四条金吾殿御返事

執筆年:弘安元
真筆あり
四条金吾殿御返事(四条第廿五書)(所領書)     弘安元年十月。五十七歳作。     内一七ノ五一。遺二六ノ二。縮一八一〇。類八九九。  鵞目一貫文給候畢ぬ。  御所領上より給らせ給て候なる事、まこととも覚へず候。夢かとあまりに不思議に覚へ候。御返事なんどもいかやうに申べしとも覚へず候。其故はとの(殿)の御身は日蓮が法門の御ゆへに日本国並にかまくら中御内の人人きうだち(公達)までうけず、ふしぎにをもはれて候へば、其御内にをはせむだにも不思議に候に、御恩をかうほらせ給へばうちかへし又うちかへしせさせ給へば、いかばかり同れいどももふしぎとをもひ、上もあまりなりとをぼすらむ。さればこのたびはいかんが有べかるらんとうたがひ思候つる上、御内の数十人の人人うつたへ(訴)て候へば、さればこそいかにもかなひがたかるべし。あまりなる事なりと疑候つる上、兄弟にもすてられてをはするに、かゝる御をん(恩)面目申ばかりなし。かの処はとのをか(殿岡)の三倍とあそばして候上さど(佐渡)の国のもののこれに候が、よくよく其処をしりて候が申候は,三箇郷の内にいかだと申は第一の処也。田畠はすくなく候へどもとくははかり(量)なしと申候ぞ。二所はみねんぐ(御年貢)千貫、一所は三百貫と云云。かゝる処也と承はる。なにとなくともどうれい(同隷)といひ、したしき人人と申し、すて(捨)はてられてわらひよろこびつるに、とのをかにをとり(劣)て候処なりとも、御下文は給たく候つるぞかし。まして三倍の処也と候。いかにわろくともわろきよし人にも又上へも申させ給べからず候。よきところよきところと申給はば、又かさねて給はらせ給べし。わろき処徳分なしなむと候はば、天にも人にもすてられ給候はむずるに候ぞ。御心へあるべし。阿闍世王は賢人なりしが父をころせしかば、即時に天にもすてられ大地もやぶれて入ぬべかりしかども、殺されし父の王一日に五百りやう(輛)五百りよう、数年が間仏を供養しまいらせたりし功徳と、後に法華経の檀那となるべき功徳によりて、天もすてがたし、地もわれず、ついに地獄にをちずして仏になり給き。との(殿)も又かくのごとし、兄弟にもすてられ同れいにもあだまれきうだち(公達)にもそばめ(窄)られ日本国の人にもにくまれ給つれども、去文永八年の九月十二日の子丑の時日蓮が御勘気をかほりし時、馬の口にとりつきて鎌倉を出て、さがみ(相模)のえち(依智)に御ともありしが、一閻浮提第一の法華経の御かたうどにて有しかば、梵天、帝釈もすてかねさせ給へるか。仏にならせ給はん事もかくのごとし。いかなる大科ありとも法華経をそむかせ給はず候し、御ともの御ほうこう(奉公)にて仏にならせ給べし。例せば有徳国王の覚徳比丘の命にかはりて、釈迦仏とならせ給がごとし。法華経はいのり(祈)とはなり候けるぞ。あなかしこあなかしこ。いよいよ道心堅固にして今度仏になり給へ。御一門の御房たち、又俗人等にもかゝるうれしき事候はず。かう申せば今生のよく(慾)とをほすか、それも凡夫にて候へばさも候べき上、欲をもはなれずして仏になり候ける道の候けるぞ。普賢経に法華経の肝心を説て候「不断煩悩不離五欲」等云云。天台大師の摩訶止観に云「煩悩即菩提生死即涅槃」等云云。龍樹菩薩の大論に法華経の一代にすぐれていみじきやうを釈して云「譬へば大薬師の能毒を変じて薬と為すが如し」等云云。小薬師は以薬治病、大医は大毒をもつて大重病を治す等云云。  弘安元戊寅年十月  日             日蓮花押   四条金吾殿御返事 (啓二七ノ九三。鈔一七ノ四五。語三ノ二四。音下ノ二三。拾四。扶一〇ノ三八。)