新池殿御消息
執筆年:弘安二
新池殿御消息(各別書)(報新池左衛門書)
弘安二年五月。五十八歳作。
内三六ノ八。遺二六ノ三三。縮一八四四。類六〇四。 八木三石送給候。今一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉りて南無妙法蓮華経と只一遍唱まいらせ候畢ぬ。いとをしみ(最愛)の御子を霊山浄土へ決定無有疑と送りまいらせんがため也。抑因果のことはりは華と果との如し。千里の野の枯たる草に蛍火の如くなる火を一つ付ぬれば、須臾に一草、二草、十百千万草につきわたりてもゆれば十町、二十町の草木一時にやけつきぬ。龍は一?の水を手に入て天に昇ぬれば三千世界に雨をふらし候。小善なれども法華経に供養しまいらせ給ぬれば功徳此の如し。仏滅後一百年と申せしに、月氏国に阿育大王と申せし王ましましき。一閻浮提八万四千の国を四分が一御知行ありき。龍王をしたがへ鬼神を召仕はせ給ふ。六万の羅漢を師として八万四千の石塔を立て、十万億の金を仏に供養し奉らんと誓はせ給き。かゝる大王にてをはせし其因位の功徳をたづぬれば、ただ土の餅一釈迦仏に供養し奉りし故ぞかし。釈迦仏の伯父に斛飯王と申す王をはします。彼王に太子あり阿那律となづく。此太子生れ給しに御器一持出たり。彼御器に飯あり食すれば又出き又出き、終に飯つくる事なし。故にかの太子のをさな名をば如意となづけたり。法華経にて仏に成り給ふ、普明如来是也。此太子の因位を尋ればうへ(飢)たる世にひえ(稗)の飯を辟支仏と申す僧に供養せし故ぞかし。辟支仏を供養する功徳すら此の如し。況や法華経の行者を供養せん功徳は無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れて候也。抑日蓮は日本国の者也。此国は南閻浮提七千由旬の内に八万四千の国あり、十六の大国、五百の中国、十千の小国、無量の粟散国あり。其中に月氏国と申す国は大国也。彼国に五天竺あり。其より東海の中に小島あり、日本国是也。中天竺よりは十万余里の東也。仏教は仏滅度後正法一千年が間は、天竺にとどまりて余国にわたらず。正法一千年の末、像法に入て一十五年と申せしに漢土へ渡る。漢土に三百年すぎて百済国に渡る。百済国に一百年已上、一千四百十五年と申せしに、人王三十代欽明天皇の御代に日本国に始て釈迦仏の金銅の像と一切経は渡りて候き。今七百余年に及び候。其の間一切経は五千余巻、或は七千余巻也。宗は八宗、九宗、十宗也。国は六十六箇国二の島、神は三千余社、仏は一万余寺也。男女よりも僧尼は半分に及べり。仏法の繁昌は漢土にも勝れ、天竺にもまされり。但し仏法に入て諍論あり。浄土宗の人人は阿弥陀仏を本尊とし、真言の人人は大日如来を本尊とす。禅宗の人人は経と仏とをば閣て達磨を本尊とす。余宗の人人は念仏者、真言等に随へられ何れともなけれども、つよきに随ひ多分に押れて阿弥陀仏を本尊とせり。現在の主師親たる釈迦仏を閣て佗人たる阿弥陀仏の十万億の佗国へ、にげ(遁)行べきよしをねがはせ給候。阿弥陀仏は親ならず主ならず師ならず。されば一経の内虚言の四十八願を立給たりしを、愚なる人人実と思て物狂はしく金拍子をたゝきおどり(躍)はねて念仏を申し、親の国をばいとひ出ぬ。来迎せんと約束せし阿弥陀仏の約束の人は来らず、中有のたびの空に迷て謗法の業にひかれて三悪道と申す獄屋へおもむけば、獄卒、阿防、羅刹悦をなしとらへ(捉)からめ(搦)てさひなむ事限りなし。これをあらあら経文に任てかたり申せば、日本国の男女四十九億九万四千八百二十八人ましますが、某一人を不思議なる者に思て余の四十九億九万四千八百二十七人は皆敵と成て、主師親の釈尊をもちひぬだに不思議なるに、かへりて或はのり或はうち或は処を追ひ、或は讒言して流罪し死罪に行はるれば、貧なる者は富るをへつらひ(諛)、賎き者は貴きを仰ぎ、無勢は多勢にしたがう事なれば、適法華経を信ずる様なる人人も世間をはばかり人を恐て、多分は地獄へ堕る事不便也。但し日蓮が愚眼にてやあるらん、又宿習にてや候らん。「法華経最第一。已今当説難信難解。唯我一人能為救護」と説れて候文は如来の金言也。敢て私の言にはあらず。当世の人は人師の言を如来の金言と打思ひ、或は法華経に肩を並て斉しと思ひ、或は勝れたり或は劣なれども機にかなへりと思へり。しかるに如来の聖教に「随佗意、随自意」と申事あり。譬ば子の心に親の随ふをば随佗意と申す。親の心に子の随ふをば随自意と申す。諸経は随佗意也、仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に。法華経は随自意也。一切衆生を仏心に随へたり。諸経は仏説なれども是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず。法華経は仏説也、仏智也。一字一点も是を深く信ずれば我身即仏となる。譬ば白紙を墨に染れば黒くなり、黒漆に白物を入れば白くなるが如し。毒薬変じて薬となり衆生変じて仏となる故に妙法と申す。然に今の人人は高も賎も現在の父たる釈迦仏をばかろしめて、佗人の縁なき阿弥陀、大日等を重じ奉るは、是不孝の失にあらずや、是謗法の人にあらずやと申せば日本国の人一同に怨ませ給也。其もことはり也。まがれる(曲)木はすなを(直)なる縄をにくみ、いつはれる者はただしき政りごとをば心にあはず思ふ也。我朝人王九十一代之間に謀叛の人人は二十六人也。所謂大山の王子、大石の小丸、乃至将門、すみとも(純友)、悪左府等也。此等の人人は吉野とつ(十津)河の山林にこもり、筑紫、鎮西の海中に隠るれば、島島のえびす、浦浦のものゝふどもうたんとす。然れどもそれは貴き聖人、山山、寺寺、社社の法師、尼、女人はいたう敵と思事なし。日蓮をば上下の男女、尼法師貴き聖人なんど云はるる人人は殊に敵となり候。其故はいづれも後世をば願へども男女よりは僧尼こそ願ふ由はみえ候へ。彼等は往生はさてをきぬ。今生の世をわたるなかだち(中人)となる故也。智者、聖人又我好し我勝れたりと申し、本師の跡と申し所領と申し、名聞利養を重くしてまめやかに道心は軽し。仏法はひがさま(僻)に心得て愚痴の人也、謗法の人也と言をも惜まず人をも憚らず、「当知是人仏法中怨」の金言を恐て、「我是世尊使処衆無所畏」と云ふ文に任ていたくせむる間、「未得謂為得我慢心充満」の人人争かにくみ嫉まざらんや。されば日蓮程天人七代、地人五代、人王九十余代に、いまだ此程法華経の敵に三類の敵人にあだまれたる者なき也。かゝる上下万人一同のにくまれ者にて候に此まで御渡り候し事、おぼろげの縁にはあらず、宿世の父母歟、昔の兄弟にておはしける故に思付せ給ふ歟。又過去に法華経の縁深して今度仏にならせ給べきたね(種)の熟せるかの故に、在俗の身として世間ひまなき人の公事のひまに思出させ給けるやらん。其上遠江国より甲州波木井の郷身延山へは、道三百余里に及べり。宿宿のいぶせさ、嶺に昇れば日月をいただき、谷へ下れば穴へ入かと覚ゆ。河の水は矢を射るが如く早し、大石ながれて人馬むかひ難し、船あやうくして紙を水にひたせるが如し。男は山かつ女は山母の如し。道は縄の如くほそく木は艸の如くしげし、かゝる所へ尋ね入せ給て候事何なる宿習なるらん。釈迦仏は御手を引き帝釈は馬となり、梵王は身に随ひ日月は眼となりかはらせ給て入せ給ひけるにや。ありがたしありがたし。事多しと申せども此程風おこりて身苦しく候間留め候畢ぬ。
弘安二年己卯五月二日 日蓮花押
新池殿御返事
(啓三五ノ四八。鈔二五ノ二四。音下ノ四三。語五ノ一七。拾八ノ二。扶一五ノ二。)