同生同名御書

文永九(1272.04)

此の御文は藤四郎殿の女房と、常によりあひて御覧あるべく候。
 大闇をば日輪やぶる。女人の心は大闇のごとし、法華経は日輪のごとし。幼子は母をしらず、母は幼子をわすれず。釈迦仏は母のごとし、女人は幼子のごとし。二人たがひに思へばすべてはなれず。一人は思へども、一人思はざればあるときはあひ、あるときはあわず。仏はをもふものゝごとし。女人はおもはざるものゝごとし。我等仏ををもはゞいかでか釈迦仏見え給はざるべき。
 石を朱といへども朱とならず、珠を石といへども石とならず。権経の当世の念仏等は石の如し。念仏は法華経ぞと申すとも法華経等にあらず。又、法華経をそしるとも、朱の石とならざるがごとし。
 昔、唐国〈もろこし〉に徽宗皇帝と申せし悪王あり。道士と申すものにすかされて、仏像経巻をうしなひ、僧尼を皆還俗せしめしに、一人として還俗せざるものなかりき。其の中に法道三蔵と申せし人こそ、勅宣をおそれずして面にかなやき(火印)をやかれて、江南と申せし処へ流されて候ひしが、今の世の禅宗と申す道士の法門のやうなる悪法を御信用ある世に生まれて、日蓮が大難に値ふことは法道に似たり。
 おのおのわずかの御身と生まれて、鎌倉にゐながら人目をもはゞからず、命をもおしまず、法華経を御信用ある事、たゞ事ともおぼえず。
 但おしはかるに、濁水に玉を入れぬれば水のすむがごとし。しらざる事をよき人におしえられて、其のまゝに信用せば道理にきこゆるがごとし。釈迦仏・普賢菩薩・薬王菩薩・宿王華菩薩等の各々のご心中に入り給へるか。法華経の文に閻浮提に此の経を信ぜん人は、普賢菩薩の御力也と申す是れなるべし。
 女人はたとへば藤のごとし、をとこは松のごとし。須臾もはなれぬれば立ちあがる事なし。はかばかしき下人もなきに、かゝる乱れたる世に此のとの(殿)をつかはされたる心ざし、大地よりもあつし、地神定めてしりぬらん。虚空よりもたかし、梵天帝釈もしらせ給ひぬらん。
 人の身には同生同名と申す二のつかひ(使)を、天生まるゞ時よりつけさせ給ひて、影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさず、かはるかはる天にのぼ(上)て申し候、と仏説き給ふ。此の事は、はや天もしろしめしぬらん。たのもしゝたのもしゝ。
四月 日 日 蓮花押
四條金吾殿女房 御返事