曾谷殿御返事
曽谷殿御返事(曽谷第七書)
弘安二年八月。五十八歳作。
内三七ノ一七。遺二七ノ一。縮一八六二。類一三二五。 焼米二俵給畢ぬ。米は少と思食候へども人の寿命を継物にて候。命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説せ給へり。米は命を継物也。譬ば米は油の如く命は灯の如し。法華経は灯の如く、行者は油の如し。檀那は油の如く、行者は灯の如し。一切の百味の中には乳味と申て牛の乳第一なり。涅槃経の七に云「猶如諸味中乳最為第一」云云。乳味をせん(煎)ずれば酪味となる、酪味をせんずれば乃至醍醐味となる。醍醐味は五味の中の第一也。法門を以て五味にたとへば儒家の三千、外道の十八、大経に衆味の如し、阿含経は醍醐味なり。阿含経は乳味の如く、観経等の一切の方等部の経は酪味の如し。一切の般若経は生蘇味、華厳経は熟蘇味、無量義経と法華経と涅槃経とは醍醐の如し。又涅槃経は醍醐のごとし、法華経は五味の主の如し。妙楽大師云「若し教旨を論ずれば法華は唯開権顕遠を以て教の正主と為す、独り妙の名を得る意此に在り」云云。又云「故に知んぬ法華は為醍醐の正主」等云云。此釈は正く法華経は五味の中にはあらず。此釈の心は五味は寿命をやしなふ、寿命は五味の主也。天台宗には二の意あり。一には華厳、方等、般若、涅槃、法華、同く醍醐味也。此釈の心は爾前と法華とを相似せるににたり。世間の学者等此筋のみを知て、法華経は五味の主と申法門に迷惑せるゆへに諸宗にたぼらかさるる也。開未開異なれども同く円なりと云云。是は迹門の心なり。諸経は五味、法華経は五味の主と申法門は本門の法門也。此法門は天台、妙楽粗書せ給ひ候へども分明ならざる間、学者の存知すくなし。此釈に「若論教旨」とかかれて候は、法華経の題目を教旨とはかかれて候。開権と申は五字の中の華の一字也。顕遠とかかれて候は五字の中の蓮の一字也。「独得妙名」とかかれて候は妙の一字也。「意在於此」とかかれて候は、法華経を一代の意と申は題目なりとかかれて候ぞ。此を以て知べし、法華経の題目は一切経の神、一切経の眼目也。大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に、大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば、日本国の一切の寺塔の仏像等、形は仏に似れども心は仏にあらず、九界の衆生の心なり。愚痴の者を智者とすること是より始れり。国のついへ(費)のみ入て祈とならず、還て仏変じて魔となり鬼となり、国主乃至万民をわづらはす是也。今法華経の行者と檀那との出来する故に百獣の師子王をいとひ、草木の寒風をおそるるが如し。是は且くをく。法華経は何故ぞ諸経に勝て一切衆生の為に用る事なるぞと申に、譬ば草木は大地を母とし、虚空を父とし、甘雨を食とし、風を魂とし、日月をめのと(乳母)として生長し、華さき菓なるが如く、一切衆生は実相を大地とし、無相を虚空とし、一乗を甘雨とし、已今当第一の言を大風とし、定慧力荘厳を日月として妙覚の功徳を生長し、大慈大悲の華さかせ、安楽仏果の菓なつて一切衆生を養ひ給ふ。一切衆生又食するによりて寿命を持つ。食に多数あり。土を食し、水を食し、火を食し、風を食する衆生もあり。求羅と申す虫は風を食す。うぐろもち(?鼠)と申す虫は土を食す。人の皮、肉、骨髄等を食する鬼神もあり。尿、糞等を食する鬼神もあり。寿命を食する鬼神もあり。声を食する鬼神もあり。石を食するいを(魚)くろがね(鉄)を食するばく(獏)もあり。地神、天神、龍神、日月、帝釈、大梵王、二乗、菩薩、仏は、仏法をなめて身とし魂とし給ふ。例せば乃往過去に輪陀王と申す大王ましましき。一閻浮提の主也、賢王也。此王はなに物をか供御とし給と申せば、白馬の鳴声をきこしめて身も生長し、身心も安穏にしてよをたもち給ふ。れいせば蝦蟆と申す虫母のなく声を聞て生長するがごしし。秋のはぎ(萩)のしか(鹿)の鳴に華のさくがごとし。象牙草のいかづち(雷)の声にはらみ(孕)柘榴の石にあふてさかうるがごとし。されば此王白馬ををほくあつめてかはせ給ふ。又此白馬は白鳥をみてなく馬なれば、をほくの白鳥をあつめ給しかば我身の安穏なるのみならず、百官万乗もさかへ天下も風雨時にしたがひ、佗国もかうべ(頭)をかたぶけ(傾)てすねん(数年)すごし給に、まつり(政)事のさをい(相違)にやはむべりけん、又宿業によつて果報や尽けん、千万の白鳥一時にうせ(失)しかば又無量の白馬もなく事やみぬ。大王は白馬の声をきかざりしゆへに、華のしぼめるがごとく月のしよく(蝕)するがごとく、御身の色かはり力よはく、六根もうもう(?々)として、ぼれ(耄)たるがごとくありしかば、きさき(后)ももうもうしくならせ給ふ。百官万乗もいかんがせんとなげき(歎)、天もくもり(曇)地もふるひ(震)大風かんばち(旱魃)し、けかち(飢渇)、やくびやう(疫病)に人の死する事、肉はつか(塚)骨はかはら(瓦)とみへしかば、佗国よりもをそひ来れり。此時大王いかんがせんとなげき給しほどに、せんする所は仏、神にいのるにはしくべからず、此国にもとより外道をほく国国をふさげり。又仏法という物ををほくあがめをきて国の大事とす。いづれにてもあれ白鳥をいだして白馬をなかせん法をあがむべし。まづ外道の法にをほせつけて数日をこなはせけれども、白鳥一疋もいでこず、白馬もなく事なし。此時外道のいのりをとどめて仏教にをほせつけられけり。其時馬鳴菩薩と申す小僧一人あり、めしいだされければ此僧の給はく、国中に外道の邪法をとどめて仏法を弘通し給べくば、馬をなかせん事やすしといふ。勅宣に云、をほせのごとくなるべしと。其時馬鳴菩薩三世十方の仏にきしやう(祈請)し申せしかば、たちまちに白鳥出来せり。白馬は白鳥を見て一こへなきけり。大王馬の声を一こへきこしめして眼を開き給ふ、白鳥二ひき(疋)乃至百千いできたりければ、百千の白馬一時に悦なきけり。大王の御いろなをること日しよく(蝕)のほんにふく(本復)するがごとし、身の力、心のははり事、先先には百千万ばい(倍)こへたり。きさきも(后)よろこび、大臣、公卿いさみて万民もたな心をあはせ、佗国もかうべをかたぶけたりとみへて候。今のよ(世)も又是にたがう(違)べからず。天神七代、地神五代、已上十二代は成劫のごとし。先世のかいりき(戒力)と福力とによて、今生のはげみなれども国もおさまり人の寿命も長し。人王のよ(代)となりて二十九代があいだは、先世のかいりき(戒力)もすこしよはく、今生のまつり(政)事もはかなかりしかば、国にやうやく三災、七難をこりはじめたり。なをかんど(漢土)より三皇、五帝の世ををさむべきふみ(文書)わたりしかば、其をもて神をあがめて国の災難をしづむ。人王第三十代欽明天王の世となりて、国には先世のかいふく(戒福)うすく、悪心がうじやう(強盛)の物をほく出来て善心をろかに悪心はかしこし。外典のをしへ(教)はあさし。つみ(罪)もをもきゆへに外典すてられ、内典になりしなり。れい(例)せばもりや(守屋)は、日本の天神七代、地神五代が間の百八十神をあがめたてまつりて、仏教をひろめずして、もとの外典となさんといのりき。聖徳太子は教主釈尊を御本尊として、法華経、一切経をもんしよ(文書)として、両方のせうぶ(勝負)ありしに、ついには神はまけ仏はかたせ給て、神国はじめて仏国となりぬ。天竺、漢土の例のごとし。「今此三界皆是我有」の経文あらはれさせ給べき序也。欽明より桓武にいたるまで二十よ(余)代、二百六十余年が間、仏を大王とし神を臣として世ををさめ給しに、仏教はすぐれ神はをとりたりしかども、未だよ(代)をさまる事なし。いかなる事にやとうたがは(疑)りし程に、桓武の御宇に伝教大師と申す聖人出来して、勘へて云、神はまけ仏はかたせ給ぬ。仏は大王、神は臣か(下)なれば、上下あひついでれいぎ(礼儀)ただしければ、国中をさまるべしとをもふに国のしづかならざる事ふしん(不審)なるゆへに、一切経をかんがへて候へば道理にて候けるぞ。仏教にをほきなるとがありけり。一切経の中に法華経と申す大王をはします。ついて華厳経、大品経、深密経、阿含経等はあるいは臣の位、あるいはさふらい(侍)のくらい、あるいはたみ(民)の位なりけるを、或は涅槃経は法華経にはすぐれたり三論宗、或は深密経は法華経にすぐれたり法相宗、或は華厳経は法華経にすぐれたり華厳宗、或は律宗は諸宗の母也なんど申て、一人として法華経の行者なし。世間に法華経を読誦するは還てをこつ(笑)きうしなう也。依之天もいかり、守護の善神も力よはし云云。所謂法華経をほむといえども返て法華の心をころす等云云。南都七大寺、十五大寺、日本国中の諸寺、諸山の諸僧等此ことばをききてをほきにいかり、天竺の大天、漢土の道士、我国に出来せり。所謂最澄と申す小法師是也。せん(詮)する所は行あはむずる処にてかしら(頭)をわれ、かた(肩)をきれをとせ、うてのれ(打詈)と申せしかども、桓武天皇と申す賢王たづねあきらめて、六宗はひが(僻)事なりけりとて、初てひへい(比叡)山をこんりうして天台法華宗とさだめをかせ、円頓の戒を建立し給のみならず七大寺、十五大寺の六宗の上に法華宗をそへ(副)をかる。せんする所六宗を法華経の方便となされしなり。れい(例)せば神の仏にまけて門まほりとなりしがごとし。日本国も又又かくのごとし。法華経第一の経文初て此国に顕れ給ひ、「能窃為一人説法華経」の如来の使、初て此国に入給ぬ。桓武、平城、嵯峨の三代、二十余年が間は日本一州皆法華経の行者なり。しかれば栴檀には伊蘭、釈尊には提婆のごとく、伝教大師と同時に弘法大師と申す聖人出現せり。漢土にわたりて大日経、真言宗をならい、日本国にわたりてありしかども伝教大師の御存生の御時は、いたう法華経に大日経すぐれたりといふ事はいはざりけるが、伝教大師去弘仁十三年六月四日にかくれさせ給てのち、ひまをえたりとやをもひけん、弘法大師去弘仁十四年正月十九日に真言第一、華厳第二、法華第三は戯論の法、無明の辺域、天台宗等は盗人なりなんど申す書ともをつくりて、嵯峨の皇帝を申かすめたてまつりて、七宗に真言宗を申くはえて七宗を方便とし、真言宗は真実なりと申立畢ぬ。其後日本一州の人ごとに真言宗になりし上、其後又伝教大師の御弟子慈覚と申人、漢土にわたりて天台、真言の二宗の奥義をきはめて帰朝す。此人金剛頂経、蘇悉地経二部の疏をつしりて、前唐院と申寺を叡山に申立畢ぬ。此には大日経第一、法華経第二、其中に弘法のごとくなる過言かずうべからず、せむぜむにせうせう申畢ぬ。智証大師又此大師のあとをついで、をんじやう(園城)寺に弘通せり。たうじ寺とて国のわざはい(禍)とみゆる寺是也。叡山の三千人は慈覚、智証をはせずは、真言すぐれたりと申をばもちいぬ人もありなん。円仁大師に一切の諸人くち(口)をふさがれ、心をたぼらかされてことば(言)をいだす人なし。王、臣の御きえ(帰依)も又伝教、弘法にも超過してみへ候へば、えい(叡)山、七寺、日本一州一同に法華経は大日経にをとりと云云。法華経の弘通の寺寺ごとに真言ひろまりて、法華経のかしら(頭)となれり。かくのごとくしてすでに四百余年になり候ぬ。やうやく此邪見ぞうじやう(増上)して八十一、乃至五の五王すでにうせぬ。仏法うせしかば王法すでにつき畢ぬ。あまさへ(剰)禅宗と申大邪法、念仏宗と申小邪法、真言と申大悪法、此悪宗はな(鼻)をならべて一国にさかんなり。天照太神はたましいをうしなつて、うぢご(氏子)をまほ(守)らず。八幡大菩薩は威力よはしくて国を守護せず。けつく(結句)は佗国の物とならむとす。日蓮此よしを見るゆへに、「仏法中怨倶堕地獄」等のせめをおそれて粗国主にしめせども、かれらが邪義にたぼらかされて信じ給事なし。還て大怨敵となり給ぬ。法華経をうしなふ人、国中に充満せりと申ども人しる事なければ、ただぐち(愚痴)のとがばかりにてある事、今は法華経の行者出来せり。日本国の人人、痴の上にいかり(怒)ををこす、邪法をあい(愛)し正法をにくむ。三毒がうじやう(強盛)なる一国、いかでか安穏なるべき。壊劫の時は大の三災をこる、いはゆる火災、水災、風災也。又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇、疫病、合戦なり。飢渇は大貪よりをこり、やくびやう(疫病)はぐち(愚痴)よりをこり、合戦は瞋恚よりをこる。今日本国の人人四十九億九万四千八百二十八人の男女、人人ことなれども同一の三毒なり。所謂南無妙法蓮華経を境としてをこれる三毒なれば、人ごとに釈迦、多宝、十方の諸仏を一時にのりせめ(罵責)流しうしなうなり。是即ち小の三災の序なり。しかるに日蓮が一るい(類)いかなる過去の宿しう(習)にや。法華経の題目のだんな(檀那)となり給らん。是をもてをぼしめせ。今梵天、帝釈、日月、四天、天照太神、八幡大菩薩、日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎ(神祇)は過去の輪陀王のごとし。白馬は日蓮なり、白鳥は我らが一門なり。白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり。此声をきかせ給ふ梵天、帝釈、日月、四天等いかでか色をまし、ひかり(光)をさかんになし給はざるべき。いかでか我等を守護し給はざるべきとつよづよとをぼしめすべし、抑貴辺の去三月の御仏事に鵞目其数有しかば、今年一百よ人の人を山中にやしなひで十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ。此らは末代悪世には一えんぶだい(閻浮提)第一の仏事にてこそ候へ、いくそばくか過去の聖霊もうれしくをぼすらん。釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり。貴辺あに世尊にあらずや。故大進阿闍梨の事なげかしく候へども、此又法華経流布出来すべきいんえん(因縁)にてや候らんとをぼしめすべし。事事命ながらへば其時申すべし。
弘安二年巳卯八月十七日 日蓮花押
曽谷の道宗御返事
(啓三五ノ九四。鈔二五ノ三六。音下ノ四四。語五ノ二三。拾八ノ八。扶一五ノ一三。)