曾谷殿御返事(成仏用心鈔)

執筆年:建治二
曽谷殿御返事(曽谷第五書)(成仏用心鈔)      建治二年八月。五十五歳作。与曽谷入道法蓮書。      外二五ノ一七。遺二二ノニ。縮一五一三。類七一二。 夫れ法華経第一方便品に云く「諸仏智慧甚深無量」云云。釈に云く「境淵無辺なる故に甚深と云ひ、智水測り難き故に無量と云ふ」と。抑も此経、釈の心は仏になる道は豈に境、智の二法にあらずや。されば境と云ふは万法の体を云ひ、智と云ふは自体顕照の姿を云ふ也。而るに境の淵ほとり(辺)なくふかき時は、智慧の水ながるる事つゝがなし。此の境、智合しぬれば即身成仏する也。法華以前の経は境、智各別にして、而も権教方便なるが故に成仏せず。今法華経にして境、智一如なる間、開、示、悟、入の四仏知見をさとりて成仏する也。此内証に声聞、辟支仏更に及ばざるところを、次下に「一切声聞辟支仏所不能知」と説かるる也。此境、智のに二法は何物ぞ、但南無妙法蓮華経の五字也。此の五字を地涌の大士を召出して結要付属せしめ給ふ。是を本化付属の法門とは云ふ也。然るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境、智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫赫たり、明明たり、誰か是を論ぜん。日蓮は其人にも非ず、又御使にもあらざれども、先序分にあらあら弘め候也。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯稿の衆生に流れかよはし給ふ。是智慧の義也。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此法門を弘む。又是には総、別の二義あり。総、別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず、輪廻生死のもとい(基)たらん。例せば大通仏の第十六の釈迦如来に下種せし今日の声聞は、全く弥陀、薬師に遇て成仏せず。譬ば大海の水を家内へくみ(汲)来らんには家内の者皆縁をふるべき也。然れども汲み来るところの大海の一滴を閣きて、又他方の大海の水を求めん事は大僻案也、大愚痴也。法華経の大海の智慧の水を受たる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはい(禍)なるべし。但し師なりとも誤ある者をば捨つべし、又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべき也。末世の僧等は仏法の道理をばしらずして、我慢に著して師をいやしみ、檀那をへつらふなり。但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ。文句一に云く「既に未だ真を発さゞれば第一義天に慙ぢ、諸の聖人に愧づ、即ち是有羞の僧なり。観慧若し発するは即ち真実の僧なり」云云。涅槃経に云く「若善比丘見壊法者置不呵責駈遺挙処当知是人仏法中怨若能駈遺呵責挙処是我弟子真声聞也」云云。此文の中に「見壊法者」の見と、「置不呵責」の置とを能能心腑に染むべきなり。法華経の敵を見ながら置てせめずんば、師、檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云。謗法を責ずして成仏を願はば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなし、はかなし。何に法華経を信じ給ふとも謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし(漆)千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し「毒気深入失本心故」は是也。経に云く「在在諸仏土常与師倶生」。又云く「若親近法師速得菩薩道随順是師学得見恒沙仏」。釈に云く「本此仏に従つて初めて道心を発し、亦此仏に従つて不退地に住す」。又云く「初め此仏、菩薩に従つて結縁し、還此仏、菩薩に於て成就す」云云。返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給ふべし。釈尊は一切衆生の本従の師にて、而も主、親の徳を備へ給ふ。此法門を日蓮申す故に、忠言耳に逆ふ道理なるが故に流罪せられ、命にも及びしなり。然どもいまだこりず候。法華経は種の如く、仏はうへての如く、衆生は田の如く也。若此等の義をたがへさせ給はば、日蓮も後生は助け申すまじく候。恐恐謹言。   建治二年丙子八月三日               日蓮花押  曽谷殿 (微下ノ二五。考八ノ四一。)