十法界明因果鈔
沙門 日蓮撰
八十華厳六十九に云く_得入普賢道 了知十法界〔普賢道に入ることを得て、十法界を了知す〕と。法華経第六に云く_地獄声。畜生声。餓鬼声。比丘声。比丘尼声[人道]。天声[天道]。声聞声。辟支仏声。菩薩声。仏声[已上、十法界の名目也]。
第一に地獄界とは 観仏三昧経に云く_造五逆罪。揆無無因果 誹謗大乗 犯四重禁 虚食信施之者堕此中〔五逆罪を造り、無因果を揆無し、大乗を誹謗し、四重禁を犯し、虚しく信施を食するの者此の中に堕す〕と[阿鼻地獄也]。正法念経に云く_殺盗婬欲 飲酒妄語者 堕此中〔殺・盗・婬欲・飲酒・妄語の者、この中に堕す〕[大叫喚地獄也]。正法念経に云く_殺生偸盗邪婬者 堕此中〔殺生・偸盗・邪婬の者、此の中[衆合地獄なり]に堕す〕と[衆合地獄也]。涅槃経に云く_殺有三謂下中上。○下者蟻子乃至一切畜生。乃至 以下殺因縁堕於地獄 乃至 具受下苦。〔殺に三有り、謂く下中上なり。○下とは蟻子乃至一切の畜生なり。乃至 下殺の因縁を以て地獄 乃至<畜生・餓鬼>に堕して、具さに下の苦を受く〕[已上]。
問て云く 十悪・五逆等を造りて地獄に堕するは、世間の道俗、皆之を知れり。謗法に依て、地獄に堕するは、未だ其の相貎を知らず、如何。
答て云く 賢慧菩薩の造勒那摩提の訳、究竟一乗宝性論に云く ̄楽行於小法 謗法及法師 ○不識如来教 説乖修多羅 言是真実義〔楽ひて小法を行じて、法及び法師を謗じ ○如来の教を識らずして、説くこと、修多羅に乖ひて是れ真実の義と言ふ〕[文]。此の文の如きんば、小乗を信じて真実義と云ひ大乗を知らざるは、是れ謗法也。天親菩薩の説真諦三蔵の訳、仏性論に云く ̄若憎背大乗 此是因一闡提。為令衆生捨此法故〔もし大乗に憎背するは、此れは是れ一闡提の因なり。衆生をして此の法を捨てしむるをもっての故に〕[文]。此の文の如きんば、大小流布之世に、一向に小乗を弘め、自身も大乗に背き、人に於ても大乗を捨てしむる、是れを謗法と云ふ也。天台大師の梵網経疏に云く ̄謗是乖背名 【糸+圭】解不称理不当実 異解説者皆名為謗也。乖己宗故罪得〔謗は是れ乖背の名、すべてこの解、理に称はず、実にあたらず、異解して説く者を、皆名づけて謗となすなり。己が宗に乖くが故に罪を得〕[文]。法華経の譬諭品に云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕。乃至 其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕[文]。此の文の意は、小乗の三賢已前、大乗の十信已前、末代の凡夫十悪・五逆・不孝父母・女人等を嫌はず。此れ等、法華経の名字を聞いて、或は題名を唱へ、一字、一句、四句、一品、一巻、八巻等を受持読誦し、乃至亦上の如く行ぜん人を随喜し讃歎する人は、法華経より之外、一代の聖教を深く習ひ、義理に達し、大小乗の戒を持てる、大菩薩の如き者よりも勝れて往生成仏を遂ぐべしと説くを、信ぜずして、還りて法華経は地住已上の菩薩の為、或は上根上智の凡夫の為にして、愚人・悪人・女人・末代の凡夫等の為には非ずと言はん者は、即ち一切衆生の成仏の種を断じて阿鼻獄に入るべしと説ける文也。
涅槃経に云く_於仏正法 永無護惜建立之心〔仏の正法に於て、永く護惜建立の心なし〕[文]。此の文の意は、此の大涅槃経の大法、世間に滅尽せんを惜しまざる者は、即ち是れ誹謗の者也。天台大師、法華経の怨敵を定めて云く ̄不喜聞者為怨〔聞くことを喜ばざる者を怨となす〕[文]。謗法は多種也。大小流布の国に生まれて一向に小乗の法を学して身を治め、大乗に還らざるは、是れ謗法也。亦華厳・方等・般若等の諸大乗経を習へる人も、諸経と法華経と等同之思ひを作し、人をして等同の義を学ばしめ、法華経に還らざるは、是れ謗法也。亦、偶たま円機有る人の法華経を学ぶをも、我が法に付け世利を貪るが為に、汝が機は法華経に当らざる由を称して、此の経を捨て、権経に還らしむるは、是れ大謗法也。此の如き等は、皆地獄の業也。人間に生ずること、過去の五戒は強く、三悪道の業因は弱きが故に、人間に生ずるなり。亦当世之人も、五逆を作る者は少なく、十悪は盛んに之を犯す。亦、偶たま後生を願ふ人の十悪を犯さずして、善人の如くなるも、自然に愚痴の失に依て身口は善く、意は悪き師を信ず。但我のみ此の邪法を信ずるに非ず。国を知行する人、人民に聳めて我が邪法に同ぜしめ、妻子・眷属・所従の人を以て、亦聳め従へ我が行を行ぜしむ。故に正法を行ぜしむる人に於て結縁を作さず。亦民所従等に於ても随喜之心を至さしめず。故に自他共に謗法の者と成りて修善止悪の如き人も自然に阿鼻地獄の業を招くこと、末法に於て多分之有る歟。
阿難尊者は、浄飯王の甥・斛飯王の太子・提婆達多の舎弟・釈迦如来の従子なり。如来に仕へ奉りて二十年。覚意三昧を得て一代聖教を覚れり。仏入滅の後、阿闍世王、阿難に帰依し奉る。仏滅の後四十年の比、阿難尊者、一の竹林之中に至るに、一りの比丘有り。
誦一法句偈云 若人生百歳 不見水潦涸 不如生一日 而得覩見之[已上]。阿難聞此偈 語比丘云 此非仏説。汝不可修行。爾時比丘 問阿難云 仏説如何。阿難答云 若人生百歳 不解生滅法 不如生一日 而得解了[已上]。此文仏説也。汝所唱偈 此文謬也。爾時比丘得此偈 語本師比丘。本師云 我汝所教偈 真仏説也。阿難所唱偈非仏説。阿難年老衰言多錯誤。不可信。此比丘 亦捨阿難偈 唱本謬偈。阿難又入竹林 聞之非我所教偈。重語之比丘不信用〕〔一の法句の偈を誦して云く もし人生じて百歳なりとも、水の潦涸を見ずんば、生じて一日にして、しかもこれを覩見することを得るにしかず[已上]。阿難、此の偈を聞き、比丘に語りて云く これ仏説に非ず。汝修行すべからず、と。そのときに比丘、阿難に問て云く 仏説は如何。阿難答て云く もし人生じて百歳なりとも生滅の法を解せずんば、生じて一日してしかもこれを解了することを得んにはしかず[已上]。この文仏説なり。汝が唱ふるところの偈はこの文を謬りたるなり。そのときに比丘、此の偈を得て本師の比丘に語る。本師の云く 我汝に教ふるところの偈は真の仏説なり。阿難が唱ふるところの偈は仏説に非ず。阿難、年老衰して、言、錯誤多し。信ずべからず、と。この比丘、また阿難の偈を捨てて本の謬りたる偈を唱ふ。阿難、また竹林に入りてこれを聞くに、我が教ふるところの偈に非ず。重ねてこれを語るに、比丘信用せざりき〕等云云。仏の滅後四十年にさへ既に謬り出来せり。何に況んや、仏の滅後既に二千余年を過ぎたり。仏法天竺より唐土に至り、唐土より日本に至る。論師・三蔵・人師等伝来せり。定めて謬り無き法は万が一なる歟。何に況んや、当世の学者、偏執を先と為して我慢を挿み、火を水と諍ひ、之を糾さず。偶たま仏の教の如く教えを宣ぶる学者をも之を信用せず。故に謗法ならざる者は万が一なる歟。
第二に餓鬼道とは 正法念経に云く_昔貪財屠殺之者 受此報〔昔、財を貪り、屠り殺せし者、この報を受く〕。亦云く_丈夫自【口+敢】美食 不与妻子。或婦人自食 不与 受此報〔丈夫、自ら美食を【口+敢】ひ妻子に与へず。或は婦人、自ら食して夫子に与へざるは、この報を受く〕。亦云く_為貪名利 不浄説法之者 受此報〔名利を貪らんが為に不浄に説法せし者、この報を受く〕。亦云く_昔【酉+古】酒加水 受此報〔昔、酒をうるに水を加ふる者、この報を受く〕。亦云く_若人労而得少物 誑惑取用之者 受此報〔もし人労して少ない物を得たるを、誑惑して取り用ふるの者、この報を受く〕。亦云く_昔行路之人 病苦疲極 欺取其売 与直薄少之者 受此報〔昔、行路の人、病苦ありて疲極せるに、その売りものを欺き取り、直を与ふること薄少なりしの者、この報を受く〕。亦云く_昔典主刑獄 取人飲食之者 受此報〔昔、刑獄を典主して人の飲食を取りし者、この報を受く〕。亦云く_昔伐陰涼樹 及伐衆僧園林之者 受此報〔昔、陰涼しき樹を伐り、及び衆僧の園林を伐りし者、この報を受く〕[文]。法華経に云く_若人不信 毀謗此経〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば〕 ○常処地獄 如遊園観 在余悪道 如己舎宅〔常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く 余の悪道に在ること 己が舎宅の如く〕[文]。慳貪・偸盗等の罪に依て、餓鬼道に堕せることは、世人知り易し。慳貪等無き諸善人も謗法により、亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依て餓鬼道に堕することは智者に非ざれば、之を知らず。能く能く恐るべき歟。
第三に畜生道とは_愚痴無慚 徒受信施 他物不償者 受此報〔徒らに信施を受けて、他の物もて償はざりし者、この報を受く〕。法華経に云く_若人不信 毀謗此経〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば〕。○当堕畜生〔当に畜生に堕つべし〕[文]。[[已上、三悪道也]
第四に修羅道とは 止観の一に云く ̄若其心念念常欲勝彼 不堪下人軽他珍己。如鵄高飛下視。而外揚仁義礼智信 起下品善心 行阿修羅道〔もしその心念々に常に彼に勝れんことを欲し、堪えざれば人を下し他を軽しめ己を珍とす。鵄の高く飛びてみおろすがごとし。しかも外には仁義礼智信を揚げて、下品の善心を起し、阿修羅の道を行ずるなり〕[文]。
第五に人道とは 報恩経に云く_三帰五戒生天〔三帰・五戒は天に生ず〕[文]。
第六に天道とは 二有り。欲天には十善を持ちて生れ、色無色天には、下地は麁・苦・障、上地は静・妙・離の六行観を以て生ずるなり。
問て云く 六道の生因は是の如し。抑そも、同時に五戒を持ちて人界の生を受くるに、何ぞ生盲・聾・【やまいだれ/音】【やまいだれ/亞】・【やまいだれ/坐】陋・【やまいだれ/戀】躄・背傴・貧窮・多病・瞋恚等、無量の差別有り耶。
答て云く 大論に云く ̄若破衆生眼 若屈衆生眼 若破正見眼 言無罪福。是人死堕地獄 罪畢為人 従生而盲。若復盗仏塔中 火珠及諸燈明。如是等種種 先世業因縁失眼〔もしは衆生の眼を破り、もしは衆生の眼をくじり、もしは正見の眼を破り、罪福なしと言はん。この人死して地獄に堕し、罪畢わって人となり、生れてより盲ひなり。もしはまた仏塔の中の火珠および諸の燈明を盗む。是の如き等の種種の先世の業・因縁をもて眼を失ふ〕。○聾者是 先世因縁 師父教訓 不受不行。而反瞋恚。以是罪故聾。復次截衆生耳 若破衆生耳 若盗仏塔僧塔諸善人福田中【牛+建】稚鈴貝鼓。故得此罪。先世截他舌 或塞其口 或与悪薬令不得語 或聞師教父母教勅断其語〔聾とは、これ先世の因縁・師父の教訓を受けず、行ぜず。而も反って瞋恚す。この罪を以ての故に聾となる。またつぎに衆生の耳を截り、もしは衆生の耳を破り、もしは仏塔・僧塔諸の善人福田の中の【牛+建】稚・鈴貝および鼓を盗む。故にこの罪を得るなり。先世に他の舌を截り、或はその口を塞ぎ、或は悪薬を与へて語ることを得ざらしめ、或は師の教え・父母の教勅聞き、その語を断つ〕。○〔先世破他坐禅 破坐禅舎 以諸呪術 呪人令瞋 闘諍婬欲。今世諸結使厚重 如婆羅門 失其稲田 其婦復死 即時狂発 裸形而走〔先世に他の坐禅を破り、坐禅の舎を破り、諸の呪術を以て人を呪して瞋り、闘諍し、婬欲せしむ。今世に諸の結使厚く重なること、婆羅門のその稲田を失ひ、その婦また死して即時に狂発し、裸形にしてしかも走りしが如くならん〕。先世奪仏阿羅漢辟支仏食 及父母所親食 雖値仏世 猶故飢渇。以罪重故〔先世に仏・阿羅漢・辟支仏の食、及び父母したしくするところの食を奪へば、仏世に値ふと雖もなお飢渇す。罪の重きを以ての故なり〕。○先世好行 鞭杖拷掠閉繋 種種悩故 今世得病〔先世にこのみて鞭杖・拷掠・閉繋を行じ、種種に悩ますが故に、今世に病を得るなり〕。○先世破他身 截其頭 斬其手足 破種種身分 或壊仏像 毀仏像鼻及諸賢聖形像。或破父母形像。以是罪故 受形多不具足。復次不善法報 受身醜陋〔先世に他の身を破り其の頭を截り、其の手足を斬り、種種の身分を破り、或は仏像を壊り、仏像の鼻及び諸の賢聖の形像を毀り、或は父母の形像を破る。この罪を以ての故に形を受くるに、多く具足せず。復次に不善法の報、身を受くること醜陋なり〕[文]。
法華経に云く_若人不信 毀謗此経〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば〕。若得為人 諸根暗鈍 <【石+累】陋【兀+王】躄> 盲聾背傴〔若し人となることを得ては 諸根暗鈍にして <【石+累】陋【兀+王】躄> 盲聾背傴ならん〕。○口気常臭 鬼魅所著 貧窮下賎 為人所使 多病【やまいだれ/肖】痩 無所依怙〔口に気常に臭く 鬼魅に著せられん 貧窮下賎にして 人に使われ 多病【やまいだれ/肖】痩にして 依怙する所なく〕。○若他反逆 抄劫窃盗 如是等罪 横羅其殃〔若しは他の反逆し 抄劫し窃盗せん 是の如き等の罪 横まに其の殃に羅らん〕。又八の巻に云く_若復見受持。是経典者。出其過悪。若実。若不実。此人現世。得白癩病。若有軽笑之者。当世世牙歯疎欠。醜唇平鼻。手脚繚戻。眼目角【目+來】。身体臭穢。悪瘡膿血。水腹短気。諸悪重病。〔若し復是の経典を受持せん者を見て其の過悪を出さん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑することあらん者は、当に世世に牙歯疎き欠け、醜唇・平鼻・手脚繚戻し、眼目角【目+來】に、身体臭穢にして悪瘡・膿血・水腹・短気・諸の悪重病あるべし〕[文]。
問て云く 何なる業を修する者が六道に生じて、而も其の中の王と成る乎。
答て云く 大乗の菩薩戒を持ちて、而も之を破る者は色界の梵王・欲界の魔王・帝釈・四輪王・禽獣王・閻魔王等と成る也。心地観経に云く_諸王所受諸福楽 往昔曾持三浄戒 戒徳薫修所招感 人天妙果獲王身〔諸王の受くる所の諸の福楽は、往昔、曾て三の浄戒を持ち、戒徳薫修して招き感ずる所の人天の妙果、王の身を獲る〕。○中品受持菩薩戒 福徳自在輪転王 随心所作尽皆成 無量人天悉遵奉。下上品持大鬼王 一切非人咸率伏。受持戒品雖欠犯 由戒勝故得為王。下中品持禽獣王 一切飛走皆帰伏。於清浄戒有欠犯 由戒勝故得為王。下下品持【王+炎】魔王 処地獄中常自在。雖毀禁戒生悪道 由戒勝故得為王〔中品に菩薩戒を受持すれば福徳自在の輪転王として心の所作に随て尽く皆成じ、無量の人天悉く遵奉す。下の上品を持てば、大鬼王として、一切の非人、咸く率伏す。戒品を受持して欠犯すと雖も、戒の勝るるによるが故に王と為ることを得。下の中品を持てば、禽獣の王として一切の飛走、皆帰伏す。清浄の戒に於て欠犯有るも、戒の勝るるによるが故に王と為ることを得。下の下品を持てば、【王+炎】魔王として、地獄の中に処して常に自在なり。禁戒を毀り悪道に生ずと雖も、戒の勝るるによるが故に王と為ることを得〕。○若有不受如来戒 終不能得野干身。何況能感人天中 最勝快楽居王位〔もし如来の戒を受けざること有れば、終に野干の身をも得ること能わず。何に況んや、能く人天の中の最勝の快楽を感じて王位に居せんをや〕[文]。
安然和尚の広釈に云く ̄菩薩大戒 持成法王 犯成世王。而戒不失 譬如金銀 為器用貴 破器不用 而宝不失〔菩薩の大戒は、持ちて法王と成り、犯して世王と成る。而も戒の失せざること、譬へば金銀を器と為すに用ふるに貴く、器を破りて用ひざるも、而も宝は失せざるが如し〕。亦云く 無量寿観に云く ̄〔劫初より已来、八万の王有りて其の父を殺害す。此れ則ち菩薩戒を受け国王と作ると雖も、今殺の戒を犯して皆地獄に堕すれども、犯戒の力も王と成るなり〕。大仏頂に云く_発心菩薩 犯罪暫作 天神地祇〔発心の菩薩、罪を犯せども暫く天神地祇と作ると〕。大随求に云く_天帝命尽 忽入驢腹 由随求力 還生天上〔天帝、命尽きて忽ち驢の腹に入れども、随求の力によりて還りて天上に生ずと〕。
尊勝に云く_善住天子 死後七返 応堕畜生身 由尊勝力 還得天報。昔有国王。千車運水 救焼仏塔。自起【りっしんべん+喬】心 作修羅王。昔梁武帝 五百袈裟 施須弥山五百羅漢。誌公往施 五百欠一。衆云犯罪 暫作人王。即武帝是。昔有国王 治民不等。今作天王 為大鬼王。即東南西 三天王是。【牛+句】留孫末 成菩薩発誓 現作北王。毘沙門是〔善住天子、死後七返畜生の身に堕すべきを、尊勝の力によりて還りて天の報を得たりと。昔、国王有り。千車をもて水を運び、仏塔の焼くるを救ふ。自ら【りっしんべん+喬】心を起して修羅王と作る。昔、梁の武帝、五百の袈裟を須弥山の五百の羅漢に施す。誌公往きて五百に施すに一を欠く。衆の云く 罪を犯すも暫く人王と作らんと。即ち武帝是れなり。昔、国王有りて民を治むること等しからず。今、天王と作れども大鬼王為り。即ち東南西の三天王是れなり。【牛+句】留孫の末に菩薩と成りて発誓し、現に北王と作る。毘沙門、是れなり〕云云。
此れ等の文を以て之を思ふに、小乗戒を持ちて破る者は六道の民と作り、大乗戒を破る者は六道の王と作り、持つ者は仏と成る、是れ也。
第七に声聞道とは 此の界の因果をば阿含小乗十二年の経に分明に、之を明かせり。諸大乗経に於ても大に対せんが為に、亦之を明かせり。
声聞に於て四種有り。一には優婆塞俗男也。五戒を持ちて苦・空・無常・無我の観を修し、自調自度の心強くして敢えて化他之意無く、見思を断尽して阿羅漢と成る。此の如くする時、自然に髪を剃るに自ら落つ。二には優婆夷俗女也。五戒を持ち、髪を剃るに自ら落つること男の如し。三には比丘僧也。二百五十戒[具足戒也]を持ちて、苦・空・無常・無我の観を修し、見思を断じて阿羅漢と成る。此の如くする之時、髪を剃らざれども生ぜず。四には比丘尼也。五百戒を持つ。余は比丘の如し。一代諸経に列座せる舎利弗・目連等の如き、声聞、是れ也。永く六道に生ぜず。亦仏菩薩とも成らず。灰身滅智して決定して仏に成らざるなり。小乗戒の手本たる尽形寿の戒は、一度依身を壊れば永く戒の功徳無し。上品を持てば二乗と成り、中下を持てば人天に生じて民と為る。之を破れば三悪道に堕して罪人と成る也。
安然和尚の広釈に云く ̄三善世戒 因生感果 業尽堕悪。譬如楊葉 秋至似金 秋去地落。二乗小戒 持時果拙 破時永捨。譬如瓦器 完用卑 若破永失〔三善の世戒は、因生じて果を感じ、業尽きて悪に堕す。譬へば楊葉の秋至れば金に似れども、秋去れば地に落つるが如し。二乗の小戒は持つ時は果拙く、破る時は永く捨つ。譬へば瓦器の完くして用ふるに卑しく、若し破れば永く失せるが如し〕[文]。
第八に縁覚道とは 二有り。一には部行独覚。仏前に在りて声聞の如く小乗の法を習ひ、小乗の戒を持ち、見思を断じて永不成仏の者と成る。二には麟喩独覚。無仏の世に在りて、飛花落葉を見て、苦・空・無常・無我の観を作し、見思を断じて永不成仏の身と成る。戒も亦声聞の如し。此の声聞・縁覚を二乗とは云ふ也。
第九に菩薩界とは 六道の凡夫之中に於て自身を軽んじ他人を重んじ悪を以て己に向け善を以て他に与へんと念ふ者有り。仏、此の人の為に諸の大乗経をに於て菩薩戒を説きたまへり。
此の菩薩戒に於て三有り。一には摂善法戒。所謂、八万四千の法門を習ひ尽くさんと願す。二には饒益有情戒。一切衆生を度して之後、自らも成仏せんと欲す、是れ也。三には摂律儀戒。一切の諸戒を尽く持たんと欲する、是れ也。華厳経の心を演ぶる梵網経に云く_仏告諸仏子言 有十重波羅提木叉。若受菩薩戒 不誦此戒者非菩薩。非仏種子。我亦如是誦。一切菩薩已学 一切菩薩当学 一切菩薩今学〔仏諸の仏子に告げて言く 十重の波羅提木叉有り。若し菩薩戒を受けて此の戒を誦せざる者は菩薩に非ず。仏の種子に非ず。我も亦是の如く誦す。一切の菩薩は已に学し、一切の菩薩は当に学し、一切の菩薩は今学す〕。菩薩と言ふは二乗を除いて一切の有情也。小乗の如きは戒に随て異なる也。菩薩戒は爾らず。一切の有心に必ず十重禁等を授く。一戒を持つを一分の菩薩と云ひ、具さに十分を受くるを具足の菩薩と名づく。故に瓔珞経に云く_有一分受戒 名一分菩薩 乃至二分三分四分十分 具足受戒〔一分の戒を受くること有れば一分の菩薩と名づけ、乃至二分三分四分十分なるを具足の受戒といふ〕[文]。
問て云く 二乗を除くの文、如何。
答て云く 梵網経に菩薩戒を受くる者を列ねて云く_若受仏戒者 国王・王子・百官・宰相・比丘比・丘尼・十八梵天・六欲天子・庶民・黄門・婬男・婬女・奴婢・八部・鬼神・金剛神・畜生 乃至 変化人 但解法師語 尽受得戒 皆名第一清浄者〔若し仏戒を受くる者は、国王・王子・百官・宰相・比丘比・丘尼・十八梵天・六欲天子・庶民・黄門・婬男・婬女・奴婢・八部・鬼神・金剛神・畜生 乃至 変化人にもあれ、但、法師の語を解するは、尽く戒を受得すれば、皆第一清浄の者と名づく〕[文]。此の中に於て二乗無き也。方等部の結経たる瓔珞経にも亦二乗無し。
問て云く 二乗所持の不殺生戒と、菩薩所持の不殺生戒と、差別如何。
答て云く 所持の戒名は同じと雖も、持つ様、竝びに心念、永く異なる也。故に戒の功徳も亦浅深有り。
問て云く 異なる様如何。
答て云く 二乗の不殺生戒は永く六道に還らんと思はず。故に化導の心無し。亦仏菩薩に成らんと思はず。但灰身滅智の思ひを成す。譬へば木を焼き灰と成して之後、一塵も無きが如し。故に此の戒をば瓦器に譬ふ。破れて後用ふること無きが故なり。菩薩は爾らず。饒益有情戒を発して此の戒を持つが故に機を見て五逆十悪を造り、同じく此の戒は犯せども、破れず。還りて弥いよ戒体を全くす。故に瓔珞経に云く_有犯不失尽未来際〔犯有れども失せず未来際を尽くす〕[文]。故に此の戒をば金銀の器に譬ふ。完くして持つ時も、破する時も、永く失せざるが故也。
問て云く 此の戒を持つ人は、幾劫を経てか成仏する乎。
答て云く 瓔珞経に云く_未上住前〔未だ住に上らざる前〕。○若経一劫二劫三劫乃至十劫 得入初住位中〔若し一劫・二劫・三劫 乃至十劫を経て、初住の位の中に入ることを得〕[文]。文の意は、凡夫に於て此の戒を持つを信位の菩薩と云ふ。然りと雖も、一劫二劫乃至十劫之間は、六道に沈淪し、十劫を経て不退位に入り、永く六道の苦を受けざるを不退の菩薩と云ふ。未だ仏に成らざるに、還りて六道に入れども苦無き也。
第十に仏界とは 菩薩の位に於て四弘誓願を発すを以て戒と為す。三僧祇之間、六度万行を修し、見思・塵沙・無明の三惑を断尽して仏と成る。故に心地観経に云く_三僧企耶大劫中 具修百千諸苦行 功徳円満遍法界 十地究竟証三身〔三僧企耶大劫の中に具さに百千の諸の苦行を修し、功徳円満して法界に遍く十地究竟して三身を証す〕[文]。因位に於て諸の戒を持ち、仏果の位に至りて仏身を荘厳す。三十二相八十種好は即ち是れ戒の功徳の感ずる所也。但し仏果の位に至れば戒体を失ふ。譬へば華の果と成りて華の形無きが如し。故に天台の梵網経の疏に云く ̄至仏乃廃〔仏に至りて乃ち廃す〕[文]。
問て云く 梵網経等の大乗戒は、現身に七逆を造ると、竝びに決定性の二乗とを許す乎。
答て云く 梵網経に云く_若欲受戒時 師応問言。汝現身不作七逆罪耶。菩薩法師 不得与七逆人現身受戒〔若し戒を受けんと欲する時は、師の問に応じて言ふ。汝現身に七逆の罪を作らざる耶と。菩薩の法師は七逆の人のために現身に戒を受けしむることを得ず〕[文]。此の文の如きんば、七逆の人は現身に受戒を許さず。大般若経に云く_若菩薩設 【歹+克】伽沙劫 受妙五欲 於菩薩戒 猶不名犯。若起一念 二乗之心 即名為犯〔若し菩薩、設ひ恒河沙劫に妙の五欲を受くるとも、菩薩戒に於ては猶お犯と名づけず。若し一念に二乗の心を起さば、即ち名づけて犯と為す〕[文]。大荘厳論に云く ̄雖恒処地獄 不障大菩提。若起自利心 是大菩提障〔恒に地獄に処すと雖も、大菩提を障げず。若し自利の心を起さば、是れ大菩提の障りなり〕[文]。此れ等の文の如きんば、六凡に於ては菩薩戒を授け、二乗に於ては制止を加ふる者也。二乗戒を嫌ふは、二乗所持の五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒等を嫌ふに非ず。彼の戒は菩薩も持つべし。但二乗の心念を嫌ふ也。
夫れ以みれば、持戒は父母・師僧・国王・主君・一切衆生・三宝の恩を報ぜんが為也。父母は養育之恩深し。一切衆生は互いに相助くる恩重し。国王は、正法を以て世を治むれば、自他安穏也。此に依て善を修すれば恩重し。主君も亦彼の恩を蒙りて父母・妻子・眷属・所従・牛馬等を養ふ。設ひ爾らずと雖も、一身を顧みる等の恩、是れ重し。師は亦邪道を閉じ、正道に趣かしむる等の恩、是れ深し。仏恩は言ふに及ばず。是の如く無量の恩分之有り。而るに二乗は、此れ等の報恩皆欠けたり。故に一念も二乗之心を起すは、十悪・五逆に過ぎたり。一念も菩薩之心を起すは、一切諸仏之後心之功徳を起せる也。已上、四十余年之間大小乗の戒也。
法華経の戒と言ふは、二有り。一には相待妙の戒、二には絶待妙の戒也。先づ相待妙の戒とは、四十余年の大小乗の戒と法華経の戒と相対して、爾前を麁戒と云ひ、法華経を妙戒と云ふ。諸経の戒をば未顕真実の戒・歴劫修行の戒・決定性の二乗戒と嫌ふ也。法華経の戒は、真実の戒・速疾頓成の戒・二乗の成仏を嫌はざる戒等を、相対して麁妙を論ずるを相待妙の戒と云ふ也。
問て云く 梵網経に云く_衆生受仏戒 即入諸仏位 位同大覚已 真是諸仏子〔衆生、仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入り、位、大覚に同じ。已に真に是れ諸仏の子なり〕[文]。華厳経に云く_初発心時便成正覚〔初発心の時、便ち正覚を成ず、と〕[文]。大品経に云く_初発心時即坐道場〔初発心の時、即ち道場に坐す〕[文]。此れ等の文の如きんば、四十余年の大乗戒に於て、法華経の如く速疾頓成の戒有り。何ぞ但歴劫修行の戒なりと云ふ乎。
答て云く 此れに於て二義有り。一義に云く 四十余年之間に於て、歴劫修行之戒と速疾頓成之戒と有り。法華経に於ては但一つの速疾頓成之戒のみ有り。其の中に於て四十余年之間の歴劫修行之戒に於ては、法華経の戒に劣ると雖も、四十余年之間の速疾頓成之戒に於て、法華経の戒に同じ。故に上に出だす所の衆生、仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る等の文は、法華経の須臾聞之。即得究竟の文に、之同じ。但し無量義経に四十余年の経を挙げて歴劫修行等と云へるは、四十余年之内の歴劫修行之戒計りを嫌ふ也。速疾頓成之戒をば嫌はざる也。一義に云く 四十余年之間の戒は、一向歴劫修行の戒。法華経の戒は速疾頓成の戒也。但し上に出だす所の四十余年の諸経の速疾頓成之戒に於ては、凡夫地より速疾頓成するに非ず。凡夫地より無量の行を成して無量劫を経、最後に於て凡夫地より即身成仏す。故に最後に従へて、速疾頓成とは説く也。委悉に之を論ぜば、歴劫修行の所摂なり。故に無量寿経には總て四十余年の経を挙げて、仏、無量義経の速疾頓成に対して宣説菩薩。歴劫修行〔菩薩の歴劫修行を宣説せしかども〕と嫌ひたまへり。大荘厳菩薩、此の義を承けて領解して云く_過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提。何以故<所以者何>。不知菩提。大直道故。行於険径。多留難故〔無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん、菩提の大直道を知らざるが故に、険径を行くに留難多きが故に。〕。乃至 行大直道。無留難故〔大直道を行じて留難なきが故に〕[文]。若し四十余年之間に、無量義経・法華経の速疾頓成之戒、之有れば、仏猥りに四十余年の実義を隠したまふ之失、之有らん云云。二義之中に後の義を作る者は存知の義也。相待妙の戒、是れ也。
次に絶待妙の戒とは、法華経に於て別の戒無し。爾前の戒、即ち法華経の戒也。其の故は、爾前の人天の楊葉戒・小乗阿含経の二乗の瓦器戒・華厳・方等・般若・観経等の歴劫菩薩の金銀戒之行者、法華経に至りて互いに和会して一同と成る。所以に人天の楊葉戒の人は二乗の瓦器・菩薩の金銀戒を具し、菩薩の金銀戒に人天の楊葉・二乗の瓦器を具す。余は以て知りぬべし。三悪道の人は現身に於て戒無し。過去に於て人天に生まれし時、人天の楊葉・二乗の瓦器・菩薩の金銀戒を持ち、退して三悪道に堕す。然りと雖も其の功徳、未だ失せず、之有り。三悪道の人、法華経に入る時、其の戒、之を起す。故に三悪道にも又十界を具す。故に爾前の十界の人、法華経に来至すれば皆持戒也。故に法華経に云く_是名持戒〔是れを戒を持ち〕[文]。安然和尚の広釈に云く ̄法華云 能説法華 是名持戒〔法華に云く_能く法華を説く、是れを持戒と名づく、と〕[文]。爾前経の如く師に随て戒を持たず。但此の経を信ずるが、即ち持戒也。爾前の経には十界互具を明かさず。故に菩薩、無量劫を経て修行すれども、二乗・人天等の余戒の功徳無く、但一界の功徳を成す。故に一界の功徳を以て成仏を遂げず。故に一界の功徳も亦成せず。爾前の人、法華経に至りぬれば余界の功徳を一界に具す。故に爾前の経、即ち法華経なり。法華経、即ち爾前の経也。法華経は爾前の経を離れず。爾前の経は法華経を離れず。是れを妙法と言ふ。此の覚り起て後は、行者、阿含小乗経を読むも、即ち一切の大乗経を読誦し、法華経を読む人也。故に法華経に云く_決了声聞法 是諸経之王〔声聞の法を決了して 是れ諸経の王なるを聞き〕[文]。阿含経即法華経と云ふ文也。_於一仏乗。分別説三〔一仏乗に於て分別して三と説く〕文。華厳・方等・般若、即ち法華経と云ふ文也。_若説俗間経書。治世語言。資生業等。皆順正法〔若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん〕[文]。一切の外道・老子・孔子等の経は、即ち法華経と云ふ文也。梵網経等の権大乗の戒と法華経の戒とに多くの差別有り。一には彼の戒は二乗・七逆の者を許さず。二には戒の功徳に仏果を具せず。三には彼は歴劫修行の戒也。是の如き等の多くの失有り。法華経に於ては二乗・七逆の者を許す上、博地の凡夫、一生之中に仏位に入り妙覚に至りて因果の功徳を具する也。
正元二年[庚申]四月二十一日 日 蓮花押