日女御前御返事
日女御前御返事(第一書)
建治三年八月。五十六歳作。与松野六郎左衛門後家尼書。
外二三ノ一二。遺二三ノ三四。縮一六二四。類七二一。 御本尊供養の御為に鵞目五貫、白米一駄、菓子其数送り給候畢ぬ。抑此御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給ふなり。さて滅後には正法、像法、末法の中には、正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし。何に況や顕れ給はんをや、又顕すべき人なし。天台、妙楽、伝教等は内には鑒み給へども、故こそあるらめ言には出し給はず。彼の顔淵が聞し事意にはさとるといへども言に顕していはざるが如し。然るに仏滅後二千年過て末法の始の五百年に出現せさせ給ふべき由、経文赫赫たり。明明たり。天台、妙楽等の解釈分明也。爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。竜樹、天親等、天台、妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはた(旌)じるしとして顕し奉るなり。是全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中大牟尼世尊、分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊也。されば首題の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦、多宝、本化の四菩薩肩を並べ、普賢、文殊等、舎利弗、目連等坐を屈し、日天、月天、第六天の魔王、竜王、阿修羅、其外不動、愛染は南北の二方に陳(陣)を取り、悪逆の達多、愚痴の竜女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神、十羅刹女等、加之日本国の守護神たる天照太神、八旛(幡)大菩薩、天神七代、地神五代の神神、総じて大小の神祇等、体の神つらなる。其余の用の神豈もるべきや。宝塔品に云く「接諸大衆皆在虚空」云云。此等の仏、菩薩、大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれず此御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる、是を本尊とは申す也。経に云く「諸法実相」是也。妙楽云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、乃至十界は必ず身土」云云。又云く「実相の深理、本有の妙法蓮華経」等云云。伝教大師云く「一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり」文。此故に未曽有の大曼荼羅とは名付奉るなり。仏滅後二千二百二十余年には、此御本尊いまだ出現し給はずと云ふ事也。かゝる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸をまねぎ、後生には此御本尊左右前後に立そひて、闇に灯の如く、険難の処に強力を得たるが如く、彼こへまはり此へより、日女御前をかこみ(囲)まほり給ふべきなり。相構へ相構へとわり(後妻)を我家へよせ(寄)たくもなき様に、謗法の者をせかせ給べし。「捨悪知識親近善友]とは是也。此御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱る胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申す也。十界具足とは十界一界もかけず一界にある也。依之曼陀羅とは申す也。曼陀羅と云は天竺の名也、此には輪円具足とも功徳聚とも名くる也。此御本尊も只信心の二字にをさまれり、以信得入とは是也。日蓮が弟子檀那等「正直捨方便不受余経一偈」と無二に信ずる故によ(依)て、此御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもし、たのもし。如何にも後生をたしなみ(嗜)給ふべし、たしなみ給ふべし。穴賢。南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切也。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信を以て源とす。されば止観四に云く「仏法は海の如し、唯信のみ能く入る」。弘決四に云く「仏法は海の如し、唯信のみ能く入るとは孔丘の言、尚信を首と為す、況や仏法の深理をや。信無くして寧ろ入らんや。故に華厳経に、「信為道元功徳母」等。又止一に云く「何が円の法を聞き、円の信を起し、円の行を立て、円の位に住せん」。弘一に云く「円信と言ふは理に依つて信を起す。信を行の本と為す」云云。外典に云く「漢王臣の説を信ぜしかば河上の波忽に氷り、李広父の讎なりと思ひしかば草中の石羽を飲む」と云へり。所詮天台、妙楽の釈分明に信を以て本とせり。彼漢王も疑はずして大臣のことばを信ぜしかば、立波こほり行ぞかし。石に矢のたつ、是又父のかたきと思ひし至信の故也。何に況や仏法においてをや。法華経を受持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる、即ち五種の修行を具足するなり。此事伝教大師入唐して道邃和尚に値奉りて、五種頓修の妙行と云ふ事を相伝し給ふなり。日蓮が弟子檀那の肝要是より外に求める事なかれ。神力品に云く。委くは又又可申候。穴賢、穴賢。
建治三年八月二十三日 日蓮花押
日女御前御返事
(微下ノ二二。考八ノ二二。)