四信五品抄

建治三年(1277.04・10) 真筆あり

 青鳧一結送り給候ひ了んぬ。
 近来の学者一同の御存知に云く 在世滅後異なりと雖も法華を修行するには必ず三学を具す。一を欠けても成ぜず云云。
 余、又年来此の義を存する処、一代聖教は且く之を置く。法華経に入て此の義を見聞するに、序正の二段は且く之を置く。流通の一段末法の明鏡尤も依用と為すべし。而して流通に於て二有り。一には所謂迹門之中の法師等の五品。二には所謂本門之中の分別功徳の半品より経を終わるまで十一品半なり。此の十一品半と五品とを合わせて十六品半、此の中に末法に入て法華を修行する相貌分明也。是に尚お事行かざれば普賢経・涅槃経等を引き来りて之を糾明せんに其の隠れ無きか。其の中の分別功徳品の四信と五品とは法華を修行する之大要、在世滅後之亀鏡也。
荊谿云く ̄一念信解者 即是本門立行之首〔一念信解とは、即ち是れ本門立行之首なり〕と云云。其の中に現在の四信之初めの一念信解と滅後の五品の第一の初随喜と、此の二処は一同に百界千如一念三千の宝篋、十方三世の諸仏の出門也。天台・妙楽の二の聖賢此の二処の位を定むるに三の釈有り。所謂、或は相似十信鉄輪の位。或は観行の五品の初品の位、未断見思。或は名字即の位也。止観に其の不定を会して云く ̄仏意難知 赴機異説。借此開解 何労苦諍〔仏意は知り難し。機に赴きて異説す。此れを借りて開解せば、何ぞ労わしく苦に諍はんと〕云云、等。
予が意に云く 三釈之中、名字即は経文に叶ふか。滅後の五品の初めの一品を説て云く_而不毀・。起随喜心〔毀・せずして随喜の心を起さん〕。若し此の文、相似と五品に渡らば、而不毀・の言は便ならざるか。就中、寿量品の失心・不失心は皆名字即也。涅槃経に_若信若不信 乃至 煕連〔若は信、若は不信 乃至 煕連〕とあり。之を勘へよ。又一念信解の四字の中の信の一字は四信の初めに居し解の一字は後に奪はるる故也。若し爾らば、無解有信は四信の初位に当る。経に第二信を説いて云く 略解言趣<解其言趣〔其の言趣を解するあらん〕>云云。記の九に云く ̄唯除初信無解故〔唯初信を除く、解無きが故に〕。
随て次下の随喜品に至りて、上の初随喜を重ねて之を分明にす。五十人是れ皆展転劣也。第五十人に至りて二釈有り。一には謂く 第五十人は初随喜の内也。二には謂く 初随喜の外也、と云ふは名字即也。経弥実位弥下〔経いよいよ実なれば、位いよいよ下れり〕と云ふ釈は此の意也。四味三経より円教は機を摂し、爾前の円教より法華経は機を摂し、迹門より本門は機を尽くす也。経弥実位弥下の六字は心に留めて案ずべし。
 問ふ 末法に入て初心の行者は必ず円の三学を具するや不や。
 答て曰く 此の義大事たり。故に経文を勘へ出だして貴辺に送付す。所謂、五品之初め二三品には、仏正しく戒定の二法を制止して、一向に慧の一分に限る。慧又堪えざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す。不信は一闡提謗法の因、信は慧の因、名字即の位也。天台云く ̄若相似益 隔生不忘。名字観行益 隔生即忘。或有不忘 忘者若値知識 宿善還生。若値悪友則失本心〔若し相似の益は隔生すれども忘れず。名字観行の益は隔生すれば即ち忘る。或は忘れざるも有り、忘るる者も若し知識に値へば宿善還りて生ず。若し悪友に値へば則ち本心を失ふ〕。恐らくは中古の天台宗の慈覚・智証の両大師も天台・伝教の善知識に違背して、心、無畏・不空等の悪友に遷れり。末代の学者、恵心の往生要集の序に誑惑せられて法華の本心を失ひ、弥陀の権門に入る。退大取小の者なり。過去を以て之を惟ふに、未来、無数劫を経て三悪道に処せん。若値悪友則失本心とは是れ也。
 問て曰く 其の証如何。
 答て曰く 止観第六に云く ̄前教所以高其位者方便之説。円教位下真実之説〔前教其の位を高するゆえんは、方便の説なればなり。円教の位下きは真実の説なればなり〕。弘決に云く ̄前教下判権実。経弥実位弥下。経弥権位弥高故〔前教といふより下は権実を判ず。経いよいよ実なれば、位いよいよ下れり。経いよいよ権なれば位いよいよ高き故に〕と。又記の九に位を判ずることをいはば ̄顕観境弥深実位弥下〔観境いよいよ深く実位いよいよ下きを顕す〕と云云。他宗は且く之を置く。天台の一門の学者等、何ぞ実位弥下の釈を閣いて恵心僧都の筆を用ふるや。畏・智・空と覚・証との事は追ひて之を習へ。大事也、大事也。一閻浮提第一の大事也。心有らん人は聞いて後に我を外〈うと〉め。
 問て云く 末代初信の行者、何物をか制止するや。
 答て曰く 檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜之気分と為す也。是れ則ち此の経の本意也。
 疑て云く 此の義未だ見聞せず。心を驚かし、耳を迷はす。明らかに証文を引いて、請ふ、苦〈ねんごろ〉に之を示せ。
 答て曰く 経に云く_不須為我。復起塔寺。及作僧坊。以四事供養衆僧〔我が為に復塔寺を起て及び僧坊を作り、四事を以て衆僧を供養することを須いず〕。此の経文明らかに初信の行者に檀戒等の五度を制止する文也。
 疑て云く 汝が引く所の経文は、但寺塔と衆僧と計りを制止して未だ諸の戒等に及ばざるか。
 答て曰く 初めを挙げて後を略す。
 問て曰く 何を以て之を知らん。
 答て曰く 次下の第四品の経文に云く_況復有人。能持是経。兼行布施。持戒等〔況んや復人あって能く是の経を持ち、兼ねて布施・持戒 等 ~ を行ぜんをや〕云云。経文分明に初二三品の人には檀戒等の五度を制止し、第四品に至りて始めて之を許す。後に許すを以て知んぬ、初めに制することを。
 問て曰く 経文一応相似たり。将た又疏釈有りや。
 答て曰く 汝が尋ぬる所の釈とは月氏四依の論か。将た又漢土・日本の人師の書か。本を捨てて末を尋ね、体を離れて影を求め、源を忘れて流れを貴ぶ。分明なる経文を閣いて論釈を請ひ尋ぬ。本経に相違する末釈有らば本経を捨てて末釈に付くべきか。然りと雖も好みに随て之を示さん。文句の九に云く ̄初心畏縁所紛動妨修正業。直専持此経即上供養。廃事存理所益弘多〔初心は縁に紛動せられて正業を修するを妨げんことを畏る。直ちに専ら此の経を持つ、即ち上供養なり。事を廃して理を存するは所益弘多なりと〕。此の釈に縁と云ふは五度也。初心の者が兼ねて五度を行ずれば正業の信を妨ぐる也。譬へば小船に財を積んで海を渡るに財と倶に没するが如し。直専持此経とは一経に亘るに非ず。専ら題目を持して余文を雑へず。尚お一経の読誦をも許さず。何に況んや五度をや。廃事存理と云ふは、戒等の事を捨てて題目の理を専らにす云云。所益弘多とは初心者が諸行と題目と竝べ行ずれば所益全く失ふと云云。
文句に云く ̄問若爾持経即是第一義戒。何故復言能戒持者。答此明初品。不応以後作難〔問ふ。若し爾らば経を持つは即ち是れ第一義の戒なり。何が故ぞ復能く戒を持つ者と言ふや。答ふ。此れは初品に明かす。後を以て難を作すべからず〕等云云。当世の学者、此の釈を見ずして、末代の愚人を以て南岳・天台の二聖に同ず。・りの中の誤り也。妙楽重ねて之を明かして云く ̄問若爾者 若不須事塔及色心骨 亦応須持事戒。乃至 不須供養事僧〔問若爾とは、若し事の塔及び色心の骨を須ひざれば、亦事の戒を持つことを須ひざるべし。乃至、事の僧を供養することを須ひざるや〕等云云。伝教大師云く 二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ。唯教大師一人に限るに非ず。鑒真の弟子如宝・道忠竝びに七大寺等一同に捨て了んぬ。又教大師未来を誡めて云く ̄末法中有持戒者是怪異。如市有虎。此誰可信〔末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり。市に虎有るが如し。此れ誰か信ずべき〕云云。
 問ふ 汝何ぞ一念三千の観門を勧進せずして、唯題目許りを唱へしむるや。
 答て曰く 日本の二字に六十六国之人畜財を摂尽して一つも残さず。月氏の両字に豈に七十箇国無けんや。妙楽云く ̄略挙経題玄収一部〔略して経題を挙るに、玄に一部を収む〕。又云く ̄略挙界如具摂三千〔略して界如を挙ぐるに、具さに三千を摂す〕。文殊師利菩薩・阿難尊者、三会八年之間の仏語、之を挙げて妙法蓮華経と題し、次下に領解して云く 如是我聞と云云。
 問ふ 其の義を知らざる人、唯南無妙法蓮華経と唱へて解義の功徳を具するや不や。
 答ふ 小兒乳を含むに其の味を知らざれども、自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。水心無けれども火を消し、火物を焼くに豈に覚り有らんや。龍樹・天台皆此の意なり。重ねて示すべし。
 問ふ 何が故ぞ題目に万法を含むや。
 答ふ 章安の云く ̄蓋序王者叙経玄意。玄意述於文心。文心莫過本迹〔蓋し序王とは経の玄意を叙す。玄意は文心を述す。文心は本迹に過ぎたるは莫し〕。妙楽云く ̄出法華文心弁諸経所以〔法華の文心を出だして諸経の所以を弁ず〕云云。濁水心無けれども月自ら清めり。草木雨を得て豈に覚り有りて花さくならんや。妙法蓮華経の五字は経文に非ず、其の義に非ず、唯一部の意耳。初心の行者其の心を知らざれども、而も之を行ずるに自然に意に当る也。
 問ふ 汝の弟子、一分の解りなくして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何。
 答ふ 此の人は但四味三経の極意竝びに爾前の円人に超過するのみに非ず、将た又真言等の諸宗の元祖、畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍也。請ふ、国中の諸人、我が末弟等を軽んずること勿れ。進んで過去を尋ぬれば、八十万億劫供養せし大菩薩也。豈に煕連一恒の者に非ずや。退いて未来を論ずれば八十年の布施を超過して五十の功徳を備ふべし。天子の襁褓〈むつき〉に纏はれて、大龍の始めて生れんがごとし。蔑如すること勿れ、蔑如すること勿れ。妙楽の云く ̄若悩乱者頭破七分。有供養者福過十号〔若し悩乱する者は頭七分に破れ、供養すること有らん者は福十号に過ぎん〕。優陀延王は賓豆盧尊者を蔑如して七年之内に身を喪失し、相州は日蓮を流罪にして百日の内に兵乱に遇へり。経に云く_若復見受持。是経典者。出其過悪。若実。若不実。此人現世。得白癩病 乃至 諸悪重病〔若し復是の経典を受持せん者を見て其の過悪を出さん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。乃至 諸の悪重病あるべし〕等云云。又云く_当世世無眼〔当に世世に眼なかるべし〕等云云。明心と円智とは現に白癩を得、道阿弥は無眼の者と成りぬ。国中の疾病は頭破七分也。罰を以て得を推すに、我が門人等は福過十号疑ひ無き者也。 夫れ人王三十代欽明の御宇、始めて仏法渡りし以来、桓武の御宇に至るまで、二十代二百余年之間、六宗有りと雖も仏法未だ定まらず。爰に延暦年中に一りの聖人有りて此の国に出現せり。所謂伝教大師是れ也。此の人先より弘通する六宗を糺明し、七寺を弟子と為して、終に叡山を建てて本寺と為し、諸寺を取りて末寺と為す。日本の仏法唯一門なり。王法も二つに非ず。法定まり国清めり。其の功を論ぜば源已今当の文より出でたり。其の後、弘法・慈覚・智証の三大師事を漢土に寄せて大日の三部は法華経に勝ると謂ひ、剰へ教大師の削る所の真言宗の宗の一字を副へて八宗と云云。三人一同に勅宣を申し下して日本に弘通し、寺毎に法華経の義を破る。是れ偏に已今当の文を破らんとして、釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵となりぬ。然して後仏法漸く廃れ王法次第に衰へ、天照太神・正八幡等の久住の守護神は力を失ひ梵帝・四天は国を去り、已に亡国と成らんとす。情有らん人、誰か傷差〈いたま〉ざらんや。
所詮、三大師之邪法の起る所は所謂、東寺と叡山の惣持院と薗城寺との三所なり。禁止せずんば国土の滅亡と衆生の悪道とは疑ひ無き者か。予、粗此の旨を勘へ、国主に示すと雖も、敢えて叙用無し。悲しむべし、悲しむべし。