四条金吾殿御返事

執筆年:建治元
四条金吾殿御返事(四条第十一書)      建治元年七月。五十四歳作。      受五ノ一二。遺一九ノ三二。縮一二八七。類八六九。 態御使喜び入て候。又柑子五十、鵞目五貫文給候畢ぬ。各各御供養と云云。又御文中に云、去十六日に有僧と寄合て候時諸法実相の法門を申合たりと云云。今経は出世の本懐一切衆生皆成仏道の根元と申も、只此諸法実相の四字より外は全くなき也。されば伝教大師は万里の波涛をしのぎ(凌)給て相伝しまします此文也。一句万了の一言とは是也。当世天台宗の開会の法門を申も此経文を悪く得意邪義を云出し候ぞ。只此経を持て南無妙法蓮華経と唱て「正直捨方便但説無上道」と信ずるを、諸法実相の開会の法門とは申也。其故は釈迦仏、多宝如来、十方三世の諸仏を証人とし奉候也。相構てかくの如く心得させ給て、諸法実相の四の文字を時時あじわへ(味)給べし。良薬に毒をまじう(交)る事有るべき乎。うしほ(潮)の中より河の水を取出す事ありや。月は夜に出、日は昼出給ふ、此事諍ふべき乎。此より後には加様に意得給て御問答あるべし。但し細細は論難し給べからず。猶も申さばそれがし(我等)の師にて候日蓮房に御法門候へとうち咲て、打返し打返し仰せ給べく候。法門を書つる間御供養の志は不申候。難有難有。委くは自是ねんごろに可申候。   建治元年乙亥七月二十二日                     日蓮花押    四条中務三郎左衛門尉殿御返事