九郎太郎殿御返事

執筆年:建治二
九郎太郎殿御返事(上野第十二書)(与南条九郎太郎書)      建治二年九月。五十五歳作。      外九ノニ八。遺二二ノ八。縮一五二〇。類九七九。 いえの芋一駄送給候。こんろん(崑崙)山と申す山には玉のみ有て石なし。石ともし(乏)ければ玉をも(以)て石をかう。はうれいひん(彭蠡浜)と申す浦には木草なし。いを(魚)もて薪をかう。鼻に病あるものはせんだん(栴檀)香用にあらず。眼なき者には明なる鏡なにかせん。此身延の沢と申す処は甲斐国波木井の郷の内の深山也。西には七面のかれと申すたけ(岳)あり、東は天子のたけ、南は鷹取のたけ、北は身延のたけ、四山の中に深き谷あり。はこ(箱)のそこ(底)のごとし。峯にははかう(巴峡)の猿の音かまびすし、谷にはたいかいの石多し。然どもするが(駿河)のいも(芋)のやうに候石は一も候はず。いも(芋)のめずらしき事くらき夜のともしび(灯)にもすぎ、かはける(渇)時の水にもすぎて候ひき。いかにめづらしからずとはあそばされて候ぞ。されば其には多く候歟。あらこひし(恋)あらこひし。法華経釈迦仏にゆづりまいらせ候ぬ。定て仏は御志ををさめ給なれば御悦候らん。霊山浄土へまひらせ給たらん時御尋あるべし。恐恐謹言。   建治二年丙子九月十五日          日蓮花押    九郎太郎殿御返事 (微上ノ二五。考四ノ八)