教行証御書

弘安元(1279 or 1275.03・03)


教行証御書(報日進書)
     文永十二年三月。五十四歳著。与三位房日進書(或云与三位房日行書)
     外二〇ノ四。遺一七ノ三一。縮一一一五。類三一八。 夫、正像二千年に小乗、権大乗を持ちて、其功を入れて修行せしに依て大体其益あり。然りと雖も彼彼の経経を修行せし人人の自依の経経にして益を得ると思へども、法華経を以て其意を探れば一分の益なし。所以は何んとなれば、仏の在世にして法華経に結縁せしが其機の熟否に依て、円機純熟の者は在世にして仏に成れり。根機微劣の者は正、像に退転して、権大乗経の浄名、思益、観経、仁王、般若経等にして其証果を取れること在世の如し。されば正法には教、行、証の三つ倶に兼備せり。像法には教行のみありて証なし。今末法に入ては教のみ有りて行証なく、在世結縁の者一人もなし。権実の二機悉く失せり。此時は濁悪たる当世の逆謗の二人に始めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す。「是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差」とは是なり。乃往過去の威音王仏の像法に大乗を知る者一人もなかりしに、不軽菩薩出現して教主説き置き給ひし二十四字を一切衆生に向つて唱へしめしが如し。彼の二十四字を聞きし者は一人もなく、亦不軽大士に値ひて益を得たり。此れ則ち前の聞法を下種とせし故なり。今も亦是の如し。彼は像法、此れは濁悪の末法。彼は初随喜の行者、此れは名字の凡夫。彼は二十四字の下種、此れは唯五字なり。得道の時節ことなりと雖も成仏の所詮は全体是同じかるべし。問て云く「上に挙ぐる所の正、像、末法の教、行、証各別なり。何ぞ妙楽大師は「末法の初め冥利なきにあらず。且く大教の流行すべき時に拠る」と釈し給ふや、如何。答へて云く、得意に云く、正、像に益を得し人人は顕益なるべし。在世結縁の熟せるが故に。今末法には初めて下種す、冥益なるべし。已に小乗、権大乗、爾前、迹門の教、行、証に似るべくもなし。現に証果の者これなし。妙楽の釈の如くんば冥益なれば人是を知らず、見ざるなり。問て云く、末法に限りて冥益と知る経文これありや、答へて云く、法華経第七薬王品に云く「此経則為閻浮提人病之良薬若人有病得聞是経病即消滅不老不死」等云云。妙楽大師云く「然も後の五百は且く一往に従ふ。末法の初め冥利なきにあらず。且く大教の流行すべき時に拠るが故に五百と云ふ」等云云。問て云く、汝が引く所の経、文、釈は末法の初め五百に限ると聞たり。権大乗経等を修行の時節尚末法万年と云へり如何。答へて云く、前釈已に且従一往と云へり。再往は末法万年の流行なるべし。天台大師上の経文を釈して云く「但当時大利益を獲るのみに非ず。後の五百歳遠く妙道に沽ほはん」等云云。是れ末法万年を指せる経釈に非ずや。法華経第六分別功徳品に云く「悪世末法時能持是経者」。安楽行品に云く「於末法中欲説是経」。此等は皆末法万年と云ふ経文なり。彼彼の経経の説は四十余年未顕真実なり。或は結集者の意拠か。依用し難し。拙い哉、諸宗の学者法華経の下種を忘れ、三、五塵点の昔を知らず。純円の妙経を捨てゝ亦生死の苦海に沈まん事よ。円機純熟の国に生を受けて、徒らに無間大城に還らんこと不便とも申す許りなし。崑崙山に入りし者の一の玉をも取らずして貧国に帰り、栴檀林に入りて瞻蔔を蹈まずして瓦礫の本国に帰る者に異ならず。第三の巻に云く「如従飢国来忽遇大王膳」。第六に云く「我此土安穏〇我浄土不毀」等云云。状に云く「難問に云く、爾前当分の得道」等云云。涅槃経第三に「善男子応当修習」の文を立つべし。之を受けて弘決第三に「所謂久遠必無大者」と会して、爾前の諸経にして得道せし者は、久遠初業に依るなるべしと云つて一分の益これなき事を治定して、其後滅後の弘経に於ても亦復是の如く、正像の得益証果の人は在世の結縁に依るなるべし等云云。又彼が何度も爾前の得道を云はば、無量義経に四十余年の経経を仏我れと未顕真実と説き給へば我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ、人師の言語は無用なり。涅槃経には依法不依人と説かれて大に制せられて候へば、なんど立てて未顕真実と打ち捨て打ち捨て「正直捨方便世尊法久後」なんどの経、釈をば秘して左右なく出すべからず。又難問に云く、得道の所詮は爾前も法華経もこれ同じ。其故は観経の往生或は其外例の如し等云云と立つべし。又「未顕真実」其外「但以仮名字」等云云と。又同時の経ありと云はば、法師品の已、今、当の説をもて会すべきなり。玄義の三、籤の三の文を出すべし。経、釈能能料簡して秘すべし。一状に云く、真言宗等云云。答ふ、彼が立つる所の如き、弘法大師の戯論、無明の辺域、何れの経文に依るやと云つて、彼の依経を引かば云ふべし。大日如来は三世の諸仏の中には何れぞやと云つて、善無畏三蔵、金剛智等の偽りをば汝は知れるやと云つて、其後一行筆受の相承を立つべし。大日経には一念三千跡を削れり。漢土にして偽りしなり。就中僻見あり、毘盧の頂上を蹈む証文は三世の諸仏の所説にこれありや。其の後彼云く等云云と立つべし。大慢婆羅門が高座の足等云云。彼此是の如き次第、何なる経文、論文に之を出すやと等云云。其外常に教へし如く問答対論あるべし。設ひ何なる宗なりとも真言宗の法門を云はば真言の僻見を責むべく候。次に念仏の曇鸞法師の難行易行、道綽が聖道浄土、善導が雑行正行、法然が捨閉閣抛の文、此等の本経本論を尋ぬべし。経に於て権実二経あること例の如し。論に於ても又通別の二論あり。黒白の二論あること深く習ふべし。彼の依経の浄土三部経の中に是の如き等の所説ありや。又人毎に念仏、阿弥陀等之を讃す、又前の如し。所詮和漢両国の念仏宗が法華経を雑行なんど捨閉閣抛する本経本論を尋ぬべし。若し慥かなる経文なくんば、是の如く権経より実経を謗るの過罪、法華経の譬喩品の如くんば阿鼻大城に堕落して展転無数劫を経歴し給はんずらん。彼の宗の僻謬を本として此三世諸仏の皆是真実の証文を捨てる、其罪実と諸人に評判せさすべし。心有らん人誰か実否を決せざらんや。而して後に彼の宗の人師を強ちに破すべし。一経の株を見て万経の勝劣を知らざる事未練なる者哉。其の上我と見明らめずとも釈尊並びに、多宝、分身の諸仏の定判し給へる経文法華経計り皆是真実なるを不真実、未顕真実を已顕真実と僻める眼は牛羊の所見にも劣れる者なるべし。法師品の已今当、無量義経の歴劫修行、未顕真実何なる事ぞや。五十余年の諸経の勝劣ぞかし。諸経の勝劣は成仏の有無なり。慈覚、智証の理同事勝の眼、善導、法然の余行非機の目、禅宗が教外別伝の所見は東西動転の眼目、南北不弁の妄見なり。牛羊よりも劣り蝙蝠鳥にも異ならず。依法不依人の経文、毀謗此経の文をば如何に恐れさせ給はざるや。悪鬼入其身の無明の悪酒に酔ひ沈み給ふらん。一切は現証には如かず。善無畏、一行が横難横死、弘法、慈覚が死去の有様実に正法の行者是の如くにあるべく候や。観仏相海経等の諸経並びに龍樹菩薩の論文如何が候や。一行禅師の筆受の妄語、善無畏のたばかり(欺罔)、弘法の戯論、慈覚の理同事勝、曇鸞、道綽が余行非機、是の如き人人の所見は権経権宗の虚妄の仏法の習にてや候らん。それほどに浦山敷もなき死去にて候ぞやと、和らかに又強く両眼を細めに見、顔貌に色を調へて閑かに言上すべし。状に云く「彼此経経挙得益数」等云云。是れ不足に候と先づ陳ぶべし。其後汝等が宗宗の依経に三仏の証誠これありや未だ聞かず。よも多宝分身は御来り候はじ。此仏は法華経に来り給ひし間、一仏二言はやはか(豈)御坐し候べきと。次に六難九易何なる経の文にこれありや。若し仏滅後の人人の偽経は知らず。釈尊の実説五十年の説法の内には一字一句もあるべからず候なんど立つべし。五百塵点の顕本これありや。三千塵点の結縁説法ありや。一念信解五十展転の功徳何なる経文に説き給へるや。彼の余経には一、二、三、乃至、十功徳すらこれなし。五十展転まではよも説き給ひ候はじ。余経には一、二の塵数を挙げず。何に況や五百、三千をや。二乗の成、不成、龍畜、下賎の即身成仏今の経に限れり。華厳、般若等の諸大乗経にこれありや。二乗作仏は初めて今経に在り、よも天台大師程の明哲の弘法、慈覚の如き、無文無義の偽はおはし給はじと我等は覚え候。又悪人の提婆、天道国の成道、法華経に並びて何なるに経かこれありや。然りと雖も万の難を閣いて何なる経にか十法界の開会等草木成仏これありや。天台、妙楽の無非中道、惑耳驚心の釈は慈覚、智証の理同事勝の異見に之を類すべく候や。已に天台等は三国伝灯の人師、普賢開発の聖師、天真発明の権者なり。豈に経論になき事を偽り釈し給はんや。彼彼の経経に何なる一大事かこれあるや。此経には二十の大事あり。就中五百塵点顕本の寿量品に何なる事を説き給へるとか人人は思召し候。我等が如き凡夫無始已来生死の苦底に沈輪して、仏道の彼岸を夢にも知らざりし衆生界を、無作本覚の三身と成し、実に一念三千の極理を説くなんど浅深を立つべし。但し公場ならば然るべし私に問註すべからず。慥かに此法門は汝等が如き者は人毎に座毎に日毎に談ずべくんば、三世諸仏の御罰を蒙るべきなり。日蓮己証なりと常に申せし是なり。大日経にこれありや。浄土三部経の成仏已来凡歴十劫之に類すべきや、なんど前後の文乱れず一一に会すべし。其後又云ふべし、諸人は推量も候へ、是の如くいみじき御経にて候へばこそ、多宝遠来して証誠を加へ、分身来集して三仏の御舌を梵天に付け、不虚妄とは罵しらせ給ひしか。地涌千界出現して濁悪末代の当世に別付属の妙法蓮華経を、一閻浮提の一切衆生に取り次ぎ給ふべき仏の勅使なれば、八十万億の諸大菩薩をば止ね善男子と嫌はせ給ひしか等云云。又彼の邪宗の者どもの習として強ちに証文を尋ぬる事これあり。涌出品並びに文句の九、記の九の前三後三の釈を出すべし。但日蓮の門家の大事これに如かず。又諸宗の人大論の自法愛染の文を問難とせば大論の立所を尋ねて後、執権謗実の過罪をば龍樹は存知なく候ひけるか。余経は秘密に非ず、法華是れ秘密と仰せられ、譬如大薬師と此経計り成仏の種子と定めて、又悔ひ返して「自法愛染不免堕悪道」と仰せられ候べき歟。さであらば仏語には「正直捨方便不受余経一偈」なんど法華経の実語には大に違背せり。よもさにては候はじ。若し末法の当世時剋相応せる法華経を謗じたる弘法、曇鸞なんどを、付法蔵の論師釈尊の御記文にわたらせ給ふ菩薩なれば、鑒知してや記せられたる論文なるらん。おぼつかなしなんどあざむく(嘲弄)べし。御辺や不免堕悪道の末学なるらん。痛敷候。未来無数劫の人数にてやあるらんと立つべし。又律宗の良観が云く、法光寺殿へ訴状を奉る其状に云く、忍性年来歎いて云く、当世日蓮法師と云へる者世に在り。斎戒は堕獄す云云。所詮何なる経論にこれあるや、是一。又云く、当世日本国上下誰か念仏せざらん。念仏は無間の業と云云。是れ何なる経文ぞや、慥かなる証文を日蓮房に対して之を聞かん是二。総じて是れ体の爾前得道の有無の法門六箇条云云。然るに推知するに極楽寺良観が已前の如く日蓮に相値て宗論あるべきの由、罵る事これあらば目安を上げて極楽寺に対して申すべし。其の師にて候者は去る文永八年に御勘気を蒙り佐州へ遷され給ふて後、同じき文永十一年正月の比御免許を蒙り鎌倉に帰る。其後平の金吾に対して様様の次第申し含ませ給て、甲斐国の深山に閉ぢ篭らせ給て後は何なる主上女院の御意たりと云へども、山の内を出でゝ諸宗の学者に法門あるべからざる由仰せ候。随て其弟子に若輩のものにて候へども、師の日蓮の法門九牛が一毛をも学び及ばず候といへども、法華経に付けて不審ありと仰せらるる人わたらせ給はば存じ候なんど云つて、其後は随問而答の法門申すべし。又前六箇条一一の難門兼兼申せしが如く、日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず。彼彼の経経と法華経と勝劣、浅深、成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何に況や其以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて民とも下し、鬼畜なんどと下しても、其過あらんやと得意て宗論すべし。又彼の律宗の者どもが破戒なること山川の頽るるよりも尚無戒なり。成仏までは思ひもよらず、人天の生を受くべしや。妙楽大師云く「若し一戒を持てば人中に生ずることを得。若し一戒を破れば還つて三途に堕す」と。其の外斎法経、正法念経の制法、阿含経等の大小乗経の斎法斎戒、今程の律宗忍性が一党誰か一戒をも持てる、還堕三途は疑ひなし。若しは無間地獄にや落ちんずらん、不便なんど立てて、宝塔品の持戒行者是を罵るべし。其後良あつて此法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字となせり。此五字の内に豈に万戒の功徳を納めざらんや。但此具足の妙戒は一度持ちて後行者破らんとすれども破れず。是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つべし。三世の諸仏は此戒を持ちて法身、報身、応身なんど何れも無始無終の仏にならせ給ふ。此を「諸教の中に於て之を秘して伝へず」とは天台大師は書き給へり。今末法当世の有智、無智、在家、出家、上下万人、此妙法蓮華経を持ちて説の如く修行せんに豈に仏果を得ざらんや。さてこそ決定無有疑とは滅後濁悪の法華経の行者を定判せさせ給へり。三仏の定判に漏れたる権宗の人人は決定して無間なるべし。是の如くいみじき戒なれば爾前迹門の諸戒は今一分の功徳なし。功徳なからんに一日の斎戒も無用なり。但此本門の戒の弘まらせ給はんには必ず前代未聞の大瑞あるべし。所謂正嘉の地動、文永の長星是なるべし。抑も当世の人人何れの宗宗にか本門の本尊、戒壇等を弘通せる、仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず。日本人王三十代欽明天皇の御宇に仏法渡て今に七百余年、前代未聞の大法此国に流布して、月氏、漢土、一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ、あり難けれあり難けれ。又已前の重、末法には教、行、証の三倶に備れり。例せば正法の如し等云云。已に地涌の大菩薩上行出でさせ給ひぬ。結要の大法亦弘まらせ給ふべし。日本、漢土、万国の一切衆生は金輪聖王の出現の先兆の優曇華に値へるなるべし。在世四十二年並びに法華経の迹門十四品に、之を秘して説かせ給はざりし大法、本門正宗に至つて説き顕し給ふのみ。良観房が義に云く、彼の良観が日蓮遠国へ下向と聞く時は、諸人に向つて急ぎ急ぎ鎌倉へ上れかし。為に宗論を遂げて諸人の不審を晴さんなんど自讃毀他する由其聞え候。此等も戒法にてやあるらん。強ちに尋ぬべし。又日蓮鎌倉に罷上る時は門戸を閉ぢて内へ入るべからずと之を制法し、或は風気なんど虚病して罷り過ぎぬ。某は日蓮に非ず。其弟子にて候まゝ少し言のなまり(訛)法門の才覚は乱れがはしくとも、律宗国賊替るべからずと云ふべし。公場にして理運の法門申し候へばとて雑言、強言、自讃気なる体、人目に見すべからず。浅猿しき事なるべし。弥身口意を調へ、謹んで主人に向ふべし。主人に向ふべし。
  三月二十一日                   日蓮花押
 三位阿闍梨御房へ之を遺す。
(微下ノ一三。考七ノ二。)