松野殿御消息
執筆年:建治二年
真筆あり
柑子一篭・種種の物送り給候。
法華経第七の巻薬王品に云く_衆星之中。月天子。最為第一。此法華経。亦復如是。於千万億種。諸経法中。最為照明〔衆星の中に月天子最も為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。千万億種の諸経法の中に於て最も為れ照明なり〕云云。文の意は虚空の星は或は半里、或は一里、或は八里、或は十六里也。天の満月輪は八百里にてをはします。華厳経六十巻・或八十巻、般若経六百巻、方等経六十巻、涅槃経四十巻・三十六巻、大日経・金剛頂経・蘇悉地経・観経・阿弥陀経等の無量無辺の諸経は星の如し。法華経は月の如しと説かれて候経文也。此れは龍樹菩薩・無著菩薩・天台大師・善無畏三蔵等の論師人師の言にもあらず、教主釈尊の金言也。譬へば天子の一言の如し。
又法華経の薬王品に云く_有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕。文の意は法華経を持つ人は男ならば何なる田夫にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因・四大天王・転輪聖王・乃至漢土・日本の国主等にも勝れたり。何に況んや日本国の大臣・公卿・源平の侍・百姓等に勝れたる事申すに及ばず。女人ならば・尸迦女・吉祥天女・漢の李夫人・楊貴妃等の無量無辺の一切の女人に勝れたりと説かれて候。
案ずるに経文の如く申さんとすればをびただしき様なり。人もちゐん事もかたし。此れを信ぜじと思へば、如来の金言を疑ふ失は経文明らかに阿鼻地獄の業と見へぬ。進退わづらひ有り、何がせん。此の法門を教主釈尊は四十余年が間は胸内にかくさえ給ふ。さりとてはとて御年七十二と申せしに、南閻浮提の中天竺王舎城の丑寅耆闍崛山にして説かせ給ひき。今日本国には仏御入滅一千四百余年と申せしに来りぬ。夫れより今七百余年也。先一千四百余年が間は日本国の人、国王・大臣乃至万民一人も此のことを知らず。今此の法華経わたらせ給へども、或は念仏を申し、或は真言にいとまを入れ、禅宗持斉なんど申し、或は法華経を読む人は有りしかども、南無妙法蓮華経と唱ふる人は日本国に一人も無し。
日蓮始めて建長五年夏の始めより二十四年が間唯一人、当時の人の念仏を申すやうに唱ふれば、人ごとに是れを笑ひ、結句はのり、うち、切り、流し、頚をはねんとせらるること、一日二日一月二月一年二年ならざれば、こらふ(堪)べしともをぼえ候はねども、此の経文を見候へば、檀王と申せし王は千歳が間阿私仙人に責めつかはれ、身を牀となし給ふ。不軽菩薩と申せし僧は多年が間悪口罵詈せられ、刀杖瓦礫を蒙り、薬王菩薩と申せし菩薩は千二百年が間身をやき、七万二千歳ひぢ(臂)を焼き給ふ。此れを見はんべるに、何なる責め有りとも、いかでかさてせき(塞)留むべきと思ふ心に、今まで退転候はず。
然るに在家の御身として皆人にくみ候に、而もいまだ見参に入り候はぬに、何と思し食して御信用あるやらん。是れ偏に過去の宿植なるべし。来生に必ず仏に成らせ給ふべき期の来りてもよを(催)すこゝろなるべし。
其の上経文には鬼神の身に入る者は此の経を信ぜず、釈迦仏の御魂の入りかはれる人は此の経を信ずと見へて候へば、水に月の影の入りぬれば水の清むがごとく、御心の水に教主釈尊の月の影の入り給ふ歟とたのもしく覚へ候。
法華経の第四法師品に云く_有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃 由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼〔人あって仏道を求めて 一劫の中に於て 合掌し我が前にあって 無数の偈を以て讃めん 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん 持経者を歎美せんは 其の福復彼れに過ぎん〕等云云。文の意は一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも、末代の浅智なる法華経の行者の、上下万民にあだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。一劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を、やすりを以て無量劫が間する(磨)ともつきまじきを。梵天三銖の衣と申して、きはめてほそくうつくしきあまの羽衣を以て、三年に一度下りてなづるに、なでつくしたるを一劫と申す。此の間無量の財を以て供養しまいらせんよりも、濁世の法華経の行者を供養したらん功徳はまさるべきと申す文也。
信じがたき事なれども、法華経はこれていに、をびただしく、まことしからぬ事どもあまたはんべし。又信ぜじとをもえば多宝仏は証明を加へ、教主釈尊は正直の金言となのらせ給ふ。諸仏は広長舌を梵天につけぬ。父のゆづりに母の状をそえて賢王の宣旨を下し給ふがごとし。三つこれ一同なり、誰かこれを疑はん。
されば此れを疑ひし人無垢論師は舌五つに破れ、嵩法師は舌ただれ、三階禅師は現身に大蛇となる。徳一は舌八つにさけにき。其れのみならず、此の法華経竝びに行者を用ひずして、身をそんじ、家をうしない、国をほろぼす人人、月支・震旦に其の数をしらず。第一には日天朝に東に出で給ふに、大光明を放ち天眼を開いて南閻浮提を見給ふに、法華経の行者あれば心に歓喜し、行者をにくむ国あれば天眼いからして其の国をにらみ給ふ。始終用ひずして国の人にくめば、其の故と無くいくさをこり、他国より其の国を破るべしと見へて候。
昔徳勝童子と申せしをさなき者は、土の餅を釈迦仏に供養し奉りて、阿育大王と生まれて、閻浮提の主と成りて、結句は仏になる。今の施主の菓子等を以て法華経を供養しまします、何かに十羅刹女等も悦び給ふらん。悉く尽くしがたく候。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
二月十七日 日 蓮 花押
松野殿御返事