回向功徳鈔

康元元(1256)

 涅槃経に云く_死人に閻魔王勘へて四十九の釘をうつ。先づ目に二つ、耳に二つ、舌に六つ、胸に十八、腹に六つ足に十五打つ。也。各各長さ一尺也[取意]。
 而るに娑婆に孝子有りて彼の追善の為に僧を請ぜんとて人をはしらしむる時、閻魔王宮に此の事知れて、先づ足に打ちたる十五の釘をぬく。其の故は、仏事の為に僧を請ずるは功徳の初めなる間、足の釘を抜く。爰に聖霊の足自在也。
 さて僧来りて仏を造り、御経を書く時、腹の六の釘を抜く也。次に仏を作り開眼の時、胸の十八の釘をば抜く。さて仏を造り奉り、三身の功徳を読み上げ奉りて、生身の仏になし奉り、冥途の聖霊の為に説法し給へと読み上げ候時、聖霊の耳に打ちて候ひし二つの釘を抜く也。此の仏を見上げまいらせてをがむ時に、目に二つ打ちたる釘を抜き候也。娑婆にて聖霊の為に題目を声をあげて唱へ候時、我が志す聖霊も唱ふる間、舌に六打ちて候ひし釘を抜き候也。
 而るに加様に孝子有りて迹を訪へば、閻浮提に仏事をなすを閻魔法王も本より権者の化現なれば之を知りて罪人に打ちたる釘を抜き免じて候也。後生を訪ふ孝子なくば何れの世に誰か抜きえさせ候べきぞ。其の上わづかのをどろ(茨棘)のとげのたちて候だに忍び難く候べし。況んや一尺の釘一つに候とも悲しかるべし。まして四十九まで五尺の身にたてゝは何とうごき候べきぞ。聞くにきもをけし、見るに悲しかるべし。其れを我も人も此の道理を知らず。父母兄弟の死して候時、初七日と云ふ事をも知らず。まして四十九日百箇日と云ふ事をも、一周忌と云ふ事をも、第三年と云ふ事をも知らず。訪はざらん志の程浅遠かるべし。聖霊の苦患をたすけずんば不孝の罪深し。悪霊と成りてさまたげを成し候也。
 良郭・阿用子二人同じく死し候ひて閻魔の廟に参りたり。同業なれば黒縄地獄へ堕すべしと沙汰ある。爾の時に小疾鬼娑婆へ行きて追善の様を見て参れと仰せければ、刹那の程に冥途より来りて見るに、良郭は孝子ありて作善をいとなみ、僧を請じ、仏を造り、経を書き、大乗妙典を読誦して訪ふ事念比也。故に閻魔法王に申す。浄頗梨の鏡を取り出し御覧あれば申すに違はず。一生涯の間造る処の罪業を、皆此の功徳に懸け合はせて見れば、罪業は軽し善根のふだ(札)は重し。真善妙有の功力なるが故に、衆罪は霜露の如く忽ちに罪障生滅して、・利天上の果報を得て、威徳の天人と成りて行かすべしと下地せられたり。
 阿用子我が身の事はいかにとむねに当りて思ふ処に、閻魔法王仰せらるゝ様は、阿用子の孝子はなにと有るぞと御尋ねあれば、されば候。娑婆に訪ふべき孝子一人もこれ無く候。縦ひ候と申すとも善根をなす事も候はず。まして僧を請じ仏を造り、経を書き、大乗妙典を讃歎する事候はず。一分の善根も無き由申しければ、汝があやまりにやとて、頗梨鏡召し寄せて彼が罪障を浮かべて披見し給へば、げに訪ふ事もなし。縦ひ兄弟あれども作善もなし。初七日とも知らず四十九日までも仏事なし。閻魔法王不便に思し召すせども、自業自得果の道理背き難ければ、黒縄地獄へつかはす。爾の時阿用子申さく、我娑婆にありし時、馬車財宝も多かりしを、他人にはゆづらざりしに、何に妻子も兄弟も訪はざるらんと、天に叫び地を叩けども更に助くる者なし。三七日のさよ(小夜)なかに、宗帝王の筆を染めて阿用子が姓名を委しく注し、四七日の明ぼのに、倶生神にもたせつゝ五官王に引き渡しけり。彼札にまかせて黒縄地獄へ向ふ。
 彼の地獄のありさまは縦横一万由旬也。獄卒罪人を掎して熱鉄地に臥させて、熱鉄の縄を以てよこさまに身にすみを打ち、熱鉄の斧を持て縄にしたがひてきりわり、或はのこぎりを以て其の身をひき、或は刀を持て其の身をさききる事百千段段也。五体身分処処に散在せり。或は獄卒罪人をとらへて、あつき鉄の縄を持て其の身を絞絡す。縄身肉をとをり、骨にいたる事限りなし。骨微塵にくだけ破るゝなり。或は鉄の山の上に鉄の幡ほこを立て、幡ほこの端に鉄の縄をはり、下に熱鉄の釜あり。其の罪人に鉄の山をせをはせて、縄の上を行かしむるに、遥かの鉄のかまへをち入る事、大豆の如くなり。かくの如く苦をうくる事、人間の一百年を以て・利天の一日一夜として、其の寿一千歳也。・利天の一千歳の寿を一日一夜として此の地獄の苦一千歳也。殺生・偸盗の者此の黒縄地獄におつるなり。
 然れば良郭は迹に孝子有りて訪わば、苦患をのがれて・利天へ生まれたり。阿用子は孝子なく迹訪ふことなければ、一千歳の間、無量の苦を五尺の身に受けて悲しみ極まりなし。昔を以て今を思ふに、孝子なき人かくの如くならんか。又訪ふ事なくは、何の世にか浮かぶべきや。我父母の物ゆづられながら、死人なれば何事のあるべきと思ひて、後生を訪はざれば、悪霊と成り、子子孫孫にたゝり(崇)をなすと涅槃経と申す経に見えたり。他人の訪ぬよりも、親類財を与へられて彼の苦を訪はざらん志の程うたてかるべし。悲しむべし悲しむべし、哀れむべし哀れむべし。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
七月二十二日 日 蓮 花押
侍従殿