本門戒体鈔
執筆年:弘安二
本門戒体鈔(原文漢文)
弘安二年。五十八歳著。
内三〇ノ一七。遺二七ノ一八。縮一八八一。類三六三。 大乗戒並びに小乗戒の事。
凡そ二百五十戒を受て大僧の名を得るなり。受戒は辺国は五人、中国は十人なり。十人とは三師、七証なり。三師とは和尚と阿闍梨と教授となり。十人共に五徳を具す。二百五十戒を別解脱戒と云ひ、亦は具足戒とも云ふなり。小乗の五戒を受くるを優婆塞、優婆夷と云ふなり。八斎戒も亦是の如し。五戒を受くるに必ず二師あり。二師とは和尚と阿闍梨となり。八斎戒も亦是の如し。小乗戒は経巻ありと雖も師資相承無き者には戒を授けざるなり。菩薩の前にして仏の前に非ざれば戒を授けざるなり。大乗戒の事(師は必ず五徳を具する僧なり。常には一師二師なり。一師とは名目梵網経に出づ。二師とは和尚と阿闍梨となり。)具に十重禁戒を受くるを大僧と名くるなり。亦具足戒とも云ふなり。一戒二戒を受るをば具足戒とは云はざるなり。日本国には伝教大師より始めて一向大乗戒を立つるなり。伝教已前には通受戒なり。通受戒とは小乗戒を受ては威儀を正し、大乗戒を受ては成仏を期するなり。大小乗の戒を兼ね受るを通受戒と云ふ。日本国には小乗の別解脱戒の弘る事は鑒真和尚の時より始まれり。鑒真已前は沙弥戒なり。千里の内に五徳を具せし僧なければ自誓受戒す。自誓受戒とは道場に坐して一日二日、乃至一年二年罪障を懺悔す。普賢、文殊等来りて告て毘尼薩毘尼薩と云はん時自誓受戒すべし。即ち大僧と名く。毘尼薩毘尼薩とは滅罪滅罪し云ふ事なり。若し五徳を具する僧あれば好相を見ずして受戒するなり。十重禁戒を破る者も懺悔すれば之を授く。四十八軽も亦復是の如し。五逆、七逆は論なり。経文分明ならず。授けざるは道理なり。仏は則ち盧舎那仏、二十余の菩薩、羅什三蔵、南岳、天台、乃至道邃、伝教大師等なり。達磨、不空は天竺より此戒を受けたり。已上常人の義なり。日蓮云く、彼は梵網の意か。伝教大師の顕戒論に云く「大乗戒に二あり。一には梵網経の大乗、二には普賢経の大乗なり。普賢経は一向自誓受戒なり」。常の人は梵網千里の外の自誓受戒と、普賢経の自誓受戒とこれ同じと思へるなり。日蓮云く、水火の相違なり。所以者何、伝教大師の顕戒論に二義有り。「一には梵網経の十重、四十八軽戒の大僧戒、二には普賢経の大僧戒なり。梵網経の十重禁、四十八軽戒を以て眷属戒となすなり。法華経、普賢経の戒を以て大王戒となすなり。小乗のに二百五十戒等は民戒、梵網経の戒は臣戒、法華経、普賢経の戒は大王戒なり」と云云。普賢経の戒師は千里の外にも千里の内にも、五徳あるも五徳なきも、等覚已下の生身の四依の菩薩等を以て、全く伝受戒の師に用ゆべからず。受戒に必ず三師、一証、一伴なり、已上五人なり。三師とは一は生身の和尚は霊山浄土の釈迦牟尼如来なり。響の音に応ずるが如く清水に月の移るが如く、法華経の戒を自誓受戒する時必ず来り給ふなり。然れば則ち何ぞ生身の釈迦牟尼如来を捨てゝ、更に等覚の元品未断の四依等を用ひんや。若し円教の四依あらば伝戒の為にこれを請ずべし。伝受戒のためにはこれを用ゆべからず。疑つて云く、小乗の戒、梵網の戒何ぞ生身の如来来らざるや。答へて云く、小乗の釈迦は灰身滅智の仏なり。生身既に破れたり。譬へば水瓶に清水を入れて佗の全瓶に移せば本瓶既に破るが如し。小乗の釈迦は五分法身の水を以て迦葉、阿難等の全瓶に移して仏既に灰断に入り了んぬ。乃至仏、四果、初果、四善根、三賢及以博地の凡夫、二千二百余年の間次の瓶に五分法身の水を移せば前瓶は即ち破壊す。是の如く展転するの程に凡夫の土器の瓶に、此の五分法身の水を移せば未だ佗瓶に移さゞるの前に五分法身の水漏失す。更に何れの水を以てか佗の瓶に移さんや。小乗の戒体も亦復是の如し。正像既に尽きぬ、末法の濁乱に有名無実なり。二百五十戒の僧等は但土器の瓶のみ有つて全く五分法身の水なきなり。是の如き僧等は形は沙門に似れども、戒体なきが故に天これを護らず。唯悪行のみを好んで愚人を誑惑するなり。梵網大乗の戒は、譬へば金銀の瓶に仏性法身の清水を入れて亦金銀の瓶に移すが如し。終には破壊すべしと雖も瓦器、土器に勝れて其用強し。故に小乗の二百五十戒の僧の持戒よりも、梵網大乗の破戒の僧は国の依怙となる。然りと雖も此戒も終には漏失すべきものなり。普賢経の戒は正、像、末の三時に亙つて、生身の釈迦如来を以て戒師となす、故に等覚已下の聖、凡の師を用ひざるなり。小乗の劣応身、通教の勝応身、別教の台上の盧遮那、爾前の円教の虚空為座の毘盧遮那仏すら猶以てこれを用ひず。何に況や、其已下の菩薩、声聞凡夫等の師をや。但だ法華迹門の四教開会の釈迦如来之を用ひて和尚となすなり。二は金色世界の文殊師利菩薩之を請じて阿闍梨となす。四味、三教並に爾前の円教の文殊には非ず。此は法華迹門の文殊なり。三は都史多天宮の弥勒慈尊之を請じて教授となす。小乗未断惑の弥勒乃至通別円等の弥勒には非ず。亦無著菩薩のために阿輸舎国に来下して授けし所の大乗師の弥勒にも非ず。此は迹門方便品を授くる所の弥勒なり。已上三師なり。一証とは十方の諸仏なり、此は則ち小乗の七証に異なるなり。一伴とは同伴なり、同伴とは同く受戒の者なり。法華の序品に列なる所の二乗菩薩、二界八番の衆なり。今の戒とは小乗の二百五十戒等並に梵網の十重禁、四十八軽戒、華厳の十無尽戒、瓔珞の十戒等を捨てゝ、未顕真実と定め畢つて方便品に入つて持つ所の五戒、八戒、十善戒、二百五十戒、五百戒乃至十重禁戒等なり。経に是名持戒とは則ち此意なり。迹門の戒は爾前大小の諸戒には勝ると雖も而も本門の戒には及ばざるなり。十重禁とは一には不殺生戒、二には不偸盗戒、三には不邪淫戒、四には不妄語戒、五には不?酒戒、六には不説四衆過罪戒、七には不自讃毀佗戒、八には不慳貪戒、九には不瞋恚戒、十には不謗三宝戒なり。第一不殺生戒とは爾前の諸経の心は仏は不殺生戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は殺生第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不殺生戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不殺生戒を持たず。二乗、闡提、無性の有情等の九界の衆生を殺して成仏せしめず。能化の仏未だ殺生罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経は悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の殺生罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不殺生戒を持つや不や、持つと三返。第二に不偸盗戒とは爾前の諸経の心は仏は不偸盗戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は偸盗第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不偸盗戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不偸盗戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の仏性の玉を盗んで成仏せしめず。能化の仏未だ偸盗罪を免れず、何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の偸盗罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不偸盗戒を持つや不や、持つと三返。第三に不邪淫戒とは爾前の諸経の心は仏不邪淫戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は邪淫第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不邪淫戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不邪淫戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の仏性の智水を犯して成仏せしめず。能化の仏未だ邪淫の罪を免れず、何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の邪淫罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不邪淫戒を持つや不や、持つと三返。第四に不妄語戒とは、爾前の諸経の心は仏は不妄語戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は妄語第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不妄語を持つに似たりと雖も未だ出世の不妄語戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の色心を破つて成仏せしめず。能化の仏未だ妄語罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の妄語罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不妄語戒を持つや不や、持つと三返。第五に不?酒戒とは、爾前の諸経の意は仏は不?酒戒を持つと説けり。然りと雖も法華経の心は爾前の仏は?酒第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不?酒戒を持つに似たりと雖も未だ出世の不?酒戒を持たず。二乗、闡提等九界の衆生をして無明の酒を飲ましめて成仏せしめず。能化の仏未だ?酒罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の?酒罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不?酒戒を持つや不や、持つと三返。第六に不説四衆過罪戒とは爾前の諸経の心は仏不説過罪戒を持つと説けり。然りと雖も法華経の心は爾前の仏は説過罪第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不説過罪を持つに似たりと雖も、未だ出世の不説過罪戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の過罪を説て成仏せしめず。能化の仏未だ説過罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の説過罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不説過罪戒を持つや不や、持つと三返。第七に不自讃毀佗戒とは、爾前の諸経の心は仏は不自讃毀佗戒を持つと説けり。然りと雖も法華の意は爾前の仏は自讃毀佗第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不自讃毀佗戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不自讃毀佗戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生を毀りて成仏せしめず。能化の仏未だ自讃毀佗の罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の自讃毀佗罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不自讃毀佗戒を持つや不や、持つと三返。第八に不慳貪戒とは、爾前の諸経の心は仏は不慳貪戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は慳貪第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不慳貪戒を持つに似たりと雖も未だ出世の不慳貪戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の仏性の玉を慳みて成仏せしめず。能化の仏未だ慳貪罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の慳貪罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不慳貪戒を持つや、不や、持つと三返。第九に不瞋恚戒とは爾前の諸経の心は仏不瞋恚戒を持つと説けり。然りと雖も法華の意は爾前の仏は瞋恚第一なり、所以者何、爾前の仏は一往世間の不瞋恚戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不瞋恚戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生を瞋りて成仏せしめず。能化の仏未だ瞋恚罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の瞋恚罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不瞋恚戒を持つや不や、持つと三返。第十に不謗三宝戒とは爾前の諸経の意は仏不謗三宝戒を持つと説けり。然りと雖も法華の意は爾前の仏は謗三宝第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不謗三宝戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不謗三宝戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の三宝を謗つて成仏せしめず。能化の仏未だ謗三宝罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の謗三宝罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不謗三宝戒を持つや不や、持つと三返。
(啓三三ノ五四。鈔二〇ノ五七。語四ノ三三。音下ノ三八。拾六ノ五三。扶一二ノ五二)