此経を説者に使れて功徳をうべし。何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説ん者をば、「当起遠迎 当如敬仏」の道理なれば仏の如く互に敬べし。例ば宝塔品の時の釈迦、多宝の如くなるべし。此三位房は下劣の者なれども少分も法華経の法門を申者なれば、仏の如く敬て法門を御尋あるべし。「依法不依人」此を思ふべし。されば昔独の人有て雪山と申す山に住給き、其名を雪山童子と云ふ。蕨をおり菓を拾て命をつぎ、鹿の皮を著物とこしらへ肌をかくし、閑に道を行じ給き。此雪山童子おもはれけるは、倩世間を観ずるに生死無常の理なれば生ずる者は必ず死す。されんば憂世の中のあだはかなき事、譬へば電光の如く朝露の日に向て消るに似たり。風の前の灯の消やすく、芭蕉の葉の破やすきに異ならず。人皆此無常を遁れず、終に一度は黄泉の旅に趣くべし。然れば冥途の旅を思に、闇闇としてくらければ日月星宿の光もなく、せめて灯燭とてともす火だにもなし。かゝる闇き道に又ともなふ人もなし。裟婆にある時は親類、兄弟、妻子、眷属集つて、父は慈みの志高く母は悲みの情深く、夫妻は海老同穴の契とて、大海にあるえびは同じ畜生ながら夫妻ちぎり細かに、一生一処にともなひて離去る事なきが如く、鴛鴦の衾の下に枕を並て遊び戯る中なれども、彼冥途の旅には伴なふ事なし。冥冥として独り行く誰か来て是非を訪はんや。或は老少不定の境なれば、老たるは先立ち若きは留る。是は順次の道理也。歎の中にもせめて思なぐさむ方も有ぬべし。老たるは留り若きは先立つ。されば恨の至て恨めしきは、幼くして親に先立つ子、歎の至て歎かしきは、老て子を先立つる親也。是の如く生死無常、老少不定の境あだにはか(果敢)なき世の中に、但昼夜に今生の貯をのみ思ひ、朝夕に現世の業をのみなして、仏をも敬はず法をも信ぜず、無行無智にして徒らに明し暮して、閻魔の庁庭に引迎へられん時は何を以てか資料として三界の長途を行き、何を以て船筏として生死の曠海を渡て実報、寂光の仏土に至ん哉と思ひ、迷へば夢、覚れば寤。しかじ夢の憂世を捨てて寤の覚を求んにはと思惟し、彼山に篭て観念の牀の上に妄想顛倒の塵を払ひ、偏に仏法を求め給所に、帝釈遥に天より見下し給て思食さるる様は、魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此の如し。菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入者は少し。都て凡夫の菩提心は多く、悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物也。鎧を著たる兵者は多けれども、戦に恐をなさざるは少なきが如し。此人の意を行て試ばやと思て、帝釈、鬼神の形を現じ童子の側に立給ふ。其時仏、世にましまさざれば、雪山童子普く大乗経を求るに聞ことあたはず。時に諸行無常、是生滅法と云音ほのかに聞ゆ。童子驚き四方を見給に人もなし。但鬼神近付て立たり。其形けはしくをろろしく(恐)して頭のかみは炎の如く、口の歯は剣の如く、目を瞋らして雪山童子をまほり奉る。此を見るにも恐れず、偏に仏法を聞事を喜び怪しむ事なし。譬ば母を離れたるこうし(犢)ほのかに母の音を聞つるが如し。此事誰か誦しつるぞ、いまだ残の語あらんとて普く尋求るに、更に人もなければ若も此語は鬼神の説つる歟と疑へども、よもさもあらじと思ひ彼身は罪報の鬼神の形也。此偈は仏の説給へる語也。かゝる賎き鬼神の口より出べからずとは思へども、亦殊に人もなければ若し此語汝が説つるかと問へば、鬼神答て云ふ、我に物な云ぞ。食せずして日数を経ぬれば飢疲れて正念を覚えず。既にあだごと云つるならん。我うつけ(現)る意にて云へば知事もあらじと答ふ。童子の云、我は此半偈を聞つる事、半なる月を見るが如く半なる玉を得るに似たり。慥に汝が語也。願は残る偈を説給へとのたまふ。鬼神の云、汝は本より悟あれば聞ずとも恨は有べからず。吾は今飢に責られたれば物を云べき力なし。都て我に向て物な云ぞと云ふ。童子猶物を食ては説かんやと問ふ、鬼神答て食ては説てんと云ふ。童子悦びてさて何物をか食とするぞと問へば、鬼神の云、汝更に問べからず、此を聞ては必ず恐を成ん。亦汝が求むべき物にもあらずと云へば、童子猶責て問給はく、其物をとだにも云はば、心みにも求んとの給ば、鬼神の云、我は但人の和らかなる肉を食し、人のあたゝかなる血を飲む。空を飛び普く求れども、人をば各守り給ふ仏神ましませば心に任せて殺しがたし。仏神の捨て給ふ衆生を殺して食する也と云ふ。其時雪山童子の思給はく、我法の為に身を捨て、此偈を聞畢らんと思て、汝が食物こゝに有り外に求べきにあらず。我身いまだ死せず、其肉あたゝか也。我身いまだ寒ず、其血あたゝかならん。願は残の偈を説給へ、此身を汝に与んと云ふ。時に鬼神大に瞋て云、誰か汝が語を実とは憑むべき。聞て後には誰をか証人として糺さんと云ふ。雪山童子の云、此身は終に死すべし。徒に死せん命を法の為に投ば、きたなくけがらはし(汚穢)き身を捨てて、後生は必ず覚を開き仏となり清妙なる身を受べし。土器を捨てて宝器に替るが如くなるべし。梵天、帝釈、四大天王、十方の諸仏菩薩を皆証人とせん。我更に偽るべからずとの給り。其時鬼神少し和いで若汝が云処、実ならば偈を説かんと云ふ。其時雪山童子大に悦んで、身に著たる鹿の皮を脱で法座に敷き、頭を地に付け掌を合せ、跪き、但願くは我為に残の偈を説給へと云て、至心に深く敬ひ給ふ。さて法座に登り鬼神偈を説て云、生滅滅已、寂滅為楽と、此時雪山童子是を聞き、悦び貴み給ふ事限なく、後世までも忘れじと度度誦して深く其心にそめ、悦敷処はこれ仏の説給へるにも異ならず、歎敷処は我一人のみ聞て人の為に伝へざらん事をと深く思て、石の上、壁の面、路の辺の諸木ごとに此偈を書付け、願は後に来ん人必ず此文を見、其義理をさとり実の道に入れと云畢て、即ち高き木に登て鬼神の前に落給へり。いまだ地に至らざるに鬼神俄に帝釈の形と成て、雪山童子の其身を受取て、平かなる所にすえ奉て恭敬礼拝して云、我暫く如来の聖教を惜て、試に菩薩心を悩し奉る也。願くは此罪を許して後世には必ず救ひ給へと云ふ。一切の天人又来て、善哉善哉、実に是れ菩薩也と讃給ふ。半偈の為に身を投て、十二劫生死の罪を滅し給へり。此事涅槃経に見えたり。然れば雪山童子の古を思へば半偈の為に猶命を捨給ふ。何に況や此経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや。何を以てか此を報ぜん。尤も後世を願はんには、彼雪山童子の如くこそあらまほしくは候へ。誠に我身貧にして布施すべき宝なくば我身命を捨て、仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。とても此の身は徒らに山野の土と成べし。惜みても何かせん。惜むとも惜みとぐべからず。人久しといえども百年には過ず、其間の事は但一睡の夢ぞかし。受がたき人身を得て適出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責ずして徒らに遊戯雑談のみして、明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生也。法師の名を借て世を渡り、身を養ふといへども、法師となる義は一もなし。法師と云ふ名字をぬすめる盗人也。恥べし、恐べし。迹門には「我不愛身命但惜無上道」ととき、本門には「不自惜身命」ととき、涅槃経には「身軽法重死身弘法」と見えたり。本迹両門、涅槃経共に身命を捨て法を弘むべしと見えたり。此等の禁を背く重罪は目には見えざれども、積りて地獄に堕る事、譬ば寒熱の姿形もなく眼には見えざれども、冬は寒来て草木人畜をせめ、夏は熱来て人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。然に在家の御身は但余念なく、南無妙法蓮華経と御唱ありて、僧をも供養し給が肝心にて候也。それも経文の如くならば随力演説も有べき歟。世の中、ものう(憂)からん時も今生の苦さへかなしし。況や来世の苦をやと思食ても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思食合せて、又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して、最後臨終の時を待て御覧ぜよ。妙覚の山に走り登て四方をきつと見るならば、あら面白や、法界寂光土にして、瑠璃を以て地とし金の縄を以て八の道を界へり。天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽、快楽し給ぞや。我等も其数に列りて遊戯し楽むべき事、はや近づけり。信心弱くしてはかゝる目出たき所に行べからず、行べからず。不審の事をば尚尚、承はるべく候。穴賢穴賢。
建治二年丙子十二月九日               日蓮花押
松野殿御返事
(微上ノ二二。考三ノ四九。)