南条兵衛七郎殿御書

文永元(1264.12・13) 真筆あり

 御所労之由承り候はまことにてや候覧。世間の定めなき事は、病なき人も留まりがたき事に候えば、まして病あらん人は申すにおよばず。但し心あらん人は後世をこそ思いさだむべきにて候え。又後世を思い定めん事は私にはかないがたく候。一切衆生の本師にてまします釈尊の教こそ本にはなり候べけれ。
 而るに仏の教え又まちまちなり。人の心の不定なるゆえ歟。しかれども釈尊の説教五十年にはすぎず。さき四十余年の間の法門に、華厳経には心仏及衆生是三無差別、阿含経には苦空無常無我、大集経には染浄融通、大品経には混同無二、双観経・観経・阿弥陀経等には往生極楽。此れ等の説教はみな正法・像法・末法の一切衆生をすくわんがためにこそとかれはんべり候けめ。
 而れども仏いかんがおぼしけん、無量義経に_以方便力。四十余年。未顕真実。〔方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず〕ととかれて、先四十余年の往生極楽等の一切経は親の先判のごとくくいかえされて_過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提。〔無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず〕といいきらせ給いて、法華経の方便品に重ねて正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕ととかせ給えり。方便を捨てよととかれてはんべるは、四十余年の念仏等を捨てよととかれて候。こうたしかにくいかえして実義をさだむるには、_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕_久黙斯要 不務速説〔久しく斯の要を黙して 務いで速かに説かず〕等とさだめられしかば、多宝仏大地よりわきいでさせ給いて、この事真実なりと証明をくわえ、十方の諸仏八方に集まりて広長舌相を大梵天宮につけさせ給いき。二処三会、二界八番の衆生一人もなくこれをみ候き。
 此れ等の文をみ候に、仏教を信ぜぬ悪人外道はさておき候ぬ。仏教の中に入り候ても爾前権教の念仏等を厚く信じて、十遍・百遍・千遍・一万乃至六万等を一日にはげみて、十年二十年の間にも南無妙法蓮華経と一遍だにも申さぬ人々は、先判について後判をもちいぬ者にては候まじきか。此れ等は仏説を信じたりげには我が身も一も思いたりげに候えども、仏説の如くならば不幸の者也。故に法華経の第二に云く_今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す 復教詔すと雖も 而も信受せず〕等云云。
 此の文の心は釈迦如来は此れ等衆生には親也、師也、主也。我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてましませども、親と師とにはましまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる。親も親にこそよれ、釈尊ほどの親、師も師にこそよれ、主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ。この親と師と主との仰せをそむかんもの、天神地祇にすてたれたてまつらざらんや。不孝第一の者也。故に_雖復教詔 而不信受〔復教詔すと雖も 而も信受せず〕等と説かれたり。たとい爾前の経につかせ給いて、百千万億劫行ぜさせ給うとも、法華経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給わずは、不孝の人たる故に三世十方の聖衆にもすてられ、天神地祇にもあだまれ給わん歟[是れ一]。
 たとい五逆十悪無量の悪をつくれる人も、根だにも利なれば得道なる事これあり。提婆達多・鴦崛摩羅等これなり。たとい根鈍なれども罪なければ得道なる事これあり。須利槃特等是れ也。我等衆生は根の鈍なること須利槃特にもすぎ、物のいろかたちをわきまえざる事羊目の如し。貪瞋癡きわめてあつく、十悪は日々におかし、五逆をばおかさざれども五逆に似たる罪又日々におかす。又十悪五逆にすぎたる謗法は人毎にこれあり。させる語を以て法華経を謗ずる人はすくなけれども、人ごとに法華経をばもちいず。又もちいたるようなれども念仏等のようには信心ふかからず。信心ふかき者も法華経のかたきおばせめず。いかなる大善をつくり、法華経を千万部読み書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。たとえば朝につかうる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をしりながら奏もせず、私にもあだまずば、奉公皆うせて還ってとがに行われんが如し。当世の人々は謗法の者と知しめすべし[是れ二]。
 仏入滅の次日より千年をば正法と申す。持戒の人多く得道の人これあり。正法千年の後は像法千年也。破戒者は多く得道少なし。像法千年の後は末法万年。持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。而も濁世と申してみだれたる世也。清世と申してすめる世には、直縄のまがれるきをけずらするように、非をすて是れを用いる也。正像より五濁ようよういできたりて、末法になり候えば五濁さかりにすぎて、大風の大波をおこしてきしをうつのみならず、又波と波とをうつ也。見濁と申すは正像ようようすぎぬれば、わずかの邪法の一をつたえて無量の正法をやぶり、世間の罪にて悪道におつるものよりも、仏法を以て悪道におつるもの多しとみえはんべり。しかるに当世は正像二千年すぎて末法に入って二百余年、見濁さかりにして、悪よりも善根にて多く悪道に堕つべき時刻也。悪は愚痴の人も悪としればしたがわぬへんもあり。火を水を用いてけすがごとし。善は但善と思うほどに、小善に付いて大悪のおこる事をしらず。故に伝教・慈覚等の聖跡あり。すたれあばるれども念仏堂にあらずといいてすておきて、そのかたわらにあたらしく念仏堂をつくり、かの寄進の田畠をとりて念仏堂によす。此れ等は像法決疑経の文のごとくならば、功徳すくなしと見えはんべり。
 此れ等をもちてしるべし。善なれども大善をやぶる小善は悪道に墜ちるなるべし。今の世は末法のはじめなり。小乗経の機・権大乗の機みなうせはててただ実大乗の機のみあり。小船には大石をのせず。悪人愚人は大石のごとし。小乗経竝びに権大乗経念仏等は小船也。大悪瘡の湯治等は病大なれば小治およばず。末代濁世の我等には念仏等はたとえば冬田を作るが如し。時があわざる也[是れ三]。
 国をしるべし。国に随って人の心不定也。たとえば江南の橘の淮北にうつされてからたちとなる。心なき草木すらところによる。まして心あらんもの何ぞ所によらざらん。されば玄奘三蔵の西域と申す文に天竺の国々を多く記したるに、国の習いとして不孝なる国もあり、孝の心ある国もあり。瞋恚のさかんなる国もあり、愚痴の多き国もあり。一向に小乗を用いる国もあり、一向に大乗を用いる国もあり。大小兼学する国もありとみえ侍り。又一向に殺生の国、一向に偸盗の国、又穀の多き国、又粟等の多き国不定也。
 抑そも日本国はいかなる教を習ってか生死をは離るべき国ぞと勘えたるに、法華経に云く_閻浮提内。広令流布。使不断絶〔閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん〕等云云。此の文の心は、法華経は南閻浮提の人のための有縁の経也。弥勒菩薩の云く ̄東方有小国 唯有大機〔東方に小国有り。唯大機のみ有り〕等云云。此の論の文の如きは、閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機ある歟。肇公の記に云く ̄茲典有縁東北小国〔茲の典は東北の小国に有縁なり〕等云云。法華経は東北の国に縁ありとかかれたり。安然和尚の云く ̄我日本国皆信大乗〔我が日本国皆大乗を信ず〕等云云。慧心の一乗要決に云く ̄日本一州円機純一等云云。釈迦如来・弥勒菩薩・須利耶蘇摩三蔵・羅什三蔵・僧肇法師・安然和尚・慧心先徳等の心ならば、日本国は純に法華経の機也。
 たとえばくろかねを磁石のすうが如し、方諸の水をまねくににたり。念仏等の余善は無縁の国也。磁石のかねをすわず、方諸の水をまねかざるが如し。故に安然の釈に云く ̄如非実乗者恐欺自他〔もし実乗に非ずんば恐らくは自他を欺かん〕等云云。此の釈の心は、日本国の人に法華経にてなき法をさずくるもの、我が身をもあざむき人をもあざむく者と見えたり。されば法は必ず国をかんがみて弘むべし。彼の国よかりし法なれば必ず此の国にもよかるべしとは思うべからず[是れ四]。
 又仏法流布の国においても前後を勘うべし。仏法を弘むる習い、必ずさきに弘まりける法の様を知るべき也。例せば病人に薬をあたうるにはさきに服したる薬の様を知るべし。薬と薬とがゆき合いてあらそいをなし、人をそんずる事あり。仏法と仏法とがゆき合いてあらそいをなして、人を損ずる事のある也。さきに外道の法弘まれる国ならば仏法をもってこれをやぶるべし。仏の印度にいでて外道をやぶり、まとうか・ぢくほうらんの震旦に来て道士をせめ、上宮太子和国に生まれて守屋をきりしが如し。仏教においても、小乗の弘まれる国をば大乗経をもってやぶるべし。無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し。権大乗の弘まれる国をば実大乗をもってこれをやぶるべし。天台智者大師の南三北七をやぶりしが如し。
 而るに日本国は天台・真言の二宗のひろまりて今に四百余歳、比丘・比丘尼・うばそく・うばいの四衆皆法華経の機と定まりぬ。善人悪人・有智無智、皆五十展転の功徳をそなう。たとえば崑崙山にいしなく、蓬莱山に毒なきが如し。
 而るを此の五十余年に法然という大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして、珠に似たる石をもって珠を投げさせ石をとらせたる也。止観の五に云く ̄瓦礫を貴んで明珠なり、と申すは是れ也。一切衆生石をにぎりて珠とおもう。念仏を申して法華経をすてたる是れ也。此の事をば申せば還ってはらをたち、法華経の行者をのりて、ことに無間の業をます也[是れ五]。
 但とのは、このぎをきこしめして、念仏をすて法華経にならせ給いてはべりしが、定めてかえりて念仏者にぞならせ給いてはべるらん。法華経をすてて念仏者とならせ給わんは、峯の石の谷へころび、空の雨の地におつるとおぼせ。大阿鼻地獄疑いなし。大通結縁の者の三千塵点劫を、久遠下種の者の五百塵点を経し事、大悪知識にあいて法華経をすてて念仏等の権教にうつりし故也。一家の人々念仏者にてましましげに候しかば、さだめて念仏をぞすすめまいらせ給い候らん。我信じたる事なればそれも道理にては候えども、悪魔の法然が一類にたぼらかされたる人々也とおぼして、大信心を起こし御用いあるべからず。大悪魔は貴き僧となり、父母兄弟等につきて人の後生をばさうるなり。いかに申すとも、法華経をすてよとたばかりげに候わんをば御用いあるべからず。まずごきょうさく(景迹)あるべし。念仏実に往生すべき証文つよくば、此の十二年が間念仏者無間地獄と申すをば、いかなるところへ申しいだしてもつめずして候べき歟。よくよくゆわき事也。法然・善導等がかきおきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候き。このごろの人の申すもこれにすぎず。結句は法門はかなわずして、よせてたたかいにし候也。念仏者は数千萬、かとうど多く候也。日蓮は唯一人、かとうどは一人もこれなし。今までも生きて候はふかしぎ也。
 今年も十一月十一日、安房国東條の松原と申す大路にして、申酉の時、数百人の念仏等にまちかけられて候て、日蓮は唯一人、十人ばかり、ものの要にあうものはわずかに三四人也。いるやはふるあめのごとし、うつたちはいなずまのごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のてにて候。自信もきられ、うたれ、結句にて候し程に、いかが候けん、うちもらされていままでいきてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候え。第四の巻に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕等云云。第五の巻に云く_一切世間多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕等云云。日本国に法華経よみ学する人これ多し。人のめ(妻)をねらい、ぬすみ等にて打ちはらるる人は多けれども、法華経の故にあやまたるる人は一人もなし。されば日本国の持経者はいまだ此の経文にはあわせ給わず。唯日蓮一人こそよみはべれ。_我不愛身命 但惜無上道〔我身命を愛せず 但無上道を惜む〕是れ也。
 されば日蓮は日本第一の法華経の行者也。もしさきにたたせ給わば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子也、となのらせ給え。よもほうしん(芳心)なき事は候わじ。但一度は念仏一度は法華経となえつ、二心ましまし、人の聞くにはばかりなんどだにも候わば、よも日蓮が弟子と申すとも御用い候わじ。後にうらみさせ給うな。但し又法華経は今生のいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給い候わば、あわれとくとく見参して、みずから申しひらかばや。語はふみにつくさず、ふみは心をつくしがたく候えばとどめ候ぬ。恐恐謹言。
文永元年十二月十三日 日 蓮 花押
なんじょうの七郎殿教こそ本にはなり候へけれ。
而るに仏の教へ又まちまちなり。人の心の不定なるゆへか。しかれとも釈尊の説教
大波ををこしてきしをうつのみならす愚痴の人も悪としれは、したがわぬへんもあり。火を水を用てけすかことし。善は但善と思ほとに、小善に付て大悪のをこる事を
法華経をすてて念仏等の権教