妙一女御返事

執筆年:弘安三
妙一女御返事(第一書)(真言法華即身成仏鈔)      弘安三年七月。五十九歳作。      内二一ノ三〇。遺二八ノ三六。縮一九六四。類一六四四。 問て云く、日本国に六宗、七宗、八宗あり、何れの宗に即身成仏を立つる耶。答へて云く、伝教大師の意は唯法華経に限り、弘法大師の意は唯真言に限れり。問て云く、其の証拠如何。答へて云く、伝教大師の秀句に云く「当に知るべし、佗宗所依の経には都て即身入なし。一分即入すと雖も八地已上に推して凡夫身を許さず。天台法華宗のみ具に即入の義あり」云云。又云く「能化所化倶に歴劫無し、妙法経力即身成仏す」等云云。又云く「当に知るべし、此文に成仏する所の人を問て此経の威勢を顕す也」等云云。此釈の心は即身成仏は唯法華経に限る也。問て云く、弘法大師の証拠如何。答へて云く、弘法大師の二教論に云く、「菩提心論に云く、唯真言法の中に即身成仏する故は、是三摩地法を説くなり。諸経の中に於て闕て書さず」。諭して曰く、此論は龍樹大聖の所造、千部の論の中に秘蔵、肝心の論也。此中に諸経と謂ふは、佗受用心及び変化身等の所説の法、諸の顕教也。是の三摩地法を説くとは、自性法身の所説、秘密真言の三摩地の行是也。金剛頂十万頌の経等と謂ふ是也。問て云く、此の両大師所立の義、水火也。何れを信ぜん乎。答へて云く、此の二大師倶に大聖なり。同年に入唐して両人同じく真言の密教を伝授す。伝教大師の両界の師は順暁和尚、弘法大師の両界の師は慧果和尚なり。順暁、慧果の二人倶に不空の御弟子也。不空三蔵は大日如来六代の御弟子也。相伝と申し本身といい、世間の重んずる事日月のごとし、左右の臣にことならず。末学の膚にうけて是非しがたし。定て悪名天下に充満し、大難其身に招く歟。雖然試に難じて両義の是非を糾明せん。問て云く、弘法大師の即身成仏は真言に限ること何れの経文、何れの論文ぞ乎、答へて云く、弘法大師は龍樹菩薩の菩提心論に依る也。問て云く、其の証拠如何。答へて云く、弘法大師の二教論に菩提心論を引いて云く、「唯真言法の中のみ、乃至諸教の中に於て闕て書さず。」云云。問て云く、経文有り乎。答へて云く、弘法大師の即身成仏義に云く、「六大無礙にして常に瑜伽なり。四種の曼荼各離れず。三密加持すれば速疾に顕る、重重にして帝網のごとくなるを即身と名く。法然として薩般若を具足す。心王、心数刹塵に過ぎたり、各五智、無際智を具す。円鏡力の故に実の覚智なり」等云云。疑つて云く、此釈は何れの経文に依る乎。答へて云く、金剛頂経、大日経等に依る。求めて云く、其の経文如何。答へて云く、弘法大師其の証文を出して云く「此の三昧を修する者は現に仏菩提を証す」文。又云く、此の身を捨てずして神境通を逮得し、大空位に遊歩して身秘密を成ず」文。又云く「我れ本より不生なるを覚る」文。又云く「諸法は本より不生なり」云云。難じて云く、此等の経文は大日経、金剛頂経の文也。雖然経文は、或は大日如来の成正覚の文、或は真言行者の現身に五通を得るの文、或は十回向の菩薩、現身に歓喜地を証得する文にして、猶生身得忍に非ず。何に況や即身成仏をや。但し菩提心論は一には経に非ず、論を本とせば背上向下の科依法不依人の仏説に相違す。東寺の真言師日蓮を悪口して云く、汝は凡夫也。弘法大師は三地の菩薩也。汝未だ生身得忍に非ず。弘法大師は帝の眼前に即身成仏を現ず。汝未だ勅宣を承けざれば大師にあらず日本国の師にあらず等云云(是一)。慈覚大師は伝教、義真の御弟子、智証大師は義真慈覚の御弟子、安然和尚は安慧和尚の御弟子也。此三人の云く、法華天台宗は理秘密の即身成仏、真言宗は事理倶密の即身成仏云云。伝教、弘法の両大師何れもをろかならねども聖人は偏頗なき故に、慈覚、智証、安然の三師は伝教の山に栖といへども其義は弘法、東寺の心也。随て日本国四百余年は異義なし。汝不肖の身としていかんが此悪義を存ずるや(是二)。答へて云く、悪口をはき悪心ををこさば汝にをいては此義申すまじ。正義を聞んと申さば申すべし。但し汝等がやうなる者は物をいはずばつまり(詰)ぬとをもうべし。いうべし、悪心ををこさんよりも悪口をなさんよりも、きらきらとして候経文を出して、汝が信じまいらせたる弘法大師の義をたすけよ。悪口、悪心をもてをもうに、経文には即身成仏無きか。但し慈覚、智証、安然等の事は、此又覚、証の両大師、日本にして教大師を信ずといへども、漢土にわたりて有りし時、元政、法全等の義を信じて心には教大師の義をすて、身は其山に住すれどもいつわりてありしなり。問て云く、汝が此義はいかにしてをもひだしけるぞや。答て云く、伝教大師の釈に云く「当に知るべし、此文は成仏する所の人を問ひて此経の威勢を顕す也」とかかれて候は、上の提婆品の「我於海中」の経文をかきのせてあそばして候。釈の心はいかに人申すとも即身成仏の人なくば用ゆべからずとかかせ給へり。いかにも純円一実の経にあらずば即身成仏はあるまじき道理あり。大日経、金剛頂経等の真言経には其人なし。又経文を見るに兼、但、対、帯の旨分明也。二乗成仏なし、久遠実成あとをけづる。慈覚、智証は善無畏、金剛智、不空三蔵の釈にたぼらかされてをはするか。此人人は賢人、聖人とはをもへども、遠を貴みて近をあなづる人也。彼三部経に印と真言とあるにばかされて大事の即身成仏の道をわすれたる人人也。然るを当時叡山の人人法華経の即身成仏のやうを申すやうなれども、慈覚大師、安然等の即身成仏の義也。彼人人の即身成仏は有名無実の即身成仏也。其義専ら伝教大師の義に相違せり。教大師は分段の身を捨ても捨ずしても法華経の心にては即身成仏也。覚大師の義は分段の身をすつれば即身成仏にあらずとをもわれたるが、あへて即身成仏の義をしらざる人人也。求て云く、慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり、汝は四百余年の年紀をへだてたり、如何。答て云く、師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたづねあきらめたる人をろそかならば、経文をすてて四依の菩薩につくべきか、父母の譲状をすてて口伝を用ゆべきか。伝教大師の御釈無用也、慈覚大師の口伝真実なるべきか。伝教大師の秀句と申す御文に一切経になき事を十いだされて候に、第八に「即身成仏化導勝」とかかれて、次下に「当に知るべし、此文成仏する所の人を問ひて此経の威勢を顕す也。乃至当に知るべし、佗宗所依の経には都て即身入無し」等云云。此釈を背きて覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゆべきか。求て云く、教大師の釈の中に菩提心論の唯の字、用ひざる釈有りや否や」。答て云く、秀句に云く「能化所化倶に歴劫無く、妙法経力即身成仏す」等云云。此釈は菩提心論の唯の字を用ひずと見へて候。問て云く、菩提心論を用ひざるは龍樹を用ひざるか。答て云く、但恐くは訳者の曲会、私情の心也。疑て云く、訳者を用ひざれば法華経の羅什をも不可用歟。答て云く、羅什には現証あり、不空には現証なし。問て云く、其証如何。答て云く、舌の焼ざる証なり。具には聞べし。求て云く、覚、証等は此事を知ざる歟。答て云く、此両人は無畏等の三蔵を信ずる故に伝教大師の正義を用ひざる歟。此則ち人を信じて法をすてたる人人なり。問て云く、日本国にいまだ覚、証、然等を破したる人をきかず、如何。答て云く、弘法大師の門家は覚、証を用ゆべしや。覚、証の門家は弘法大師を用ゆべしや。問て云く、両方の義相違すといへども汝が義のごとく水火ならず、誹謗正法とはいわず如何。答て云く、誹謗正法者其相猊如何、外道が仏教をそしり小乗が大乗をそしり、権大乗が実大乗を下し実大乗が権大乗に力をあわせ、詮するところは勝を劣という。法にそむくがゆへに謗法とは申すか。弘法大師の大日経を法華経、華厳経に勝れたりと申す証文ありや。法華経には華厳経、大日経を下す文分明也。所謂已、今、当等也。弘法尊しと雖も釈迦、多宝、十方分身の諸仏に背く大科免れ難し。事を権門に寄せて日蓮ををどさんより但正文を出せ。汝等は人をかたうどとせり。日蓮は日月、帝釈、梵王をかたうどとせん。日月天眼を開いて御覧あるべし。将又日月の宮殿には法華経と大日経と華厳経とおはすと、けうし(校)あわせて御覧候へ。弘法、慈覚、智証、安然の義と日蓮が義とは何れがすぐれて候。日蓮が義もし百千に一も道理に叶いて候はばいかにたすけさせ給はぬぞ。彼人人の御義もし邪義ならば、いかに日本国の一切衆生の無限の報をへ(得)候はんをば不便とはをぼせ候はぬぞ。日蓮が二度の流罪結句は頸に及びしは、釈迦、多宝、十方の諸仏の御頸を切らんとする人ぞかし。日月は一人にてをはせども四天下の一切衆生の眼也、命也。日月は仏法をなめて威光勢力を増し給ふと見へて候。仏法のあぢわい(味)をたがうる人は日月の御力をうばう人、一切衆生の敵也。いかに日月は光を放ちて彼等が頂をてらし、寿命と衣食とをあたへてやしない給ふぞ。彼三大師の御弟子等が法華経を誹謗するは、偏に日月の御心を入させ給ひて謗ぜさせ給ふか。其義なくして日蓮がひが事ならば日天もしめし、彼等にもめしあわせ(召合)、其理にまけ(負)てありとも其心ひるがへらずば、天寿をもめしとれかし。其義はなくしてただ理不尽に彼等にさる(猿)の子を犬にあづけ、ねづみの子を猫にたふ(与)やうに、うちあづけてさんざんにせめさせ給ひて彼等を罰し給はぬ事心へられず。日蓮は日月の御ためにはをそらくは大事の御かたきなり。教主釈尊の御前にてかならずうたへ(訴)申すべし。其時うらみさせ給ふなよ。日月にあらずとも地神も海神もきかれよ、日本の守護神もきかるべし。あへて日蓮が曲意はなきなり。いそぎいそぎ御計あるべし。ちち(遅々)せさせ給ひて日蓮をうらみさせ給ふなよ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐恐。    七月十四日                     日蓮花押     妙一女御返事 (啓二九ノ七四。鈔一八ノ二八。語三ノ四八。拾五ノ三三。扶一一ノ二一。)