呵嘖謗法滅罪鈔
呵責謗法滅罪鈔(四条第七書)
文永十年。五十二歳作。与四条金吾書。
外一六ノ一三。遺一五ノ三二。縮一〇一一。類四八四。 御文委しく承り候。法華経の御ゆへに、已前に伊豆国に流され候しも、かう(斯)申せば謙ぬ口と人はおぼすべけれども、心ばかりは悦び入て候き。無始より已来法華経の御ゆへに実にても虚事にても科に当るならば、争かかゝるつたなき凡夫とは生れ候べき。一端はわびしき(不楽)様なれども法華経の御為なればうれしと思候しに、少し先生の罪は消ぬらんと思しかども、無始より已来十悪、四重、六重、八重、十重、五無間、誹謗正法、一闡提の種種の重罪、大山より高く大海より深くこそ候らめ。五逆罪と申は一逆を造る、猶一劫無間の果を感ず。一劫と申は人寿八万歳より百年に一を減じ、如是乃至十歳に成ぬ。又十歳より百年に一を加れば次第に増して八万歳になるを一劫と申す。殺親者此程の無間地獄に堕て隙もなく大苦を受るなり。法華経誹謗の者は心には思はざれども、色にも嫉み戯にも呰る程ならば、経にて無れども法華経に名を寄たる人を軽しめぬれば、上の一劫を重て無数劫、無間地獄に堕候と見えて候。不軽菩薩を罵打し人は始こそさありしかども、後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶ事、諸天の帝釈を敬ひ我等が日月を畏るるが如くせしかども、始め呰りし大重罪消かねて千劫大阿鼻地獄に入て、二百億劫三宝に捨られ奉りたりき。五逆と謗法とを病に対すれば五逆は霍乱の如して急に事を切る、謗法は白癩病の如し。始は緩に後漸漸に大事也。謗法の者は多くは無間地獄に生じ少しは六道に生を受く。人間に生ずる時は貧窮下賎等、白癩病等と見えたり。日蓮は法華経の明鏡をもて自身に引向へたるに、都てくもりなし。過去の謗法我身にある事疑なし。此罪を今生に消さずば未来争か地獄の苦をば免るべき。過去遠遠の重罪をば何にしてか、皆集て今生に消滅して未来の大苦を免れんと勘しに、当世時に当て謗法の人人国国に充満せり。其上国主既に第一の誹謗の人たり。此時此の重罪を消さずば何の時をか期すべき。日蓮が小身を日本国に打覆てのゝしらば、無量無辺の邪法四衆等無量無辺の口を以て一時に呰るべし。爾時に国主謗法の僧等が方人として日蓮を怨み、或は頸を刎ね或は流罪に行ふべし。度度かゝる事出来せば無量劫の重罪一生の内に消なんと謀てたる大術少も違ふ事なく、かゝる身となれば所願も満足なるべし。然ども凡夫なれば動すれば悔る心有ぬべし。日蓮だにも如是侍るに、前後も弁へざる女人なんどの各仏法を見ほどかせ(解)給ぬが、何程か日蓮に付てくやし(悔)とおぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏に只事にあらず。教主釈尊の各の御心に入替らせ給歟と思へば感涙難押。妙楽大師の釈に云記七「故に知んぬ末代一時も聞くことを得、聞き已て信を生ずる事宿種なるべし」等云云。又云弘二「運像末に在て此真文を矚る。宿に妙因を殖るに非ざれば実に値ひ難しと為す」等云云。妙法蓮華経の五字をば四十余年此を秘し給ふのみにあらず、迹門十四品に猶是を抑へさせ給ひ、寿量品にして本果、本因の蓮華の二字を説顕し給ふ。此五字をば仏、文殊、普賢、弥勒、薬王等にも付属せさせ給はず。地涌の上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩等を寂光の大地より召出して此を付属し給ふ。儀式ただ事ならず。宝浄世界の多宝如来大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ。三千大千世界の外に四百万億那由陀の国土を浄め、高さ五百由旬の宝樹を尽く一箭道に殖並て宝樹一本の下に五由旬の師子の座を敷並べ、十方分身の仏尽く来り坐し給ふ。又釈迦如来は垢衣を脱で宝塔を開き、多宝如来に並給ふ。譬ば晴天に日月の並べるが如し。帝釈と頂生王との善法堂に有が如し。此界の文殊等佗方の観音等、十方の虚空に雲集せる事星の虚空に充満するが如し。此時此土には華厳経の七処八会。十方世界の台上の盧舎那仏の弟子法慧、功徳林、金剛憧、金剛蔵等の十方刹土、塵点数の大菩薩雲集せり。方等の大宝坊雲集の仏、菩薩、般若経の千仏、須菩提、帝釈等、大日経の八葉、九尊の四仏、四菩薩、金剛頂経の三十七尊等。涅槃経の倶尸那城へ集会せさせ給し十方法界の仏、菩薩をば文殊、弥勒等互に見知して御物語是ありしかば、此等の大菩薩は出仕に物狎たりと見え候。今此四菩薩出させ給て後、釈迦如来には九代の本師三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も一生補処とのゝしらせ給ふ。弥勒等も此の菩薩に値ぬれば物とも見えさせ給はず。譬ば山かつが月卿に交り、猿猴が師子の座に列るが如し。此人人を召て妙法蓮華経の五字を付属せさせ給き。付属も只ならず十神力を現じ給ふ。釈迦は広長舌を色界の頂に付給へば、諸仏亦復如是四百万億那由陀の国土の虚空に諸仏の御舌、赤虹を百千万億並べたるが如く充満せしかば、おびただしかりし事也。如是不思議の十神力を現じて結要付属と申て法華経の肝心を抜出して四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃に付属して、其後又一つの神力を現じて文殊等の自界、佗方の菩薩、二乗、天人、龍神等には一経乃至一代聖教をば付属せられしなり。本より影の身に随て候様につかせ給ひたりし迦葉、舎利弗等にも此五字を譲給はず。此はさてをきぬ。文殊、弥勒等には争か惜み給べき器量なくとも嫌給べからず。方方不審なるを或は佗方の菩薩は此土に縁少しと嫌ひ、或は此土の菩薩なれども娑婆世界に結縁の日浅し、或は我弟子なれども初発心の弟子にあらずと嫌はれさせ給ふ程に、四十余年並に迹門十四品の間は一人も初発心の御弟子なし。此四菩薩こそ五百塵点劫より已来教主釈尊の御弟子として、初発心より又佗仏につかずして、二門をもふまざる人人なりと見えて候。天台の云「但下方の発誓を見る」等云云。又云「是我が弟子なり、応に我法を弘むべし」等云云。妙楽の云「子、父の法を弘む」等云云。道暹云「法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云。此妙法蓮華経の五字をば此四人に被譲候。而に仏滅後正法一千年、像法一千年、末法に入て二百二十余年が間月氏、漢土、日本一閻浮提の内に、未だ一度も出させ給はざるは何なる事にて有らん。正くも譲らせ給はざりし文殊師利菩薩は仏滅後四百五十年まで此土におはして大乗経を弘させ給ひ。其後も香山、清凉山より度度来て大僧等と成て法を弘め、薬王菩薩は天台大師となり、観世音は南岳大師と成り、弥勒菩薩は傅大士となれり。迦葉、阿難等は仏滅後二十年、四十年法を弘め給ふ。嫡子として譲られさせ給へる人の未だ見えさせ給はず。二千二百余年が間教主釈尊の絵像、木像を賢王、聖主は本尊とす。然れども但小乗、大乗、華厳、涅槃、観経、法華経の迹門、普賢経等の仏。真言、大日経等の仏。宝塔品の釈迦、多宝等をば書どもいまだ寿量品の釈尊は山寺、精舎にましまさず、何なる事とも量がたし。釈迦如来は後五百歳と記し給ひ。正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず、天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾はん」と未来に譲り、伝教大師は「正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有り」等書給て、像法の末は未だ法華経流布の時ならずと我と時を嫌ひ給ふ。さればをしはかる(推量)に地涌千界の大菩薩は、釈迦、多宝、十方の諸仏の御譲、御約束を空く黙止てはてさせ給べき歟。外典の賢人すら時を待つ。郭公と申す畜鳥は卯月、五月に限る。此大菩薩も末法に出べしと見えて候。いかんと候べきぞ。瑞相と申事は内典、外典に付て必ず有べき事先に現ずるを云ふ也。蜘蛛かゝて喜事来り、鳱鵲鳴て客人来ると申て小事すら験先に現ず、何に況や大事をや。されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞也。涌出品は又此には似べくもなき大瑞也。故に天台の云「雨の猛きを見ては龍の大きなる事を知り、華の盛なるを見ては池の深き事を知る」と書れて候。妙楽云「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を知る」と云云。今日蓮も之を推して智人の一分とならん。去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の刻の大地震と、文永元年太歳甲子七月四日の大彗星、此等は仏滅後二千二百余年の間未だ出現せざる大瑞也。此大菩薩の此大法を持て出現し給べき先瑞歟。尺の池には丈の浪たたず、驢吟ずるに風鳴らず。日本国の政事乱れ、万民歎くに依ては此大瑞現じがたし。誰か知ん法華経の滅、不滅の大瑞なりと。二千余年の間悪王の万人に呰らるる、謀叛の者の諸人にあだまるる等。日蓮が失もなきに高きにも下きにも罵詈、毀辱、刀杖、瓦礫等ひまなき事二十余年也。唯事にはあらず。過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間罵詈せられしに相似たり。而も仏彼の例を引て云「我滅後の末法にも然るべし」等と記せられて候に、近は日本遠は漢土等にも法華経の故にかゝる事有とは未聞。人は悪で是を云はず。我と是を云はば自讃に似たり。云ずば仏語を空くなす過あり。身を軽して法を重ずるは賢人にて候なれば申す。日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。国王の父母を殺すも民が老妣を害するも、上下異なれども一因なれば無間におつ。日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども、同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑ふべきや。彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり。日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり。彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ。此は未だ渇仰せず、不知無数劫をや経ずらん。不便也、不便也。疑て云、正嘉の大地震等の事は去る文応元年太歳庚申七月十六日宿屋の入道に付て故最明寺入道殿へ所奉勘文の立正安国論には、法然が選択に付て日本国の仏法を失ふ故に天地瞋をなし、自界叛逆難と佗国侵逼難起るべしと勘へたり。此には法華経の流布すべき瑞なりと申す。先後の相違有之歟如何。答て云、汝能問之。法華経第四に云「而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後」等云云。同第七に況滅度後を重て説て云「我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提」等云云。仏滅後の多怨は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候。次下に又云「悪魔魔民諸天龍夜叉鳩槃荼」等云云。行満座主、伝教大師を見て云く「聖語朽ちず今此人に遇へり。我が披閲する所の法門、日本国の阿闍梨に授与す」等云云。今又如是。末法の始に妙法蓮華経の五字を流布して、日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊(姙)すべき時也。例せば下女が王種を懐妊すれば諸女瞋りをなすが如し。下賎の者に王頂の珠を授与せんに大難来らざるべしや。「一切世間多怨難信」の経文是也。涅槃経に云「聖人に難を致せば佗国より其国を襲ふと」云云。仁王経亦復如是取意。日蓮をせめて弥天地四方より大災雨の如くふり、泉の如くわき浪の如く寄せ来るべし。国の大蝗虫たる諸僧等、近臣等が日蓮を讒訴する弥盛ならば大難倍来るべし。帝釈を射る脩羅は箭還て己が眼にたち、阿那婆達多龍を犯さんとする金翅鳥は自ら火を出して自身をやく。法華経を持つ行者は帝釈、阿那婆達多龍に劣るべきや。章安大師の云「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり。慈無くして詐はり親むは即ち是彼が怨なり」等云云。又云「彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」等云云。日本国の一切衆生は法然が捨閉閣抛と禅宗が教外別伝との誑言に誑されて、一人もなく無間大城に堕べしと勘へて、国主万民を憚からず大音声を出して、二十余年が間よばはりつるは、龍逢、比干の直臣にも劣るべきや。大悲千手観音の一時に無間地獄の衆生を取出すに似たる歟。火の中の数子を父母一時に取出さんと思ふに、手少なければ慈悲前後有に似たり。故に千手、万手、億手ある父母にて在すなり。爾前の経経は一手、二手等に似たり。法華経は「一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」と、無数手の菩薩是也。日蓮は法華経並に章安の釈の如ならば日本国の一切衆生の慈悲の父母也。天高けれども耳と(疾)ければ聞せ給らん。地厚けれども眼早ければ御覧あるらん、天地既に知食しぬ。又一切衆生の父母を罵詈するなり、父母を流罪するなり。此国此両三年が間の乱政は、先代にもきかず法に過てこそ候へ。抑悲母の孝養の事仰せ遣され候。感涙難押。昔元重等の五童は五郡の異姓の佗人也。兄弟の契をなして互に相背かざりしかば財三千を重たり。我等親と云者なしと歎て、途中に老女を儲て母と崇めて、一分も心に違はずして二十四年也。母忽に病に沈んで物いはず。五子天に仰て云、我等孝養の感無して母もの云ざる病あり、願くは天、孝の心を受給はば此母に物いはせ給へと申す。其時に母五子に語て云、我は本是大原の陽猛と云ものの女也。同郡の張文堅に嫁す、文堅死にき。我に一の児あり、名をば烏遺と云き。彼が七歳の時乱に値て行く処をしらず。汝等五子に養はれて二十四年此事を語らず。我子は胸に七星の文あり。右の足の下に黒子ありと語り畢て死す。五子葬をなす途中にして国令の行くにあひぬ。彼人物記する嚢を落せり。此の五童が取れるになし(成)て禁め置れたり。令来て問て云、汝等は何くの者ぞ。五童答て云、上に如言。爾時令上よりまろび下て天に仰ぎ地に泣く。五人の縄をゆるして我座に引上せて物語して云、我は是烏遺也。汝等は我親を養ひける也。此二十四年の間多くの楽みに値へども、悲母の事をのみ思出て楽みも楽しみならず。乃至大王の見参に入れて五県の主と成せたりき。佗人集て佗の親を養ふに如是。何況や同父、同母の舎弟、妹女等がいういう(悠悠)たるを顧みば天も争か御納受なからんや。浄蔵、浄眼は法華経をもて邪見の慈父を導き、提婆達多は仏の御敵、四十余年の経経にて捨られ臨終悪くして、大地破て無間地獄に行しかども、法華経にて召還して天王如来と記せらる。阿闍世王は父を殺せども、仏涅槃の時法華経を聞て阿鼻の大苦を免れき。例せば此佐渡国は畜生の如く也。又法然が弟子充満せり。鎌倉に日蓮を悪みしより百千万億倍にて候。一日も寿あるべしとも見えねども、各御志ある故に今まで寿を支へたり。是を以て計るに法華経をば釈迦、多宝、十方の諸仏、大菩薩、供養恭敬せさせ給へば、此仏菩薩は各各の慈父悲母に、日日夜夜十二時にこそ告させ給はめ。当時主の御おぼえのいみじくおはするも慈父悲母の加護にや有らん。兄弟も兄弟とおぼすべからず只子とおぼせ、子なりとも梟鳥と申す鳥は母を食ふ。破鏡と申す獣の父を食んとうかがふ。わが子四郎は父母を養ふ子なれども悪くばなにかせん。佗人なれどもかたらひぬれば命にも替るぞかし、舎弟等を子とせられたらば今生の方人人目申計りなし。妹等を女と念はばなどか孝養せられざるべぎ。是へ流されしには一人も訪人もあらじとこそおぼせしかども、同行七、八人よりは少からす。上下のくわて(資糧)も各の御計ひなくばいかがせん。是偏に法華経の文字の各の御身に入替らせ給て、御助あるとこそ覚ゆれ。何なる世の乱れにも、各各をば法華経、十羅刹、助け給へと、湿木より火を出し、乾土より水を儲けんが如く強盛に申す也。事繁ければとどめ候。
四条金吾殿御返事 日蓮花押
(微下ノ七。考六ノ九。)