如説修行鈔

文永十(1273.05)


如説修行鈔
     文永十年五月。五十二歳著。
     内二三ノ二九。遺一四ノ六一。縮九六六。類六三一。 夫れ以れば末法流布の時、生を此土に受け此経を信ぜん人は、如来の在世より猶多怨嫉の難甚だしかるべしと見えて候なり。其故は在世は能化の主は仏なり。弟子又大菩薩、阿羅漢なり。人、天、四衆、八部、人非人等なりといへども、調機調養して法華経を聞かしめ給ふ。猶怨嫉多し、何に況や末法今の時は教機時刻到来すといへども、其師を尋ぬれば凡師なり。弟子又闘諍堅固、白法隠没、三毒強盛の悪人等なり。故に善師をば遠離し、悪師には親近す。其上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには、三類の敵人決定せり。されば此経を聴聞し始めし日より思ひ定むべし。況滅度後の大難の三類甚しかるべしと。然るに我弟子等が中にも兼て聴聞せしかども、大小の難来る時は今始めて驚き、きもをけして信心を破りぬ。兼て申さざりけるか。経文をさきとして猶多怨嫉況滅度後況滅度後と朝夕をしへし事は是なり。予が或は所ををわれ或は疵を蒙り、或は両土の御勘気を蒙りて、遠国に流罪せらるるを見聞すとも、今始めて驚くべきにあらざるものをや。問て云く、如説修行の者は現世安穏なるべし。何が故ぞ三類の強敵盛んならんや。答へて云く、釈尊は法華経の御為に今度九横の大難にあひ給ふ。過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り、竺の道生は蘇山に流され、法道は面に火印をあてられ、師子尊者は頭をはね(刎)られ、天台大師は南三北七にあだまれ、伝教大師は六宗ににくまれ(憎)給へり。此等の仏、菩薩、大聖等は法華経の行者として、而も大難にあひ給へり。此等の人人を如説修行の人と云はずんば、いづくにか如説修行の人を尋ねん。然るに今の世は闘諍堅固、白法隠没なる上、悪国、悪王、悪臣、悪民のみありて、正法を背きて邪法邪師を崇重すれば、国土に悪鬼乱れ入りて三災七難盛んに起れり。かゝる時尅に日蓮仏勅を蒙むりて、此土に生れけるこそ時の不祥なれ。法王の宣旨背きがたければ経文に任せて、権、実二教のいくさを起し、忍辱のよろひ(鎧)を著て、妙教の剣をひつさげ、一部八巻の肝心妙法五字のはた(旗)をさし上げて、未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて、大白牛車にうち乗て権門をかつぱと破り、かしこへをしかけこゝへをしよせ、念仏、真言、禅、律等の八宗、十宗の敵人をせむるに、或はにげ、或はひきしりぞき、或は生取にせらるゝ者は我弟子となる。或はせめ返しせめをとしすれども、かたきは多勢なり。法王の一人はぶせい(無勢)なり。今までいくさやむ事なし。法華折伏、破権門理の金言なれば、ついに権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗となりて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれ(壞)をくだかず、代はぎのう(義農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人、法共に不老不死の理を顕さん時を各各御らん(覧)ぜよ。現世安穏の証文疑ひあるべからざる者なり。問て云く、如説修行の行者と申さんは、何様に信ずるを申し候べきや。答へて云く、当世日本国中の諸人一同に如説修行の人と申し候は、諸乗一仏乗と開会しぬれば、何れの法も皆法華経にして勝劣、浅深ある事なし。念仏を申すも真言を持つも禅を修行するも、総じて一切の諸経並に仏、菩薩の御名を持ちて唱ふるも、皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云はれ候なり等云云。予が云く、然らじ、所詮仏法を修行せんには人の言を用ゆべからず、只仰いで仏の金言をまほるべきなり。我等が本師釈迦如来は初成道の始めより一乗を説かんと思召ししかども、衆生の機根未熟なりしかば、先権教たる方便を四十余年が間説きて後に、真実たる法華経を説かせ給ひしなり。此経の序分、無量義経にして権、実のはうじ(榜示)を指して方便、真実を分け給へり。所謂「以方便力四十余年未顕事実」是なり。大荘厳等の八万の大士、施権、開権、廃権等のいはれを得意分け給ひて領解して云く、法華已前の歴劫修行等の諸経は「終不得成無上菩提」と申しきり給ひぬ。然して後正宗の法華に至つて「世尊法久後要当説真実」と説き給ひしを始めとして、「無二亦無三除仏方便説正直捨方便乃至不受余経一偈」といましめ給へり。是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて、法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじきを、末代の学者何れも如来の説教なれば皆得道あるべしとて、或は真言、或は念仏、或は禅宗、三論、法相、倶舎、成実、律等の諸宗諸経を取取に信ずるなり。是の如きの人をば「若人不信毀謗此経、即断一切世間仏種、(乃至)其人命終入阿鼻獄」と定め給へり。此等のをきて(諚)の明鏡を本として一分もたがえず、唯だ一乗の法を信ずるを如説修行とは仏は定めさせ給へり。難じて云く、左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はばこそ、只一経に限りて経文の如く五種の修行をこらし、安楽行品の如く修行せんは如説修行の者とは云はれ候まじ
きか、如何。答へて云く、凡そ仏法を修行せん者は、摂、折二門を知るべきなり。一切の経、論此の二を出でざるなり。されば諸中国の学者等、仏法をあらあらまなぶといへども、時刻相応の道をしらず、四節四季取取に替れり。夏は熱く冬はつめたく春は花さき秋は菓なる。春種子を下して秋菓を取るべし。秋種子を下して春菓を取らんに豈取らるべけんや。極寒の時は厚き衣は用なり、極熱の夏はなにかせん。冷風は夏の用なり、冬はなにかせん。仏法も亦復是の如し。小乗の流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり。然るに正、像二千年は小乗、権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百年には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此時は闘諍堅固、白法隠没の時と定めて権、実雑乱の砌なり。敵ある時は刀杖弓箭を持つべし、敵なき時は弓箭兵杖何にかせん。今の時は権教が即ち実教の敵と成るなり。一乗流布の時は権教ありて、敵と成りてまぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂、折修行の中には法華経の折伏と申すなり。天台云く「法華折伏破権門理」とまことに故あるかな。然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して春菓を求むる者にあらずや。にはとりの暁になくは用なり、よひになくは物怪なり。権、実雑乱の時法華経の敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受を修行せんは、あに法華経修行の時を失う物怪にあらずや。されば末法今の時法華経の折伏の修行をば、誰か経文の如く行じ給へしぞ。誰人にてもおはせ諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給ひて、諸宗の人、法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来らん事疑ひなし。我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、今日蓮は二十余年の間権理を破す。其間の大難数を知らず。仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず。をそらくば天台、伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし。彼は只悪口怨嫉計りなり。是は両度の御勘気遠国に流罪せられ、龍口の頸の座、頭の疵等、其外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、篭に入れられ、檀那の所領を取られ御内を出されし。此等の大難には龍樹、天台、伝教も争でか及び給ふべき。されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んであるべしと知り給へ。されば釈尊御入滅の後二千余年が間に、如説修行の行者は釈尊、天台、伝教の三人はさてをき候ひぬ。末法に入ては日蓮並に弟子檀那等是なり。我等を如説修行の者といはずんば釈尊、天台、伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。提婆、瞿伽利、善星、弘法、慈覚、智証、善導、法然、良観房等は即ち法華経の行者と云はれ、釈尊、天台、伝教、日蓮並に弟子檀那は、念仏、真言、禅、律等の行者なるべし。法華経は方便権教と云はれ、念仏等の諸経は還つて法華経となるべきか。東は西となり西は東となるとも、大地は所持の草木共に飛び上つて天となり、天の日月、星宿は共に落ち下つて地となるためしはありとも、いかでか此理あるべき。哀なるかな、今日本国の万民、日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められて、大苦にあうを見て悦んでわらふとも、昨日は人の上今日は身の上なれば、日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし。只今仏果に叶ひて寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値はん時、我等何計り無慙と思はんずらん。汝等何計りうらやましく思はんずらん。一期をすぎん事程もなければいかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ、恐るる心なかれ。たとひ頸をばのこぎりにてひき、どう(胴)をば、ひしほこ(稜鉾)を以てつゝき、足にはほだし(?)を打ち、きり(錐)を以てもむ(捫)とも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて、唱へ死にしぬ(死)るならば、釈迦、多宝、十方の諸仏、霊山会上にして御契約なれば、須臾のほどに飛び来りて、手をとりかたに引きかけて霊山へはしり参り給はば、二聖、二天、十羅刹女は受持の者をおうごし、諸天善神は天蓋をさし、旛を上げて我等を守護して、たしかに寂光の宝刹へ送り給ふべきなり。あらうれしや、あらうれしや。
  文永十年癸酉五月 日              日蓮花押
   人人御中へ
  此書御身を離さず常に御覧あるべく候。
(啓三〇ノ五八。鈔一八ノ三。語三ノ五六。音下ノ三〇。拾五ノ五〇。扶一一ノ五〇。)