慈覚大師事

弘安三年(1280.正・27) 真筆あり

 鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給了んぬ。
 法門の事は秋元太郎兵衛尉殿御返事に少々注して候。御覧有るべく候。
 何よりも受け難き人身、値ひ難き仏法に値ひて候に、五尺の身に一尺の面あり。其の面の中三寸の眼二つなり。一歳より六十に及んで多くの物を見る中に、悦ばしき事は法華最第一の経文なり。あさましき事は慈覚大師の金剛頂経の頂の字を釈して云く ̄所言頂者 於諸大乗法中最勝無過上故以頂名之。乃至如人之身頂最為勝。乃至法華云 是法住法位。今正顕説此秘密理。故云金剛頂也〔言ふ所の頂とは、諸の大乗の法の中に於て最勝にして無過上なる故に、頂を以て之を名づく。乃至、人の身の頂最もこれ勝れるが如し。乃至、法華に云く 是法住法位と。今正しく此の秘密の理を顕説す。故に金剛頂と云ふなり〕云云。又云く ̄如金剛宝中之宝 此経亦爾。諸経法中最為第一 三世如来髻中宝故〔金剛は宝中の宝なるが如く、此の経も亦しかなり。諸の経法の中に最もこれ第一にして三世の如来の髻の中の宝なる故に〕等云云。此の釈の心は法華最第一の経文を奪ひ取りて、金剛頂経に付けたるのみならず、如人之身頂最為勝の釈の心は法華経の頭を切りて真言経の頂とせり。此れ即ち鶴の頚を切りて蛙の頚に付けるる歟。真言の蛙も死にぬ。法華経の鶴の御頚も切れぬと見え候。此れこそ人身うけたる眼の不思議にては候へ。
 三千年に一度花開くなる優曇花は転輪聖王此れを見る。究竟円満の仏にならざらんより外は法華経の御敵は見しらざんなり。一乗のかたきの夢のごとく勘へ出だして候。慈覚大師の御はかいづれのところに有ると申す事きこへず候。世間に云ふ、御頭は出羽の国立石寺に有り云云。いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか。明雲座主は義仲に頭を切られたり。天台座主を見候へば、伝教大師はさてをきまいらせ候ひぬ。第一義真・第二円澄、此の両人は法華経を正とし、真言を傍とせり。第三の座主慈覚大師は真言を正とし、法華経を傍とせり。其の已後代々の座主は相論にて思ひ定むる事無し。第五十五竝びに五十七の二代は明雲大僧正座主なり。此の座主は安元三年五月日、院勘を蒙りて伊豆の国え配流、山僧大津にて奪ひ取る。後、治承三年十一月に座主となりて源の右将軍頼朝を調伏せし程に、寿永二年十一月十九日義仲に打たれさせ給ふ。此の人生きると死ぬと二度大難に値へり。生の難は仏法の常例、聖賢の御繁盛の花なり。死の後は恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人の招くわざはいなり。所謂大慢ばら門・須利等也。
 粗此れを勘へたるに、明雲より一向に真言の座主となりて後、今三十余代一百余年が間、一向真言座主にて法華経の所領を奪へるなり。しかれば此れ等の人々は釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵、梵しやく・日月・四天・天照太神・正八幡大菩薩の御讎敵なりと見えて候ぞ。我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給ふべし。恐々謹言。
正月二十七日 日 蓮 花押
大田入道殿御返事